長きにわりアメリカの音楽界で活躍、貢献した、
音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズが、
11月3日にカリフォルニア州にある自宅で息を引き取りました。91歳でした。
クインシーを初めて知ったのは、マイケル・ジャクソンのアルバム「Off The Wall」
中でも「Rock With You」のミュージッククリップに心を奪われました。
当時は「スリラー」が話題になっていて、マイケル・ジャクソンは時の人。
経歴を辿ってジャクソン5の活動を知り、天才少年であったことも知りました。
でも「Rock With You」の動画中のマイケルは、
これまで見たことのない伸びやかな表情とダンス。
歌い方のフェイクの仕方も、かなり大胆。
セットも何もなく、ただマイケルが歌い踊るだけなのに
全く飽きずにずっと見ていられる。
勝手な解釈ですが、これまでのアイドルグループ、
ジャクソン5/ジャクソンズから解放され、
一人のアーチストとしての自由を謳歌している感じで、
今見ても涙が出るほどイキイキとしている。
プロデュースしたのは誰だろうと興味を持ち、クインシー・ジョーンズだとわかった。
ちなみに、クインシーをプロデューサーとして迎えたいと希望したのはマイケルで、
この時、マイケルとクインシーは3枚のアルバムを制作する契約を交わし、
79年『オフ・ザ・ウォール』、82年『スリラー』、87年『BAD』を発表しています。
当時のMTV は、白人ロック専門放送局として認知されていて、
放映されるのは白人アーチストのミュージックビデオだけでした。
83年の「ビリージーン」が、黒人アーチストとして初めてMTVで放映され、
「スリラー」がミュージックビデオの概念を変えます。
『ブルース・ブラザーズ』のジョン・ランディス監督を迎え、
約14分のショートフイルムを制作。
「スリラー」のビデオ撮影についてクインシーは、
「現場では、なにがどうなっているのか、マイケルもさっぱりわかていなかったよ。
結構、ぶっ飛んだものを詰め込んでいたから、8か月くらいして分かってくれるんだ」
とコメントしています。
制作費は当時のMVの平均制作費の10倍の約1億2000万円。
マイケルが狼男に変身し、ゾンビ・ダンスをするストーリーは話題になりました。
その後、クインシーの色々な曲を聴くようになりました。
特に好きなのは1999年リリース、2枚組のアルバム『From Q With Love』
マイケル・ジャクソンはもちろんですが、
ジョージ・ベンソンやパティ・オースティンなどベテラン勢が
普段とは違う曲を歌っており、そして、どれもフィットしてしています。
プロデューサーとして名高いクインシーですが、元々はトランペット奏者で、
ジャズとソウルの分野において、マイルス・デイヴィス、レイ・チャールズ、
フランク・シナトラ、ジョージ・ベンソンなど、レジェンド・アーチストとも共演。
音楽プロデューサー、編曲者、作曲家として活躍し、
フランク・シナトラ、マイケル・ジャクソン、ポール・サイモン、
アレサ・フランクリンらの名曲を手掛けています。
1985年には、マイケル・ジャクソン、ティーヴィー・ワンダー、ビリー・ジョエル、
ブルース・スプリングスティーンといった、43名の大物アーチストをまとめ上げ、
チャリティソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」をプロデュース。
3つのグラミー賞を受賞するなど、世界的に大ヒットを記録しました。
長年のキャリアの中で、グラミー賞に80回ノミネートされ、28回受賞。
67年公開の映画『冷血』では、初のアカデミー賞ノミネートを果たしています。
また、ビッグバンドのアレンジなどで活躍していて、
60年代には、自身のビッグバンド「Quincy Jones and His Orchestra」を結成。
そのためブラスにラテンの要素が加わった独自の世界が生まれたのではないか。
ビッグバンド、ラテンの香りを感じる2曲を。どちらもイントロが印象的。
まずは、「ソウルボサノバ」。
62年リリースのヒット曲「ソウルボサノバ」
CMで聞いたことがある方も多いでは?
97年制作のアメリカ映画「オースティン・パワーズ」では、
テーマ曲として使われていました。
続いては「アイアンサイド」。
70年代のアメリカの刑事ドラマ『鬼警部アイアンサイド』のテーマ曲「アイアンサイド」
日本では、ワイドショーやバラエティで使われていました。
また、映画『キル・ビル』でも使われているので、印象に残っている方もいるのでは?
2013年にコンサートを観に行きました。
来日は32年ぶり、当時80歳。
会場は、東京有楽町の国際フォーラム A。
ステージにいるだけで存在感があります。
歌手やミュージシャンが尊敬の念で奏でているのが伝わり、
あたたかさあふれるコンサートでした。
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