荒川:高橋さんは金メダル候補と言われ続けて、そのプレッシャーをどうやって乗り越えられたのですか?
高橋:いやぁ~。プレッシャーよりもその日の監督のハードな練習に
付き合う方が私にとっては大きかったです。
その練習をいかにこなすかばかり考えていました!
今日1日をどれだけ頑張れるかが最善方法でした。
荒川:金メダルを取るまで以上に取ってからの方が難しくなるように
見えるのですが、いかがですか?
高橋:あまりなかったですね~。目指すときも含めて、
自分のタイムの事を考えて走っていたりするので、
1番になったから何かが変わったってことはないです。
それよりも前の自分の負けないように前の自分に
勝てるようにどうしたらいいかを考え、
自分自身と向き合う事ばかりしていました。
荒川:常に自分のベストを越えていくという事ですね。
高橋:そうですね。
高橋:今日は、荒川静香さんのYOUR OLYMPIC!
荒川さんは、1998年の長野と2006年のトリノ大会に出場されています。
高校1年生に出場された時はどういうお気持ちでしたか?
荒川:オリンピックに携わる人にとって、オリンピックって夢であり
憧れである高いだと思うんですが、
やはりどこか夢の中に入っていくという感覚が私の中にはありまして、
もう行き当たりばったりが
ピッタリのオリンピックだったように思うんです。
それが長野だったので、今思うともったいなかった・・・。
もっと選手としての自覚をもって立ちたかったという
思いでがあります。
ただ、初めてのオリンピックを経験したからこそ、
次のオリンピックにつなげられました。
とても大切な体験でした。
高橋:1998年の冬、高校1年生ですが、地元で行われたオリンピックは
違いましたか?
荒川:トリノを経験して、やはり自国開催の長野オリンピックは独特な
雰囲気があったんだなって思いました。
その経験を経て、これ以上の大会はないということを考えると全ての
試合があまり大きな緊張に
変わらなくなったと言う不思議な体験もしました。
高橋:長野オリンピックの荒川さんはとてつもない緊張感を味わった
という事ですか?
荒川:もう全日本選手権からオリンピックが終わるフリーの瞬間まで
ずーっと緊張し続けているから、
いつ緊張すべきなのか、いつ集中すべきなのか全く作れない、
そして一番大事な時に失速してしまう・・。
という気持ちのコントロールの難しさをオリンピックでは感じました。
高橋:そういう経験をやはりされているんですね。
高橋:ソルトレイクは選ばれることができませんでしたが、
どうやってまたオリンピックを目指そうと気持ちを切り
替えられたのですか?
荒川:私がソルトレイクオリンピックシーズンを迎えたときは、
19歳~20歳の頃でした。
そのころに見たアイスショーですね。
競い合う世界ではなく、創り上げる世界でした。
素敵だな~と思い、そこに憧れを抱きました。
そこで、じゃあ関わっているスケーターがどういうスケーター
かっていうと、
世界チャンピオンやオリンピックメダリストで、
これはある意味就職活動だと思いました。
高橋:就職活動!?(笑)
荒川:この時普通に就職活動をしていた時期でもあったんです。
高橋:そうなんですか?
荒川:そうなんです(笑)知らないと思いますが。アイスショーの舞台を
見て頑張ったらいけるかもしれないと思った瞬間から、
目標がやっとスケートにおいては見えてきました。
それまでは、これまでやってきたスケート生活を終えるために、
「終」と書いた終活をしていました。
そこから就職活動に変わったのが大きな機転になりました。
高橋:そして、トリノオリンピックなのですが、私もあの時はチームQを
結成して、ちょうど朝の練習まで、優勝するのかしないのかという
タイミングで、優勝を見届けてから朝練に出ました。
そうしたらジョギングだったのに気合が入りすぎてとても早く走った
覚えがあります。
高橋:トリノオリンピックが終わった後にアイスショーへの転向は
決められていたのですか?
荒川:もうこれは、オリンピックを滑っている途中に感じました。
あ、これが私の最後の競技の滑りだっていうのを思いながら、
いろんなことが走馬灯のようにフラッシュバックして滑っていました。
今でも、鮮明に覚えています。
高橋:トリノは新たな人生をつかんだ瞬間だったという事ですか?
荒川:そうですね~、次への扉が開いた感覚ではあります。