TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、ピンクの電話・竹内都子さんとソフトボール女子日本代表監督・宇津木麗華さん。ここでは、ソフトボール女子日本代表が13年ぶりに金メダルを獲得した2008年北京オリンピックを振り返りました。
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(左から)竹内都子さん、宇津木麗華さん
◆北京五輪での優勝を振り返る
竹内:ニンちゃん(宇津木さんの愛称)が日本代表監督になって何年目?
宇津木:ジャパンの監督は2011年からですかね。
竹内:ほな、もう12年も!?
宇津木:そうですね。その途中で、1年ぐらい若い子のチームを見ていたりしましたが。
竹内:早いな~(笑)。
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竹内:ニンちゃんが選手として出たオリンピックが、シドニー(2000年)とアテネ(2004年)?
宇津木:そうですね。アトランタオリンピック(1996年)のときは、すでに帰化していたんですけど、祖国(中国)が出場を許してくれなかったんです。北京オリンピック(2008年)のときは、日本人として出場するのは全然問題なかったんですけど、家族が中国にいるから(家族の)目の前で(祖国と)違うユニフォームを着て戦っている姿を見たら、残念に思ってしまうのではないかと思いまして、北京のときはちょっと……。
竹内:辞退しようと?
宇津木:そうですね。だけど、北京では金メダルを取って欲しかったので、アテネのあとに(監督をしていた実業団で一緒だった)上野由岐子選手を育てるためにアメリカに連れて行きました。
“上野に託す”という気持ちがすごく強かったですから、そういう思いもあり、(アテネ五輪後に)現役を引退しました。
ただ指導者として“上野に託す”と言っても結構難しいんですよ。選手たちの気持ちも理解しながら、指導しなければならないので。なので、上野ともまっすぐ向き合っていろいろな話をしながら、最終的に上野自身が「監督に任せます」と言ってくれたので、一緒にアメリカに行って私自身が研究してきた3種類ぐらいのボールを(使って)実戦で勉強してみましょうと、2人で2週間以上滞在しましたね。そこから、上野がすごく変わっていきました。
竹内:じゃあ、それがなかったら、北京で優勝できたかどうかは分からないと。
宇津木:そうですね。シドニー(のアメリカとの決勝戦)では、1点を先制したんですけど、最後に打たれて逆転負けをして、アテネのときもピッチャーがあまりよくなかったので、北京(で優勝した瞬間)は“ホッとした”というよりも“上野、よくやってくれた!”っていう気持ちでした。
竹内:優勝した後に、空港でニンちゃんが上野選手を出迎えた映像をテレビで観ていたときは涙が止まらなかった。上野さんが出口から出てきたと思ったら、すぐニンちゃんを探してんねん。子どもが親を探しているみたいに一生懸命探してさ。
宇津木:でも、正直に言うと“(空港に)行きたくない”っていう気持ちもあったんですよ。でも、上野が「どうしても、監督にメダルをかけてほしい」という連絡もらったので。でも、目立つところに行くのはあまり好きじゃなかったから(笑)。
竹内:私やったら、上野さんを待っているときから号泣してしまうわ(笑)。
<番組概要>
番組名:TOKYO SPEAKEASY
放送日時:毎週月-木曜 25:00~26:00