#6『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト

是非これを見ながら聴いてください!



今月のテーマ:「ミシェル・ルグラン:人生、音楽のように、映画のように」(第1回:オーケストラ&ジャズ作品)
パーソナリティ:濱田高志(アンソロジスト)


<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>

― 今月は「ミシェル・ルグラン:人生、音楽のように、映画のように」と題して、今年1月に亡くなったフランスを代表する作曲家ミシェル・ルグランの世界を紐解いていきます。
ミシェル・ルグランは、ポップス、ジャズ、映画音楽…と幅広いジャンルで作品を発表しましたが、今回は、彼が手がけた「オーケストラおよびジャズ作品」を中心にお届けします。

1「Di-Gue-Ding Ding」Michel Legrand
日本では整髪料、フランス本国では清涼飲料のCMに使われておなじみの曲。
歌っているのは、スウィングル・シンガーズのリーダー、ワード・スウィングル。
アルバムにクレジットはありませんが、ミシェル本人から聞いたので間違えありません。

一 ミシェルの名を世に知らしめたのは、1954年に発表したアルバム『I Love Paris』の大ヒットでした。
このアルバムはパリにちなんだ曲を集めた企画盤で、ジャック・カネッティと、ナット・シャピロ(コロンビアのディレクター)の勧めにより、ある種のトライアルとして作ったものでした。
これが大ヒットし、ローマ、ウィーン、スペイン、ブラジルと、シリーズ化されました。

2「A Paris」Michel Legrand(アルバム『I Love Paris』から)
曲中の口笛は、このアルバムに特別参加している、フランシス・ルマルクのもので、フランシスは、ミシェルが大恩人と感じているシンガーソングライターです。この「A Paris」は、イヴ・モンタンの歌唱でヒットしました。
フランシスとミシェルは、映画音楽をたくさん共作しています。
フランシスは、譜面が書けないので、フランシスが口ずさんだり、ギターでつま弾いたものを、ミシェルが採譜・アレンジをして、共同名義で映画音楽を発表していました。

一 『I Love Paris』のヒットのご褒美として、レコード会社はミシェルに、オリジナルアルバムを制作することを提案しました。そこでできたのが、有名なジャズアルバム『Legrand Jazz』です。

3「The Jitterbug Waltz」Michel Legrand(アルバム『Legrand Jazz』から)
『Legrand Jazz』は、1958年に発表したアルバムで、最初の奥さんクリスティーヌとの新婚旅行を兼ねて、アメリカで制作されました。
マイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、ハービー・マン、フィル・ウッズらが参加しました。

― 『Legrand Jazz』制作当時のことをミシェルが回想いたインタビューをご紹介します。
「スタジオ作業に入る前にナットから聞かされていたんだ。
マイルスに認められれば、ここでの仕事を続けることができるだろう。しかし拒否されればそれで終わりだ。
彼はいつも録音スタジオに遅れてやってきて、入り口付近で立ったまましばらく演奏を聴いている。
そして、音楽を気に入れば、座ってケースから楽器を取り出して演奏を始めるが、気に入らなければそのまま帰ってしまい、その後彼とは二度と連絡を取ることができなくなる。
当時の私はまだ若く、26歳になったばかりだった。あの日は緊張のあまり死にそうだった。
マイルスはスタジオについてから5分後にトランペットを取り出したんだ。あの時は救われたと思ったよ。
最初のテイクのあと、彼から「こんな演奏でよかったかな?」と聞かれたんだが、そのときの驚きといったら。
それからというもの、ニューヨークでは私にすべての扉が開かれて、どのクラブでも受け入れらるようになった。
マイルスが扉を開けてくれたんだ。」と述懐しています。

4「Fast Food」Michel Legrand(アルバム『Le Petit Journal』より)
1995年に発売されたジャズアルバム『Le Petit Journal』から。若手ジャズメンとともに録音したアルバムで、アルバム名は、ミシェルのホームグラウンドである、パリのクラブの名前から。