幼稚園年長のとき、園庭でニワトリを飼うことになった。
園児たちが持ち回りで餌をあげ、鶏小屋の掃除をしてお世話をすることになったのだが、当時2歳下の妹のお世話に生きがいを感じていた僕は、より小さな庇護すべき対象を見つけたことで燃えに燃えていた。担当でない日も毎日鶏小屋にいっては優しくコケコケッコーとニワトリ語で声をかけていたほどだ。
そんな平和な幼稚園の鶏小屋に、ある日大事件が起きる。
その日も朝早く登園して、鶏小屋に一番乗りした僕は、敷き詰めた藁の片隅に、白く輝く球体を発見したのだ。そう、卵である。
眼の前で輝く、新たな命を宿した存在に生命の神秘を感じ大興奮した僕は大声で先生を呼んだ。何事かと駆けつけた先生方に、僕が発見したのだからお世話を任せてほしい、寝ないでずっとそばにいるからというような狂気じみた提案をしたのを今でも覚えている。先生方がなにやら相談していると、のっそりとニワトリ小屋に近づいて来る男がいた。
猿組園長である。
ティアドロップのグラデーションがかったサングラスに、パンチパーマとまではいかないが、パーマのかかった短めの髪の毛、クレヨンしんちゃんにでてくる組長先生をぎゅっと潰したような実に怪しい風貌の男が猿組園長だった。
この猿組園長という名前が自称だったのか、うちの親がつけたあだ名だったのかは覚えていないが、キャーキャー騒ぐ園児たちを束ねるサル山のボス、ということで猿組園長と呼ばれていたのだ。
教育にはとても似つかわしくない反社会的な雰囲気をまとったこの男は、卵を見つけると、ひょいっと無造作に取り上げて園児たちを園庭に集合させた。
壇上に上がった猿組園長は、今朝ニワトリが卵を産んだことを告げると、おもむろにポケットから車のキーを取り出して、あろうことか卵にコンコンと叩きつけた。園児から抗議の声があがるがそんなものは意に介さず、手早く殻を割り口元にもっていくと、美味しそうにチュるりと中身を一気に飲み干したのだ。
園児たちは眼の前でおきた光景が信じられず、怒号をあげた。なんで、ひどい、かわいそう!鬼!バカ!あほ!でべそ!!思いつく限りの拙い語彙で、罵声を浴びせかけた。
猿組園長はそんな園児たちを「へへーん、もう食っちゃったもんねー」と煽ると壇上から逃げるように去っていった。
生態系や弱肉強食、社会の構造など言葉では説明しきれないこの世の理みたいなものを実学として肌で感じてもらおうとこんなことをしたと、今でこそわかっているが、当時5歳だった僕は猿組園長を憎んだ。
この世に生を受け5年、初めて身近に「悪」を見つけた気になって、猿組園長を見つけては敵討ちと言わんばかりに勝負を挑んでいった。そのたびにきちんと真正面から勝負を受けて、大人の余裕でいなしてはいつでもかかってこいと去っていった猿組園長は、子どもではなく一人の男として僕のことを対等に見てくれた初めての他人だったように思う。
さて、卒園にあたって猿組園長は園児一人一人に自ら描いた油絵をプレゼントしてくれた。つくづく粋なことをする人ではないか。親友のしろかず君には彼の笑顔のような大輪の黄色いチューリップの絵を、僕の初恋の相手であるりなちゃんには可愛らしい赤いソファーが印象的な絵をそれぞれ贈っていた。実に各人にぴったりな絵だと、子どもながらに思ったものである。
はたして、僕に贈られたのは夕暮れ時の港に停泊する数々の船を遠景で捉えた、郷愁を誘うような切なくも穏やかな、それはそれは渋い風景画だった。
この作品に込められたナニカに想いをはせるたびに、38歳になった今も、猿山園長先生の憎らしい顔を思い出す。未だにナニカの答えは見つかっていない。
