2017.11.29~ 「DRUM TAOとの出会い」

第166回 ゲストは、和太鼓エンターテイメント集団 DRUM TAOの座長、西亜里沙さんです。 http://www.drum-tao.com

西さんは、鹿児島県指宿市のご出身。
指宿市商業高等学校卒業後、
世界で活躍する和太鼓エンターテイメント集団DRUM TAOに入団。
現在では、座長を務められています。

杏子「実際に会うと、小柄で!花柄のプリントスカートに、革ジャン。
   髪の毛まとめられて。にしても、小さい!」

西「よく言われますね〜。お客さまにも、
  男性と同じくらい、身長あると思ってたって言われます。」

DRUM TAOは1993年結成で、今年で25年。
“TAO”とは、工学者でロケット開発の父とも呼ばれる
糸川英夫さんがつけてくださった名前だそう。

西「結成当時は、8人から、10人ほどだって聞いています。
  私は、結成3、4年目の時に入団しました。」

杏子「入団のきっかけは、どこかでTAOを見たの?」

西「そんなんです。地元の熊本に来たんです。最初は興味なかったんですけど(笑)
  1時間もあって、チケット代もかかるし、
  その時はまだ高校生ですから! 誘いを断っていたんです。
  ずっと小学生の時から吹奏楽をやっていたので、
  演奏会を見に行くことはあっても…和太鼓はね。
  結局は、ごり押しで連れて行かれて。それで見たら、
  もう、すごい衝撃で。そこから、ハマっちゃって。」

杏子「今のTAOは、太鼓の大きさもいろいろだし、
   篠笛も、お琴もあるじゃないですか。
   でも、その時は、10人くらいだったんですよね?」

西「その時のTAOは、シンプルなんですけど
  照明を使ったり、舞台装置があって。
  楽曲も、イメージする和太鼓の曲じゃなくて
  グルーブを感じるようなもので、”和太鼓って楽器”なんだって
  音の響き、メロディーを感じたんです。」

その後、和太鼓に興味が湧くようになり、
年の離れた兄弟の通っていた保育園にある
和太鼓を触るようになっていきました。

西「私の家族も和太鼓に興味が出るようになっていって、
  婦人会とか青年団たちもやりたいって言い出して、
  チーム作ることになったんですよ!保育園の和太鼓しかないのに(笑)」

杏子「えー!」

西「そしたら、TAOが近くまでまた来ることになって。
  もう、22、23年前で、まだTAOの名前も
  まだまだ知られていない時期で、地方のチームと
  コラボレーションするっていう企画でお声がけがあったんです。
  私たち、すごい田舎なので、もう軽いノリで、”やろう!”って」

和太鼓の先生探しをしていると、西さんの通っている高校に
なんと和太鼓部があることが発覚!
先生をついに見つけ出し、西さんが楽譜を書き、
楽譜の読めないチームのみんなに1から教えていくようになりました。
楽器も足りないので、車のタイヤなどで練習していたとか!

西「TAOと共演するからって、みんな必死で。本番は、TAOの太鼓を借りて。
  その時の興奮とか、感動とか、ものすごくて今でも忘れられないですね。
  その共演を見た町長さんが、”和太鼓買ってやらないかん!”って(笑)」

杏子「ええーー素敵〜!」

西「でも、どこで楽器買えば良いかわからないから、TAOに聞いて、
  同じものを揃えていただきました。」

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