TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。3月13日(月)のお客様は、実業家・堀江貴文さんとミュージシャン・角松敏生さん。角松さんが事務所を移籍したきっかけ、以前の音楽業界の風潮などを語りました。
▶▶この日の放送内容を「AuDee(オーディー)」でチェック!
(左から)堀江貴文さん、角松敏生さん
◆大ファンの角松敏生に会えて…
堀江:はじめまして。実は以前から大ファンで、デビューアルバムから全部持っています。
角松:すごいね!?
堀江:中学生の頃はラジオもすごく聴いていました。
角松:全国ネットでやっていたときがありますもんね。「Vogue's Bar」(JFN系)かな?
堀江:そうです!
角松:懐かしいですねえ(笑)。
堀江:(角松さんのことは)中学校の同級生も紹介してもらいました。角松さんきっかけで、結構いろいろなアーティストを知りましたね。その流れの音楽を今でも聴いています。
角松:たしか音楽もやられているんですよね?
堀江:僕が音楽をやっているのは遊びなんで(笑)。
角松:堀江さんのイメージとして、どんな音楽を聴いているのかあまり想像できなかったんですよね。
堀江:そういうことってあまり話さないですもんね。
◆芸能人と呼ばれることが好きではなかった
角松:僕、父親が(福岡県)久留米市出身なんですよ。
堀江:そうなんですか!? まさに僕はその久留米で、最初のアルバムが始まりで全部聴いていました。すごく面白い人だなって思っていました(笑)。
角松:あの頃は何をやっていたのか、もはやわからないですね(笑)。
堀江:ラジオを聴いていたので、考え方が何となくわかっていました。
角松:何を喋っていたんだろう(笑)。
堀江:メジャーなものに対しての距離感ってありませんでしたか?
角松:芸でご飯を食べること。歌、音楽、お芝居とかいろいろあると思うんですけど、そういうものを生業にしていると、芸能人と言われることが多いわけですよ。
堀江:そうですね。
角松:特に日本においては。でも僕は、日本の芸能人という響きが好きじゃなかったのかもしれないですね。自分がデビューして最初に入った事務所の社長と袂を分かつことになって、新しい事務所に入って、その社長とは馬が合ったので10年ぐらい一緒にやってきました。
自分はまず音楽活動をしたい気持ちがあったので、やはりライブを第一にやりたいわけですよ。ただ、最初の事務所の社長の考えは、(話題性を)仕掛けて売って、あとからいくらでも何でもするってパターンなんですね。
堀江:昔の芸能プロダクションと一緒ですね。
角松:要は「ライブなんてものは売れてからいくらでもできるんだから、(今は)そんなことは考えなくてもいい」という考え方の人だったんです。移籍した事務所の社長はフォーク好きの人だったので、考え方が僕と合ったんですよ。
ライブをおこなって、お客さんとのつながりを作っていくという考え方ですね。戦後から立ち上がってきた日本の芸能界のスタイルではない形を目指している方だったので、むしろテレビには出さない主義があったんです。
堀江:なるほど。
角松:「テレビに出ることのほうがみっともないんだ」っていう考え方を持っている方でした。僕も当時23、24歳ぐらいでしたから、いろいろな考えの大人がいるなという感じでした。そっちのほうが僕は気が楽で、芸能界というものに能動的につながりを持ちたいというのが全然なかったんですよね。
<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜25:00~26:00
番組Webサイト:
https://www.tfm.co.jp/speakeasy/