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朝も好きだけど、寝るのはもっと好き!という岡田さん。
雑誌やドラマの撮影では、早起きが多く、
マネージャーさんにたくさん電話してもらって起きているそう。
岡田さんは、1歳から子役モデルとしてデビューをされています。
幼少期は、元気で活発な女の子だったそうで、
お仕事の現場でも、いたずらをしてしまっていた、とのこと。
芸能界での仕事を意識されたのは、中学3年生で事務所を辞めた時。
”この世界に身を置きたい” と感じたのだとか。
「それで、高校1年で前の事務所に所属させてもらって...
周りの子役の子とかは、すでにそう思っていたものだと思うんですけど
私は遅れて自覚しました。芸能界を続けるのは、父は反対気味でしたね(笑)
でも、お仕事頂ける限りは続けたいと思っていましたし、
毎日違う時間に、違う場所に行ける、この世界じゃ無いと
生きていけないんじゃないか、と思っています。」
そんな中、学業との両立については 悩みも多かったようで...
「ただ、芸能界と学生生活の両立は、やっぱり難しかったです。
高校も部活も入って無かったですし、学生ならではの遊びや空気感を、
もっと大事にしておけば良かったと、今は100%後悔していますね... 」
現在は、女優としても活躍されている岡田さんは、2021年には、
NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』にも出演!
自身と役の精神年齢を近づけるのが大変だった、と振り返りました。
「いまだに、出来なかったなぁと思う役でしたね。
いつもだったら、役に慣れて楽しくできるんですけど、
朝ドラは葛藤の方が多くて、撮影しながら悩んでいました。
その撮影の間で行ったラーメン屋さんは、撮影の気力になって、今でも覚えています(笑)」
先月で阪神淡路大震災から28年。
来月には、東日本大地震から12年。
東日本大地震当時は、岡田さんは東京の小学校に通っていました。
「今でも当日のことは鮮明に覚えています。
テスト中で、机が揺れて。先生の掛け声と共に机の下に入りました。
母が迎えにきてもらって帰るという形になって、割と早めに迎えにきてはもらえたんですけど
『母に何かあったんじゃ無いか』『一生帰れないんじゃないか』っていう
日常が無くなってしまうかもしれないっていう、不安や寂しさを、幼いながら強く感じていました。」
およそ2年前には、福島で行われたシンポジウムに参加した岡田さん。
その際には、報道されていない被災地の問題や同世代の辛い現状を知ったそう。
「そういう中で、私が出来る事って何か考えると、
お仕事や私生活での支援で 被災地のみなさんと繋がって伝えていく事。
それしか出来ないけど、1つ1つを積み重ねていくのが大事かなと思っています。
あと、日頃から電池や水、防災リュックなどを準備して、
自分だけじゃなく周りも助けられるように居たいと思います。
ちょうどこの前、防災に関する番組に呼んでいただいて、火災の備えも必要と知ったので
消化器の場所を知ったり、ブレーカーも地震で落ちるものに変えようと思いました!」
最後に、岡田さんにとっての『元気の源』を伺いました。
「私の元気の源は、『日常でのキュン!』です。
キュンっていうのは、恋愛だけじゃなく、楽しかった!あの人可愛かった!とか、
そういう、心が躍ってむず痒くなる瞬間が大事だなって思っています。
犬と猫を飼っているんですけど、家に帰ったり散歩すると”キュン”です!
”キュン”があると、日々頑張れます!」
今年2023年は、海外でスカイダイビングしてみたい!とプチ目標も教えて下さいました。
2週続けて、岡田さんにお話うかがいました。
ありがとうございました!
M. Pair Dancer / 星野源