冬の訪れを実感させた、12月初旬の冷たい雨の日。
寒さが地面から立ち上ってくる両国駅には、浴衣姿の若い力士たちが溢れていました。
街角のあちこちに、レリーフや記念碑が建つ相撲の街、両国。
舞の海さんが、出羽の海部屋の門を叩いたのは、1990年が明けて間もないころでした。
相撲が盛んな土地柄の青森県鰺ヶ沢町に生まれ、名門、日大相撲部に進学。
しかし相撲は大学まで、として卒業後は高校の教員として就職が決まっていた舞の海さん。
その道を大きく変えたのが、後輩の突然の死でした。
「たった一度の人生、本当にやりたいことをやってみよう」
その一心で、新弟子検査を受けたところ、身長が足りずに不合格。
そこで講じたのが、当時、大きな話題になった、
頭にシリコンを埋め込むという秘策でした。
2度めの挑戦は見事合格、1990年5月、初土俵を踏みました。
新弟子検査に向けた壮絶な挑戦を、いつもの飄々とした口ぶりで話す舞の海さん。
続いてやってきたのは、出羽の海部屋からほど近いお寺、回向院です。
江戸時代には境内で相撲が行われ、出店が並ぶなど、いってみれば現代のアミューズメントのようなところだった、という回向院。
その一角に大きな石碑がありました。
『力塚』
力士たちが力を授かるべく、折に触れて祈る場所です。
舞の海さんも両国での場所中、部屋から回向院を通って、両国国技館に向かっていました。
しかし力石の前で頭を垂れたとき、もうひとりの自分が語りかけていたそうです。
「頼むだけ、お前は稽古してきたのか?」と。
勝ちたいと思う気持ちを、身長170センチに満たなかった小兵・舞の海さんはどうやって現実に結びつけようとしていったのでしょうか?
舞の海秀平さんとの両国散歩。
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2月7日放送、舞の海さんとの散歩・後篇は、日常と非日常をつなぐという両国橋、そして大好きな風景が待っていた両国国技館を訪れます。