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岸谷さんは、お母様の出身地:広島県で生まれました。
幼少期から、自宅にピアノがあったため、音楽が身近にある生活だったそう。
さらに、小学校には 電車・バス通学をしていたため
一人遊びが多い子供だった、と岸谷さんは振り返ります。
「その時に、遊んでいたのがピアノ、という感じかな。
家にある詩集に、曲を付けてみたり。簡単にいえば弾き語りみたいな。
ただ、うちの祖母は、”あの子は奇妙な歌を歌ってる”と母に伝えていたみたいです(笑)
その後、大きくなってテレビの歌番組とか見るようになって、
日本のバンドで最初に好きになったのが、ゴダイゴでした。
あとは、宇宙戦艦ヤマトのサントラ盤が大好きで、コピーしていましたね。」
音楽を趣味として続ける中、学校ではいつも”伴奏係”。
付属の中学に進学した際、先輩からYMOのコピーバンドへのお誘いがあり
そのままバンドでキーボードを担当するようになったそう。
「だんだん後ろにいるだけじゃつまらなくなって、
弦楽器持って前でウロウロして楽しみたい、と思って(笑)
幼少期にアコギをねだって買ってもらった事もあったんですけど、
とても弦を抑えられなかったので... ベースなら、弦は4本だし抑えられると思って!
そしたら、学校にベースとベースアンプがあったので、それを独り占めして持って帰って
それでやっていくうちに楽しくなってきちゃって、中学時代はバンドにハマってしまいました。
環境によって、こういう人生に導かれてきた、ってすごく思いますね。」
導かれるようにバンド活動を始めていった岸谷さん。
ボーカルを務めたバンド『プリンセス プリンセス』は、
東日本大地震をきっかけに2012年に再結成し、
ライブやフェス、紅白歌合戦にも出場されました。
最終的には、2012年の1年間が、再結成の活動期間となりました。
その2012年の復興活動収益金の総額が、5億円を超えました。
「復興支援のコンサートのチケット代を義援金にしようというのがことの始まりでした。
私たちは、先頭で旗を降っていただけ...払ってくださったのが、ファンの皆さんです。
そのお金は、いろんなところに相談して寄付しました。
さらに、困っているところに寄付するのはもちろんですが、
終わらない継続的な支援ができるようになればいいな、と思って。
音楽はすぐには支援にならないけど、時間が経てば経つほど、
人の心に癒しやエネルギーを与えられるかなと、長い意味でライブハウスを作ろう、となりました。」
音楽で継続的な支援を、という思いで仙台に作られたライブハウス『仙台PIT』。
岸谷さんは、今年3月11日もライブに参加されました。
「こういうことって、今日で終わり とかはないし。終わらない。
もし何かで私ができなくなっても、
ライブハウスがある限りは、こういう気持ちが引き継がれていく、と思っています。」
最後に、岸谷さんに『元気の源』を伺いました。
「『目標』だと思います。小さいどうでも良いことから、大きなものまで!
日々、何か目標にしていると、頑張りがいがありますよね?!
子供たちが海外に留学したので、海外に行くことが増えて、
今まで触れてこなかった文化や景色に出会えるので、海外に行くのが楽しくて仕方ないんです。
だから、手帳に楽しみ予定を大きく書いて、
『ここまで仕事頑張ったらアメリカだ~!』『2週間後、友達と飲み会だ~!』って(笑)
”Diamonds ”も若い頃に書いた曲で、夢とか大きなものを考えて書いたけど
この歳になって歌うと、どんな小さなことでも”わぁ”と思えることなら、
自分の人生において、それダイアモンドだなぁ、と。そういう風に考えると元気になれますよね。」
岸谷さんの弾き語りライブが開催されます。
【岸谷香 プレミアム弾き語り2マンライヴ】
6月9日(金) 名古屋 ダイアモンドホール『VSスガシカオ』
6月11日(日)大阪 心斎橋BIGCAT 『VS馬場俊英』
6月18日(日)東京 日本橋三井ホール 『VS miwa』
チケットに関してなど、詳細は こちら↓
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2週にわたり、岸谷さんをゲストにお迎えしました。
ありがとうございました!
M. STAY BLUE / 岸谷香