ゲスト:文月悠光(詩人)
臆病だけれどもそれだけではなくなった
文月悠光さんの最新刊「臆病な詩人、街へ出る。」
史上最年少で中原中也賞を受賞した女子高校生は、年を経てやがて大学生になり卒業した。華々しいデビュー以来、周りの期待に応えなければというプレッシャーの中、彼女は色々なことに対し臆病になり、一歩踏み出せない状態となる。そんな中、編集者との話で、一歩踏み出せないことに対する挑戦をエッセイとして連載しないかという提案がなされる。一歩踏み出せなかった事柄の中には、“近所の八百屋で買い物をする”“TSUTAYAでレンタルをする”などといった、人によっては取るに足らないと思えるようなものも含まれる。だが文月さんにとっては紛れもない挑戦であり、冒険であるのだ。
怖いものが全くない者は存在しない(仮に存在するとしたら、怖いもの知らずの果てに、より強き者によって、早晩滅んでしまうであろう)。それと同じ文脈で、全てのものが怖いという究極の臆病者も現実的ではないだろう。全ての者は、究極の怖いもの知らずと究極の臆病者の間のグラデーションの中にいるはずである。そのあわいは十人十色、百人百様であるが、少なくとも自らの臆病さを自覚しそれに対するアクションを起こすことによって、対自分比で変容は起こる。文月さんはそのアクション、そしてそれを書き留めてエッセイとして発表する、ということを通して、人はグラデーションの中を様々に動きうるものなのだということを教えてくれる。
さあ、2年ほどの連載で、文月さんはどう変容したのか。文筆を生業とする者の矜持も滲み出てくる冒険譚は、一人の人間の成長物語でもある。
「臆病で あると自ら 知ることが
成長せしむる種となる」
P.S.「言葉を使って、別の言葉を解きほぐしたい」という旨の発言がありました。まさにこれぞ言葉を紡ぐ職人の言。