“1通のファンレター”で人生が一転! 大林素子「3日後ぐらいに自宅に電話がかかってきて…」当時のエピソードを明かす

お笑いコンビ・麒麟の川島明がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「SUBARU Wonderful Journey 土曜日のエウレカ」(毎週土曜 17:00~17:55)。「あなたの心を、ここではないどこかへ」をテーマに、ゲストの「ココロが動く(=エウレカ)思い入れのある場所」へと案内していきます。

7月15日(土)放送のお客様は、大林素子さんです。昨年CDデビューを果たし、歌手としても活動する大林さんが、バレーボールの道に進んだきっかけについて語ってくれました。


大林素子さん



1967年生まれ、東京都出身の大林さん。中学からバレーボールをはじめ、バレーの名門・八王子実践高校に進学。高校在学中に全日本の代表に選ばれます。1986年、日立の実業団チームに入団後は、182cmの長身を活かし、日本代表のエースアタッカーとしてソウル、バルセロナ、アトランタと3大会連続でオリンピックに出場。1995年には日本人初のプロ選手としてイタリア・セリエAでもプレーし、日本女子バレー界を牽引しました。
1997年に現役を引退してからは、タレントとしてテレビなどで幅広く活躍。2001年には、つんく♂さんのプロデュースで、アイドルユニット「デカモニ。」として歌手デビュー。昨年は“大林素子”名義で初のCDをリリースし、歌手としても注目を集めています。


TOKYO FMのラジオ番組「SUBARU Wonderful Journey 土曜日のエウレカ」(毎週土曜 17:00~17:55)7月15日(土)放送ゲスト:大林素子さん



◆チャンスを逃さず飛び込んだ“一流”の練習環境

川島:本格的に頭角が現れたのは、いつ頃だったか覚えていますか?

大林:中学生のときは東京の小平に住んでいたのですが、「日立」のバレーボールチームがあった場所なんです。そのことを知った私は、当時の監督である山田重雄監督、中田久美さんがいたチームに憧れがあり、「どうしたら入れるんだろう」と考えました。それで、まずは自分を知ってもらおうと思ってファンレターを出しました。(中田さん宛ての)ファンレターは、きっと1日に何百通も届いて、なかなか読んでもらえないと思い、「山田監督宛のファンレターはないんじゃないか」と思って送りました(笑)。

川島:失礼な話(笑)。でも、確かに監督宛のファンレターはなかなか来ない気がしますね。

大林:そう思いますよね。当時、やりとりする方法は電話と手紙しかなくて、突然行くこともできないので、一か八かでファンレターという形で出しました。「大林素子・中学2年生・176cm。小平市立第二中学校でバレーをやっています。どうしたらバレーが上手になるか教えてください」と書いて、追伸で「選手のサインをください」と書きました。本当の目的はサインなんですけど(笑)。

川島:監督からの返事はあったのでしょうか?

大林:3日後ぐらいに監督から自宅に電話がかかってきました。

川島:ええ!?

大林:最初はドッキリだと思いました(笑)。監督から「一度、体育館にいらっしゃい」と言っていただいて、私たちバレー部全員を連れて日立の体育館に練習見学をさせてもらうことになりました。当時は確か1981年で、その数年後に日立の江上由美さんや中田久美さんがロサンゼルスオリンピックで銅メダルを取ったんです。ちょうど見学に行ったとき、オリンピックに出るメンバーが練習に参加していたんです。

川島:生で見て本物に触れたんですね。

大林:はい。目的はサインと写真だったんですけど、監督から「来たんだから、大林さんもついでに練習しなさい」とその場で私だけ、数年後にメダルを取る人たちのなかにポンと入れられて練習しました。

川島:手紙を出したから代表で選ばれたと。どういった練習でした?

大林:遊びではない、普通のゲームのような練習でした。当時、日立のメンバーの12人中10人が日本代表だったんです。

川島:ベストメンバーのなかに入れてもらったと。体はうまく動きました?

大林:動くわけがないですよね(笑)。

川島:“神様”ばっかりやからね(笑)。

大林:緊張もあったし、まず、そもそも技術がなかったんです。空振りしたり、ひどい出来でしたが、入れてもらっただけで嬉しいじゃないですか。

川島:思い出ですよね。

大林:帰り際、山田監督から“言葉のお土産”をいただいたんです。「大林くんのプレーを見せてもらった。正直、まだ使えない。でも、もし君が本当にオリンピックに行きたかったら、明日からうちの練習に来なさい。そうしたら、次のオリンピックに出られるかもしれないよ」と言ってくださったんですよ。

川島:ええ~!?

大林:リップサービスだったかもしれないですけどね。

川島:でも、それなら「明日から来なさい」とは言わないですよね。「いつか一緒に仕事をしようね」というリップサービスとは違いますもん。

大林:そう言われたものだから、その気になって、本当に次の日に行ったんです。正直、「あっ、来た」みたいな感じでした(笑)。でも、それからきちんと受け入れてくれて、翌日から卒業するまで毎日、日立の練習に行きました。

川島:とんでもない成長ですよね。そこがなかったら、もしかしたら……。

大林:今の私はないです。

▶▶毎週土曜の55分間だけ営業する旅行会社EDC(=Eureka Drive Corporation)の社員たちが担当するPodcast番組AuDeeSpotifyも配信中です。

次回8月12日(土)のお客様は、宮藤官九郎さんです。

<番組概要>
番組名:SUBARU Wonderful Journey ~土曜日のエウレカ~
放送日時:毎週土曜 17:00~17:55放送
出演者:川島明(麒麟)

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