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速水健朗

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JFCジャパニーズフィリピーノチルドレン~日本人の父親に捨てられた子供たち part1

2020/4/20 (月)21:00
2020年4月20日Slow News Report


JFC~ジャパニーズフィリピーノチルドレン

速水:Slow News Report、今日はライター編集者の野口和恵さんです。野口さんのご紹介をしますと、編集者としての野口さんは子供向けの本を多数手がけていらっしゃるんですよね。

野口:そうですね。図鑑ですとか子供向けの翻訳の読み物のチェックなど、色々させていただいています。

速水:ライターとしても子供に関する取材をされているんですね。

野口:日本海外問わず、子供を取り巻く問題に注目しています。例えば国内ですと、子供の社会的養護の課題ですとか、海外ではストリートチルドレンの支援の現状などについて取材したり、記事にしたりしています。

速水:そんな野口さんが長年取材しているテーマのひとつに「JFC」ジャパニーズフィリピーノチルドレンというテーマがあるということなんですが、JFCって耳慣れない言葉ですが、JFCとはどんな存在なのでしょうか?

野口:「JFC」ジャパニーズフィリピーノチルドレンとは日本とフィリピン人の両親から生まれた子供たちを総称している言葉です。芸能界ですとか、スポーツの世界とかで活躍されていたり、いろんな方々がいらっしゃるんですけれども、私が主に注目して取材しているのが、フィリピンのお母さんから生まれたお子さんで、なおかつ日本人のお父さんから連絡が絶たれてしまった、日本人のお父さんから、いわば捨てられてしまったような状態になっている子供たちのことを注目して取材してきました。

速水:フィリピン在住のケースですよね。どういう経緯でそういう子供たち、子供たちといってももう成長しているわけですよね、その背景からお伺いしたいのですが。

野口:こうした子供たちが生まれるようになったのが1980年代からなんですけれども、その頃、日本はバブル景気に湧いていた頃で、フィリピンから毎年数万人単位で女性たちが日本に働きに来ていたんですね。女性たちは元々フィリピンでダンスや歌のトレーニングを積んで、それを披露するアーティストとしての在留資格を得て日本に来ていたのですが、日本に来てみると、彼女たちに用意されていた職場はナイトクラブが大半でした。ナイトクラブって、男性を接待する仕事が多いので、自然と日本人男性とフィリピン女性が親しくなっていって、交際に発展するケースというのが増えていったんですね。でも、女性たちの在留資格というのが、最大で6ヶ月までしか日本にいられなかったので、6ヶ月が経過すると大半の女性たちはフィリピンに帰りました。女性たちがフィリピンに帰国した後も、日本人男性がフィリピンに女性のところを訪ねていったりして、交際が続いていたケースもたくさんあったんですけれども、女性がやがて妊娠して子供が生まれて、最初のうちはそれを喜んでいた男性も多かったのですが、だんだんと連絡が途切れがちになっていって、いつからか、音信が途絶えてしまって、お母さんと子供だけがフィリピンに取り残されるというケースがフィリピンの国内で増えていきました。

速水。日本で結婚をされたりすると日本国籍を取れるけど、そうじゃないケースが多数あったということですね。

野口そうですね。結婚しようと約束をしていても、フィリピンに帰った後にその約束が果たされないで先に子供ができてしまってこういう状態になっていると。

速水:そういうケースが「JFC」ジャパニーズフィリピーノチルドレンの問題なわけですね。どれくらいの数の方がいらっしゃるのでしょうか?

野口:正確な統計はないのですが、支援団体の肌感覚からすると数万人にのぼるのではないかというふうに言われています。

速水:80年代からバブルの時代にかけてこういうケースが増えたということは、そこで生まれた子供たちはもう30歳を超えていたりする世代ですか?

野口:そうですね。


日本人の父親に捨てられた子供がルーツを求め日本へ

速水:そういう方々がフィリピンに在住ということですよね。今どうなっているんでしょうか?

野口:今もフィリピンで暮らしている方も多いのですが、日本に仕事を見つけて日本で暮らしている方もたくさんいらっしゃいます。元々フィリピンは人口の1/10が海外に出稼ぎにっていると言われるくらい、海外で暮らす方が多い国なんですが、JFCと呼ばれる方々は、仕事を見つけるために日本に来たと言うよりは、どこかで父親に会えるかもしれないという望みを持っていたりですとか、自分が日本にルーツがあるので、自分のルーツの国で暮らしてみたい、自分のルーツの国を見てみたいという思いから日本に来られた方がたくさんいらっしゃいます。

速水:当然そう思うでしょうし、会えると思って来るケースって多いと思うんですが、実際はどうでしょうか。

野口:ものすごく少ないと思います。私が取材でお世話になっている支援団体の方のお話では、支援団体の方が一緒について、色々と父親の居場所を特定したりとか、そういうサポートをしても、会えるケースはものすごく少ないそうです。

速水:仕事を求めてではなく、自分のアイデンティティ、自分のルーツがあるんだということですよね。そして父親がいるんだという、これってどういう気持ちなのか、もうちょっと詳しくお伺いしていいでしょうか?

