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村上春樹「彼らの音楽と同時代を過ごせてよかった」サイモン&ガーファンクルを聴いていた10代を語る

作家・村上春樹さんがディスクジョッキーをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「村上RADIO」(毎月最終日曜 19:00~19:55)。12月29日(日)の放送は「村上RADIO~ポール・サイモン・ソングブック~」をオンエア。好評の「ソングブック」シリーズ第6弾は、1960年代、70年代を代表するシンガー・ソングライターで、アート・ガーファンクルとの音楽ユニット「サイモン&ガーファンクル」として一世を風靡したポール・サイモン特集。この記事では、オープニングトークと前半1曲について語ったパートを紹介します。



こんばんは、村上春樹です。村上RADIO、今日は「ポール・サイモン・ソングブック」をお届けします。

<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」

ポール・サイモンは1960年代、70年代を代表するシンガー・ソングライターの1人です。1941年生まれ、少年時代をニューヨークのクイーンズ地区で送りました。両親はハンガリー出身のユダヤ系移民、お父さんはニューヨーク大学で教えながら、ダブルベースを弾いてバンドを組織するという、かなり忙しい人生を送った人でした。ポール少年はそういう自由な環境で、野球と黒人音楽に熱くのめり込んでいきました。今でもヤンキースの熱烈なファンとして知られています。でもなぜかよく阪神タイガースのキャップをかぶっていましたけどね。

僕は10代の頃、サイモン&ガーファンクルの音楽を同時代のものとして聴いていたのですが、正直言って、それほど熱心にはフォローしていなかったです。「ああ、なかなか悪くないな」くらいの感じで淡々と聴いていました。当時はビートルズとかストーンズとかビーチ・ボーイズとか、そういう強烈な主張を持ったバンドが他にたくさんいたから、そっちのほうに目が行っていたというか……。でも今になって聴き返してみると、彼らの歌声も間違いなくひとつの時代を特徴づけていたんだなと、あらためて実感します。彼らの音楽と同時代を過ごせてよかった。数多くの素敵な曲があります。



◆Paul Simon「The Sound of Silence」
ポールとデュエットを組んだ相棒のアート・ガーファンクルは、やはり同じ年にニューヨーク・シティで生まれています。誕生日は1ヵ月も違いません。2人はニューヨークの同じ小学校に通っていて、6年生のときに一緒に歌い始めます。最初はドゥワップを中心に歌っていたんだけど、途中からポールの作ったオリジナルの曲を歌い始め、そのうちのひとつ「ヘイ、スクールガール」がレコード会社のプロデューサーの目にとまり、レコーディングをして、ヒットチャートに入ります。このときのグループの名前は「トム&ジェリー」でした。

でもそのあとヒットは続かず、グループは解散したのですが、1962年に2人は再会し、デュオ・グループを新たに組み、コロムビア・レコードと契約します。「サイモン&ガーファンクル」の誕生です。それまでにサイモンはかなりの数の曲を書きためていました。そして1964年にアルバム『水曜の朝、午前3時』を録音して発売しますが、これはほとんど評判になりませんでした。「ああ、またボブ・ディランの真似っこか」と思われて、ろくに相手にされなかったんです。

それでがっかりしたサイモンは単身ヨーロッパに出かけて、そこでふらふら気楽な生活を送っていたのですが、そのときアメリカから、シングルカットされた「サウンド・オブ・サイレンス」がヒットチャートの1位をとったという一報が入ります。そりゃ、びっくりしますよね。寝耳に水っていうか。

ポール・サイモン本人の歌で聴いてください。サイモン&ガーファンクルがブレークする前、ポールが旅先のロンドンで1人で吹き込んだアルバムに収められていました。「サウンド・オブ・サイレンス」。

僕が初めて聴いたサイモン&ガーファンクルはこの「サウンド・オブ・サイレンス」でした。高校生のときですね。そのときちょっと思ったのは、「こういう音楽ってこれまでなかったな」ということでした。メロディーはありきたりのものじゃないし、歌詞もなんだか意味深そうだし、ロックでもないし、フォークでもないし……。そういう斬新さに心が惹かれました。サイモンは大学で英文学を専攻していただけあって、その歌詞はかなり知的というか、文学的です。そういうこともあって、彼の作る曲にはどことなく内向的な影がついてまわります。そういうのが好きな人もいれば、あまり好きじゃないという人もいるでしょうね。

サイモンはそれまでの不遇時代に書きためていた曲を、次々に録音して発表します。アルバムでいうと『サウンド・オブ・サイレンス』と『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』の2枚、そこからカットされた「早く家へ帰りたい」「アイ・アム・ア・ロック」、「スカボロー・フェア」といった曲が人気を呼びました。サイモンとガーファンクルの成功の要因は、彼らの曲が若者にも大人にも同じように受け入れられたという点にあります。若者たちはそこに新しい息吹を嗅ぎ取り、大人たちはそこにこれまでのポップソングには見受けられなかった、若々しい知性を感じ取ったんですね。

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12月29日(日)放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 1月6日(月)AM 4:59 まで
※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。

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<番組概要>
番組名:村上RADIO~ポール・サイモン・ソングブック~
放送日時:2024年12月29日(日)19:00~19:55
パーソナリティ:村上春樹
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

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