#53『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト

是非これを見ながら聴いてください!


今月のテーマ:「不滅のベートーヴェン 祝生誕250年」(第5回:ベートーヴェンと第九)
パーソナリティ:粗品(芸人)

<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>


― 今月は、「不滅のベートーヴェン 祝生誕250年」と題して、生誕250年を迎えるクラシック界の帝王ベートーヴェンの音楽と彼の生涯に迫ります。今回のテーマは「ベートーヴェンと第九」と題して、交響曲「第9番」にスポットを当てます。

― ベートーヴェンが作曲した最後の交響曲「第9番」は、1824年に作曲した独唱と合唱を伴う交響曲です。ベートーヴェン自身は表題をつけませんでしたが、副題として「合唱」や「合唱付き」が付くこともあります。また日本では親しみを込めて「第九(だいく)」とも呼ばれます。
第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられています。

― まずは第4楽章『歓喜の歌(喜びの歌)』の有名な旋律を使ったJポップを聴いてみましょう。

M1. 「希望の歌( ~交響曲第九番~)」 / 藤澤ノリマサ
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。


― さて、第九は大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかったティンパニ以外の打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素を多く持ち、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えました。
通常のCDの記録時間が約74分であることは、この曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められたとする説もあります。

― ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、1792年のことですが、彼は当時22歳で、まだ交響曲第1番も作曲していない時期であり、長きに渡って構想を温めていたことがわります。
実際に歓喜の歌の旋律が作られたのは1822年ごろのことで、初演は1824年5月7日、ウイーンにて行われました。この時、ベートーヴェンは、当時すでに聴力を失っていたため、各楽章のテンポを指示する補助的な役目で指揮台に上がりました。
ベートーヴェン自身は、初演は失敗だったと思い、演奏後も聴衆の方を向くことができず、また拍手も聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつきませんでしたが、見かねたアルト歌手のカロリーネ・ウンガーがベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話があります。

― それではここで、この「第4楽章」をハードロックへと変貌させた、リッチー・ブラックモア率いるレインボーの演奏を聴いてください。

M2. Difficult to Cure / レインボー
指揮:ウィルヘルム ・フルトヴェングラー

<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。


― 続いては、JAZZにアレンジされたバージョンをお届けします。レイ・ケネディ・トリオの演奏です。

M3. 交響曲第9番「合唱」:第4楽章「歓喜の歌」 / レイ・ケネディ・トリオ

― さて、ベートーヴェンの作品が、どうして多くの人を惹きつけるのか、それにはいくつかの理由が考えられます。
・若い頃はピアニストとして活躍し、家計を養った。
・宮廷や貴族言いなりの音楽家ではなく、音楽家としての地位を上げ、自由な曲を作り始めた。
・難聴が悪化し、音楽家としては死にも等しい絶望感から、自殺も考えたが、音楽への強い情熱もって、苦悩を乗り越え、音楽を芸術へと進化させた。
他にもいろいろありますが、今までのしきたりをやぶった形式で作曲したり、とことんこだわって納得するまで推敲し続け、音楽を芸術の域までに到達させた点が、我々が惹きつけれられる部分と言えます。

では、「交響曲第9番」の「第4楽章・歓喜の歌」を聴いてください。

M4.「交響曲第9番」~「第4楽章」 / ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
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― 最後に、ベートーヴェンが残した名言を一つ紹介します。

「純粋な心だけが、おいしいスープを作る。」