気になるアーティストを50音順に、坂崎幸之助が独断と偏見で
紹介している≪坂番洋楽データファイル≫(略してSYDF)
今回は「ヘ」の付くアーティスト6回目
↑↑ リクエストが多かったサングラスで…。
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『ベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)』
★1923年10月16日、ドイツ・ハンブルク生まれ(1980年6月21日 56歳没)。
1950年代からレコード会社のプロデューサーを務めるかたわら、
自らの楽団を率いての音楽活動をスタート。
楽団で発表した数々の楽曲は次々にヒット。
中でも1960年にリリースした曲は本国ドイツをはじめ、ヨーロッパ、
日本でも大ヒット。
アメリカでも翌1961年にシングルチャート1位を記録しています。
♪星空のブルース(Wonderland By Night)
*日本では、往年のラジオ番組『P盤アワー』のテーマ曲として
使われていました。
★ちなみにベルト・ケンプフェルトは、プロデューサー時代に
【ビートルズ】の1961年~62年にかけてのハンブルク時代のセッション、
通称≪ポリドール・セッション≫のレコーディング・制作を担当。
『ベル・ビヴ・デヴォー(Bell Biv DeVoe)』
★1990年、大人気ボーイズグループ【ニュー・エディション】のメンバーだった
リッキー・ベル、マイケル・ビヴンス、ロニー・デヴォーの3人が結成した
ヒップホップユニット。
当時、最先端だったブラックミュージックの音楽スタイル
≪ニュージャック・スウィング≫の代表格として、デビューアルバム
『ポイズン』をリリース。アルバム、シングル共に大ヒットしました。
♪ポイズン(Poison)
*1990年・全米3位を記録。
*この曲を含むアルバム『ポイズン(Poison)』は全米だけでも
400万枚以上のセールスを記録。
『ペレス・プラード(Perez Prado)』
★1916年12月11日、キューバ・マタンサス生まれ(1989年 73歳没)。
バンドリーダー、作曲家、ピアニスト、そして世界的な「マンボの王様(Mambo King)」。
1940年代にキューバの首都ハバナで流行していたルンバに、
ジャズの要素を取り入れた新しいリズム“マンボ”。
この“マンボ”に魅了されたペレス・プラードは
キューバで普及させようとしますが受け入れられず、1948年メキシコへ移住。
そこで自らの名前を冠した【ペレス・プラード楽団】を結成。
メキシコを中心に実績を重ね人気を博し、その勢いをかってアメリカへ進出。
1955年に発表した楽曲は、映画『海底の黄金』のテーマ曲になったこともあって
大ヒット。
何と、全米シングルチャートで10週連続の1位という快挙を達成しています。
♪セレソローサ(チェリー・ピンク・チャチャ)
*"Cerezo Rosa"=「桜のピンク色」
オリジナルは「バラ色のサクランボの木と白いリンゴの木」
というシャンソン。
★“ペレス・プラード”は「指揮をしながらステージの上で所狭しと踊り、
飛び跳ね、独特の掛け声を発して楽団を盛り上げる」という
バンドリーダーとしてのスタイルで日本でも大人気に。
1956年の初来日以来、17回も日本公演を行なっています。
♪タブー(Tabu)
*1957年に発表。
*1970年代はじめ、日本の超人気バラエティ番組
『8時だヨ!全員集合』で加藤茶さんが「ちょっとだけよ~」
と言って子供達に大受けだったコーナーで使用されたのは、
今回ご紹介したアレンジ版(72年ver.)。
このアレンジ版の邦題は「ちょっとだけよ…タブー」。
『ヘレン・レディ(Helen Reddy)』
★1941年10月25日、オーストラリア・メルボルン生まれ(現在78歳)の
歌手、女優、活動家。
1960年代末に、オーストラリアからアメリカ・ロサンゼルスに拠点を移し、
1970年代に入ると次々に大ヒットを放っています。
♪私は女(I Am Woman)
*1972年・全米1位。
*のちに世界的な「フェミニズム運動」の賛歌となっています。
♪デルタの夜明け(Delta Dawn)
*1973年・全米1位。
♪アンジー・ベイビー(Angie Baby)
*1974年・全米1位。
★歌手としてだけではなく女優としても活躍しているヘレン・レディは
テレビ界で史上初となるオーストラリア人司会者として、
アメリカのネットワークでバラエティ番組の司会も務めています。
女性の地位の向上を訴える「女性運動家」としての顔も持つヘレン・レディは、
現在も「フェミニストのアイコン」として多くの女性達から支持を集めています。
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次の更新はネット局すべてのOA終了後
2020年4月1日(水)AM5時以降の予定です。
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