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浦浜さんは、少し開けてあるカーテンからの朝日で目を覚ますようにしているそう。
朝起きると、歯を磨き、水を飲み…いきなり掃除!
「まず家をキレイにして、自分の身もキレイにして、
休みだったら、そこから何しようかな~と考えますね。
通っているピラティスに行くこともありますけど、自宅にツールもあるんですけど、
あまり出来てないですね~(笑)作業が自宅でできないので
台本覚えるのも、何か原稿書くのも、外に出かけて作業するようにしています。」
4歳からキッズモデルとして活動を始め、
現在はモデルだけでなく、俳優としても活躍されている浦浜さん。
ご出身は兵庫県、幼少期はおとなしい子だったそう。
「子供の時の夢って無くて、物心がつく前からカメラ前に立っていたの
それが生活の一部になっていて、違和感がなかったんです。衣食住と、モデル、みたいな(笑)
これが特殊な環境なんだって気がついたのは、もう少し年を重ねてからです。
ただ、服を着せてもらって、カメラの前で撮影してもらったものが、何ヶ月後にカタログになって
自分の目で見られる面白さには、当時から気がついていたと思います。
現場でグズると、一緒に来てくれていた祖母に、
『仕事だからちゃんとして』って言われていたのも覚えてます(笑)
もしかしたら、今のプロ意識に繋がっているかもしれないので、感謝しています。」
15歳からコレクションデビューを果たし、
リアルタイムで反応をもらえる感覚や、プロたちが集まり1つのものを作り上げる現場に感動。
そこから、将来もモデルとしての仕事を続けたい、と思うようになったのだとか。
さらに、ラジオ番組のパーソナリティーや、MCなどマルチに活躍中。
話すことが好きになったのは、
16歳の時に音楽番組MCを担当した時からだった、と浦浜さんは振り返ります。
「自分から積極的に聞いていかないと、お相手も盛り上がらないし
会話のキャッチボールができない、と学びました。
無理にキャラクターを作るわけではなく、ギアを1つあげる、というコツを覚えて
こっちの方が楽しいな、と思うようになりました。」
来年でモデルデビューから、30年!
何か記念になるようなイベントをやりたいそうで、現在構想中だとか。
阪神淡路大震災当時、浦浜さんは兵庫県の実家で生活しており
揺れの恐怖を体験されています。
「朝方で寝てたんですけど、隣のベッドで寝ていた母が、揺れが始まってすぐに
私のベッドに飛び込んできて、頭から抱えて守ってくれた景色は今でも覚えています。
当時、4歳で何がなんだかわかっていなくて…
東日本大地震の後には、取材で気仙沼に伺いました。
津波被害の現場を目の当たりにした時、人が築き上げたものが一瞬で無くなる…
復興までの道のりも遠く感じて、その辛い気持ちを言葉にするのは難しいな、と思いました。
その時、20代前半で知識もなく、どう支援したらいいのかわからない状態だったので、
誰かのプロジェクトに賛同させていただく、という形でした。
その後の熊本地震の際は、いい加減、自分たちからアクションを起こそうと、
友人同士で集まって、生理用品やバスタオルなどSNSで欲しいという情報が出ていたものを
皆で配送して物資として送らせていただきました。
被災地じゃなく、復興地とポジティブに呼ばれるようになるためのアクションを
私も何かさせていただきたいな、思っています。」
最後に、浦浜さんの『元気の源』について伺いました。
「ハマっているアニメを見たり、連ドラ一気見してのめり込んだり。
自分の好きなものに没頭する時間を求めていくことです!
普段、モデルとしても俳優としても、演じる時間が多いので
自分に戻って地に足をつける作業として、大事にしています。
10代20代の時に思っていた30代って、もっと大人だと思っていたんですけど、
まだまだ意外にギャルマインドだなぁと思っています(笑)
ギャルマインドって、礼儀常識を重んじつつ、新しいものを作る力もあると思ってます。
変わらずに、ギャルマインド大事にしていきます(笑)」
2週にわたり、ありがとうございました!
M. Breathin' / FIVE NEW OLD