TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、カンニング竹山さんとアンタッチャブル山崎弘也さん。ここでは、竹山さんが福岡ソフトバンクホークスのファンになった意外な経緯を振り返りました。
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(上)カンニング竹山さん、(下)山崎弘也さん
◆元々は仕事のオファーから!?
山崎:元々カンニングで、ホークスを応援する番組か何かをやっていたんでしたっけ?
竹山:違う、俺だけよ。
山崎:カンニングは関係なかったんですか?
竹山:そうだよ。もしくは中島(忠幸さん・竹山さんの相方)が入院中のときじゃない? 俺が1人で仕事をしているときに、ソフトバンクモバイル九州のCMに俺を使ってくれたのよ。
山崎:福岡の人だからね。その段階では、変な話“ビジネス”じゃないですか。
竹山:その段階はね。だから仕事で球場にも行くわけさ。「皆さん、こういう携帯が出ましたよ!」って。そういうときにホークスの試合を観たときに、子どもや女性もみんなが楽しめるようなファンサービスがすごくて、スタッフとかにも“そんな仕掛けなんですか!”とかいろいろ聞いて、“こんなに楽しいものはない!”と。そこからは、もうガッツリ(ソフトバンクの)ファンですよ。もう20年くらい経つよ。
◆子どもの頃はホークスが嫌いだった!?
竹山:でも昔、福岡にダイエーホークス(福岡ソフトバンクホークスの前身)が来たときは、嫌だったのよ。小学校1、2年生の頃はクラウンライターライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)のファンだったから。クラウンって、1、2年しかなかったんだけど。
山崎:野球は観ていたんですか?
竹山:親父と平和台球場(福岡市にあった球場)によく行っていたもん。東尾(修)さんとか。阪神に行く前の真弓(明信)さんとかがいて。
山崎:へぇ~!
竹山:あと、平和台球場って地方の球場だから、昔は(試合が)終わると、子どもたちがフェンスを乗り越えて柵も越えて(選手がいる)ベンチに向かって走っちゃうの。それを大人の警備員が本気で殴ったり蹴ったりして抑えていた。そんな時代ですよ。
山崎:そのくらいしないと、選手を守れないですよね。
竹山:昔はね。
山崎:竹山さんも柵を乗り越えて行ったんですか?
竹山:俺も乗り越えて行ったよ。「みんな行け!」って言われるから。
山崎:元々は、ライオンズのファン?
竹山:そう。だけど、その後に埼玉の所沢に移転するわけ。
山崎:九州って(球団が)あったのか。今考えれば。
竹山:でも、そのときの同級生は、(埼玉に行っても)名残で西武ライオンズの帽子を被っている奴が結構多かったのよ。でも俺は嫌で。小学4年生くらいから阪神ファンになるのよ。
山崎:阪神ファンだったなんて、俺、初めて知りましたよ。
竹山:当時は(周りにも)ほどんどいなかった。だけど、85年に阪神が優勝してから周りに阪神ファンが増え出したの。俺はそれが嫌でファンを辞めて、そこから一切野球を観なくなった。
山崎:85年のときは喜んだんですか?
竹山:その頃は、もう冷めていたね。
山崎:じゃあ、弱いときの阪神を応援していたってこと?
竹山:うん、全然弱かったよ。だから、夏休みのときに平和台球場で阪神が試合をするときは、1人で行っていたからね。
山崎:そうなんだ! 85年のときは、みんな浮かれちゃっている感じが嫌だったってこと?
竹山:そもそも周りが阪神ファンでもないのに「阪神! 阪神!」って言い出して。それを見たら冷めちゃって、学生時代は、もう野球に興味がなかった。でも、18歳の終わりぐらいに東京に出て来るときに、“東京に住むから、ジャイアンツファンじゃなきゃいけないんだな”ってなんとなく思ったの。ただそのときも、野球自体はあまり観てなかった。
山崎:それで、85年以降は全然観ていなかったってこと?
竹山:全然っていうことはないよ。日本シリーズは普通に観ていたから。
山崎:それでソフトバンクファンとして、また観始めたんだ。
竹山:そういうことよ。
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来週の「TOKYO SPEAKEASY」のお客様は……
3月6日(月)パパイヤ鈴木さん×日髙のり子さん
3月7日(火)高橋健介さん×尾上右近さん
3月8日(水)柴田理恵さん×ポカスカジャン・大久保ノブオさん
3月9日(木)ケラリーノ・サンドロヴィッチさん×犬山イヌコさん
がご来店。一体どんな話が飛び出すのか……!? お楽しみに!
<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00
番組Webサイト:
https://www.tfm.co.jp/speakeasy/