第394回 岸谷香さん②

ゲストは先週に引き続き、岸谷香さん。

http://kaorikishitani.com
https://ameblo.jp/kaori-kishitani/

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岸谷さんは、お母様の出身地:広島県で生まれました。
幼少期から、自宅にピアノがあったため、音楽が身近にある生活だったそう。
さらに、小学校には 電車・バス通学をしていたため

一人遊びが多い子供だった、と岸谷さんは振り返ります。

「その時に、遊んでいたのがピアノ、という感じかな。

 家にある詩集に、曲を付けてみたり。簡単にいえば弾き語りみたいな。
 ただ、うちの祖母は、”あの子は奇妙な歌を歌ってる”と母に伝えていたみたいです(笑)

 その後、大きくなってテレビの歌番組とか見るようになって、

 日本のバンドで最初に好きになったのが、ゴダイゴでした。

 あとは、宇宙戦艦ヤマトのサントラ盤が大好きで、コピーしていましたね。」

音楽を趣味として続ける中、学校ではいつも”伴奏係”。
付属の中学に進学した際、先輩からYMOのコピーバンドへのお誘いがあり

そのままバンドでキーボードを担当するようになったそう。

「だんだん後ろにいるだけじゃつまらなくなって、

 弦楽器持って前でウロウロして楽しみたい、と思って(笑)

 幼少期にアコギをねだって買ってもらった事もあったんですけど、

 とても弦を抑えられなかったので... ベースなら、弦は4本だし抑えられると思って!

 そしたら、学校にベースとベースアンプがあったので、それを独り占めして持って帰って

 それでやっていくうちに楽しくなってきちゃって、中学時代はバンドにハマってしまいました。

 環境によって、こういう人生に導かれてきた、ってすごく思いますね。」

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導かれるようにバンド活動を始めていった岸谷さん。

ボーカルを務めたバンド『プリンセス プリンセス』は、
東日本大地震をきっかけに2012年に再結成し、

ライブやフェス、紅白歌合戦にも出場されました。
最終的には、2012年の1年間が、再結成の活動期間となりました。

その2012年の復興活動収益金の総額が、5億円を超えました。

「復興支援のコンサートのチケット代を義援金にしようというのがことの始まりでした。

 私たちは、先頭で旗を降っていただけ...払ってくださったのが、ファンの皆さんです。
 そのお金は、いろんなところに相談して寄付しました。

 さらに、困っているところに寄付するのはもちろんですが、

 終わらない継続的な支援ができるようになればいいな、と思って。

 音楽はすぐには支援にならないけど、時間が経てば経つほど、

 人の心に癒しやエネルギーを与えられるかなと、長い意味でライブハウスを作ろう、となりました。」

音楽で継続的な支援を、という思いで仙台に作られたライブハウス『仙台PIT』。
岸谷さんは、今年3月11日もライブに参加されました。

「こういうことって、今日で終わり とかはないし。終わらない。
 もし何かで私ができなくなっても、

 ライブハウスがある限りは、こういう気持ちが引き継がれていく、と思っています。」


最後に、岸谷さんに『元気の源』を伺いました。

「『目標』だと思います。小さいどうでも良いことから、大きなものまで!

 日々、何か目標にしていると、頑張りがいがありますよね?!
 子供たちが海外に留学したので、海外に行くことが増えて、

 今まで触れてこなかった文化や景色に出会えるので、海外に行くのが楽しくて仕方ないんです。
 だから、手帳に楽しみ予定を大きく書いて、

 『ここまで仕事頑張ったらアメリカだ~!』『2週間後、友達と飲み会だ~!』って(笑)

 ”Diamonds ”も若い頃に書いた曲で、夢とか大きなものを考えて書いたけど

 この歳になって歌うと、どんな小さなことでも”わぁ”と思えることなら、

 自分の人生において、それダイアモンドだなぁ、と。そういう風に考えると元気になれますよね。」



岸谷さんの弾き語りライブが開催されます。
 

【岸谷香 プレミアム弾き語り2マンライヴ】

69() 名古屋 ダイアモンドホール『VSスガシカオ』

611()大阪 心斎橋BIGCAT  『VS馬場俊英』

618()東京 日本橋三井ホール 『VS miwa』


チケットに関してなど、詳細は こちら↓

https://ameblo.jp/kaori-kishitani/entry-12798663580.html




2週にわたり、岸谷さんをゲストにお迎えしました。
ありがとうございました!


M.  STAY BLUE  /  岸谷香