『TOYS IN THE ATTIC 闇夜のへヴィ・ロック/AEROSMITH』

ラジオマンによる名盤リコメンド!

エアロスミス。ベストアルバム以外のオリジナルアルバムで、アメリカで一番売れた作品はどれでしょうか?

87年の大復活作『パーマネント・バケイション』?
1989年の名作『パンプ』?
1993年のメガヒット作『GET A GRIP』?
いや、70年代の最高傑作『ROCKS』?

いやいや、違うみたいです。

答えは、1975年のサードアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック:TOYS IN THE ATTIC』。3年以上もチャートに居座り続けて、その後も売れ続けて、結局アメリカだけで800万枚以上を売った、と言われています。

ブリティッシュバンド:ストーンズやヤードバーズが大好きだったアメリカ:ボストンの若者たちが、自分たちだけのロックンロールをはっきりと見つけ出した瞬間。1975年のこの名盤はそんな創造力、勢いがピークのときの、ルーズでセクシーで、カッコよくて、ヘヴィな音がパッケージされています。“アルマゲドンの曲の人でしょ!”という事しか知らない人にこそ知って欲しい!そんな作品です。

エアロスミスは、アメリカ、マサチューセッツ州のボストンで、1970年に結成。ボーカリストのスティーブン・タイラーは、当時、すでにプロのボーカリストでドラマー。でも、バンドはあまり上手く言ってなかった。ということで、新バンドのメンバーを探していました。そんな中、クラブで偶然目にしたのがギタリストのジョー・ペリーとベースのトム・ハミルトン。かなりヘタクソだったけど、とにかくエネルギッシュでロックしていた彼らの演奏に夢中になったスティーブンは、そこに友人のドラマー:ジョーイ・クレイマー、そして、名門:バークリー音楽院を卒業した腕利きのギタリスト:ブラッド・ウィットフォードを迎え入れてエアロスミスを結成しました。テーマは、ブリティッシュロックを自分たちのフィルターを通して、アメリカ人として表現すること!でも、1971年のデビュー当時は、まだまだでした。演奏技術も録音技術も、まだ自分たちの愛するブリティッシュバンドの足元にも及ばない。マスコミは、ストーンズやツェッペリンの安っぽいコピーだ!と彼らを酷評しました。

1971年のファーストアルバム、1974年のセカンドアルバムではなかなか結果が出せなかった彼らですが、地道にドサ周りのようなツアーは続けて、その中で自分たちなりのアメリカ的、大陸的なスケールの大きなハードなロックナンバーを完成させ始めていました。

そんな中、完成させたのが、「闇夜のヘヴィ・ロック:TOYS IN THE ATTIC」。

トム・ハミルトンのトリップさせてくれるようなベースリフ。そして、ジョー・ペリーのトーキング・モジュレーターが魅力的な“SWEET EMOTION”。そして、1986年にHIP HOPの先駆者的な存在:RUN DMCとの共演でエアロが一気に復活するキッカケにもなった“WALK THIS WAY”も収録されています。40年前とは思えない先見性。HIP HOPがまだ存在しない時代に、これだけのものを作っていた、という事実に驚きます。しかも、これがギターのジョー・ペリー作、というのも驚きです。いまだにスティーヴン・タイラーは、“自分が書く曲はあの曲を超えられない”と悔しがっているほどの、奇跡的な名曲です。

そして、とにかくこの作品は、“ROLL”してます。ROCKのサウンドの中に、とてつもないバンド独自のグルーヴが渦巻いていて、とにかく乗せられる!!だから何度聴いても飽きない。音楽業界内では、“エイトビートがカッコいいバンドは一生飯が食える!”といわれることがありますが、まさにその通り!シンプルなビートが本当に痺れるほどにカッコいいのです!

さて、このアルバムで一気にアメリカの若手人気バンドの筆頭になるエアロスミス。同時期のKISS、CHEAP TRICKと共に、1970年代のアメリカのハードロック3大バンドとして活躍します。しかし、その後もお決まりのパターン。

ドラッグに溺れて、ライブは飛ばして、作品の質も急激にダウン。そして、バンドの中心メンバー:ジョー・ペリーはバンドを脱退。1980年代初頭には、バンドは完全に過去の遺物になってしまいました。ただ、そこからが凄かった!1984年にはオリジナルメンバーでバンドを再結成!ドラッグを断ち切って、また全盛期のライブパフォーマンスを取り戻した彼らは、凄腕のプロデューサーと共に、第2期黄金期へと入っていきます。ただ、個人的にはオーバープロデュースな作品が多い気が・・・。やはり、怪しい輝きを放っている70年代のエアロこそがエアロスミス!!だと思ってしまいますねぇ。

<JFNプロデューサー 増田博長>

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