野口:やっぱり日本人の血を引いているということで、容姿が日本人らしい顔、目が細かったり、色が白かったりといういうことで、フィリピンの中ではみんなから日本人と言われたりするんですよね。子供が生まれたときはまだ関係が続いていて、お父さんが日本人の名前をつけていたりするんですね。そういった名前も持っているし、自分の容姿も日本人に近いし、自分は完全なフィリピン人ではないし、どこか自分の知らない部分がまだまだあるんじゃないかと。それが日本に行くと見えてくるんじゃないかというものを感じて、日本にいらっしゃる方が多い気がします。

速水:そうした子供たち、または母親たちに取材をしているわけですが、取材しようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

野口:この問題を知ったのは自分が子供の頃でした。1990年くらいだったと思うのですが、たまたま家で見ていたテレビで、こういった子供たちがフィリピンにたくさんいるということを知ったんですね。日本人のお父さんから捨てられた子供が、フィリピンのスラムのようなところで暮らしている子供たちもたくさんいましたし、そういった映像がまず衝撃的でした。そして、その番組のスタッフが日本人のお父さんの足取りを探していったのですが、だいたいお母さんたちのところに残っていた住所は不完全なものだったり、嘘のものだったりして辿れなかったんですね。唯一居場所がわかったお父さんがいたんですが、そのお父さんは、当然の反応かもしれないのですが、ものすごく怒って、そのときに、「そんな子供は知らない。その子が生まれたのが相手の女性のミステイクだ」と言ったんです。すごく無茶苦茶な話だと思うのですが、そのとき自分も子供だったので、もし親から自分の存在がミスだと言われたら、ものすごくショックだと思ったし、怖いなと思ったんですね。そのショックがあって、大人になってフィリピンに行くきっかけがあって、こういった取材もぜひやってみたいなと思うようになったという経緯があります。


父親に何かを求めているわけではない

速水:自分も子供だったからこそ驚きもしたし、何が起こっているのかという興味ということですね。番組ではもう一人詳しい方に取材しました。JFC ネットワーク事務局長の伊藤里枝子さんです。

伊藤:成長した子供自身からの相談が最近非常に増えています。その子たちがほぼ同じ言葉を言うのですが、「私は母親に育てられてきた。父親を知らずにずっと育ってきた。母と父がいて完全な一人の人間になれるのに、父を知らずに育った私は半分にしかなれない。なので自分を知るために父を知りたい」と言う子供たちがとても多いんです。お父さんに会って何か期待をしているわけではないんですよ。なのでお父さんがどんなに拒否していても、「お父さんはこういう人間だったんだと知って初めて一人の人間として完成された。これでもういい。自分は自分の人生を歩む。」という子がいますね。

野口:JFC ネットワークはフィリピン人のお母さんと子供の法的支援を行っている団体です。子供が父親から認められ、きちんと養育されるということは当然の子供の権利なんですけれども、 フィリピン人のお母さんと子供が、連絡を絶った父親に対してそれを求めていくというのはほぼ不可能だと思います。そこで JFC ネットワークがフィリピン人の母子の窓口として、相談を聞いてお父さんを探したり、弁護士さんに依頼して認知、養育費を求める交渉や裁判ができるように支援していらっしゃいます。
JFC ネットワークを訪ねてくるお母さんやお子さんに会ってよくお話をするんですが、先ほど伊藤さんが言ったように「自分がまだどこか欠けているような気がする。お父さんに会わないと完全ではない。」というようなことを言っていますね。でも、ほとんどの場合、お父さんのことを悪く言わないんです。 お母さんが子供の前でお父さんのことを悪く言わないということもあるのですが、取材する中で、「お父さんに会ったらどんなことをしたい?何て言いたい?」と聞くと、大抵の子は「お父さんを抱きしめたい。ずっと会えなかったからいろんな話をしたい。」と言います。そして「お父さんに会ったらまずありがとうと言いたい」と言っていた子もいました。それを聞いてすごくびっくりしたんですが、なぜかと聞くと「お父さんがいたから自分がいる。自分にお父さんが命を与えてくれた。だから会ったらまず感謝の言葉を言いたい」と言うんですね。

速水:日本にいるお父さんはどういう反応をするケースが多いのでしょうか?

野口:お父さんに最初に連絡を取るのは支援団体の方なんですが、大抵怒りますね。日本人のお父さんのほうは日本に家族を持っていることも多く、社会的にちゃんとした地位を持っていらっしゃる方もいらっしゃって、そういった方がフィリピンに子供がいるということが家族とか世間にばれると、自分の生活基盤が崩れてしまうと思うわけですよね。そういったところが拒否をするまず一番の理由ではないかと思います。しかし中には「お母さんとは一定期間関係がこじれてしまって会わなくなってしまったけれども、子供をフィリピンに残してしまったということはすごく自分としても後悔している」ということもありますね。

速水:ただそれは非常にレアケースであるということですね

野口:はい、そちらのほうが少ないと思います。

速水:父親の居場所が突き止められたり、連絡がついて、実際会うとなると、例えば父親に資金援助をして欲しいとかそういう話になっていくのでしょうか。

野口:子供としてはお父さんに会えるだけでいいというケースが多いです。それにお父さんがもう高齢になっていて年金生活だったりすると、お金なんて望めるわけないということは、もう大人になったフィリピンの子供なら分かっていて、むしろお父さんに何かを求めるというよりは、もし近くに家族がいなくて寂しく生活しているのだったら自分が世話をしてあげたいと思う人もたくさんいます。

速水:自分のアイデンティティという問題、自分の親を知りたいという延長で会いに来る。ただ必ずしもお父さんは望んでるとも限らないということなんですが、その後に裁判となると認知を求めていくわけですよね。

野口:裁判では証拠が出せれば司法の場で親子関係があると判断されるですよね。例えば両親が一緒に写っている写真とか、父親が母親に宛てた手紙ですとか、DNA鑑定をする場合もあります。そういった証拠があると、公正な判断で親子関係の認知を得るということは可能ではあります。ただ法律上で認められてもお父さんが心の中で認めていないというケースはたくさんありますし、裁判ということになってお父さんがさらに腹を立ててしまうというケースもありますので、認知を得た子がお父さんに会いに行ったけれども門前払いをされてしまったというケースも聞きますね。


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