#54『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト

今月のテーマ:「初めてのボブ・ディラン」(第1回:ボブ・ディラン入門) パーソナリティ:佐藤良明(アメリカ文学/ポピュラー音楽研究者)

<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>

― 今月は、「初めてのボブ・ディラン」と題して、ノーベル文学賞詩人でもあるボブ・ディランを知るための特集をお送りします。今回のテーマは「ボブ・ディラン入門」と称して、みなさんよくご存じのディランの曲を紹介します。
ボブ・ディランという特別な人間は、どんな時代を背景に登場してきたのか、そして1960年代という特別な時代をどのように切り開き、独自の詞の世界の創造に向かったのかという点に迫っていきます。

― まず、ボブ・ディランといえば、「風に吹かれて」でしょうか。

M1. 「Blowin’ the wind(風に吹かれて)」/ Bob Dylan
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

プロテスト・フォークの旗手として22歳のディランの評判を大きく高めたのがこの曲。
「反戦の詩人」としての彼の名を世界に広めた歌で、1番の歌詞はこんな感じです。

ひとはいくつの道を歩けば、人並み扱いされるのか
ハトはどれだけ海を渡れば、砂の浜で安らげるのか
大砲のたまがどれだけ飛べば、撃ってはならんと決まるのか
答えは友よ、風の中、風に舞っている。

― 大陸のきびしい気候の中で育ち、単身ニューヨークの街に出てきたディランにとって、風のイメージはどんなだったでしょう。道路に落ちた新聞紙を、風が巻き上げていくみたいな感じでしょうか。
答えは友よ、風に吹き飛んでいる、お偉方が偉そうに議論してもしょうが無い、といった感じでしょうか。

2番にはこんな歌詞が入っています。「人はいくたび顔を背ける、見て見ぬふりをやめるまでに」
また、3番には「そうさ、どうだけ人が死ねばいいんだ、もう死にすぎだとわかるまで」というかなりストレートな文言も入っています。

― ディランがこの曲を作ったのは、ミネソタの大学を中退してNYのグリニッジ・ヴィレッジに出てきた翌年のこと。当時のヴィレッジは、フォーク文化の中心で、まだプロとは言えないシンガーたちが、カフェで歌いながら切磋琢磨しているという時代でした。
 フォークソングには即興的なところもあって、ある日ディランは「風に吹かれて」の詞を十分そこらで書き上げると、近くのカフェで、昔ながらの曲のメロディを借りて歌ったそうです。それは過去のひどい人種差別を歌った『No More Auction for Me』という黒人霊歌です。競り売りにかけられた時代のことを黒人フォーク歌手のオデッタがレコーディングしています。

M2. 「No More Auction for Me」/ Odetta
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。


― 当時のアメリカ、まだベトナム戦争が本格化する前の時代ですが、黒人差別制度を撤廃しようという公民権運動は盛り上がっていました。「風に吹かれて」は、ディランより一足先に、ヒット曲を出していた、ピーター・ポール and マリーというフォークトリオによって、全米ポップチャートを駆け上るヒット曲となります。

M3. 「Blowing in the Wind(風に吹かれて)」/ Peter, Paul and Mary
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 とても上品なサウンドですね。これは当時の育ちのよい若者たちが一緒に歌ってみたい感じの音楽です。

― 一方、ディランの声、歌い方、ギターのピッキングは、田舎の下層階級の人たちの民謡(本物のフォークソングですが)を真似たようなところがあって、そのスタイルは、大手のレコードの購買者に受けするものとはいえなかったようです。
そのディランが、より激しい歌で、初の大ヒットを飛ばすのが、2年後のこと。1965年の夏に全米第二位のヒットになった『Like a Rolling Stone』は、フォークというよりはロックの歴史を飾る名曲として知られています。

M4. 「Like A Rolling Stone」/ Bob Dylan
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

歌詞には、一人の落ちぶれた上層階級の女性をからかう、辛辣な言葉が続きます。1番の歌詞を訳してみます。

むかしむかし君はきれいな服を着て乞食に小銭、投げてたよね
「気をつけなよ、転落するよ」と警告されても本気にしないで
路上にたむろしているみんなを笑いものにしていたよね
でもいまは、喋る声も小さいし、誇らしそうなようすもない、そりゃそうだ
次の食事をどうせしめるかも、わかってないんじゃね 

どんな気持ちだい、どんな気持ちだい
帰る家がないっていうのは、知り合いもなく生きるのは
石ころみたいに転がってくのは    

― 辛辣な言葉はあとこの3倍続きます。中にはシュールなイメージも出てきて、「シャム猫を肩にのっけた外交官と一緒にクロームの馬に君は乗ってた」や「すべてを失ってしまえば失う物はもうないんだ」というような格言めいた言い方をでてきます。まるで路上暮らしの辛さを祝福しているような歌詞。これもディランの特徴なんですね。

― このライクアローリングストーンを収めた『追憶のハイウェイ61』と、翌年1996年に出た『ブロンド・オン・ブロンド』は、変身したディランの絶頂期の作品といえます。彼はポピュラー音楽に前衛的な詩を導入しただけでなく、前衛的な自分の作品をポピュラーにしました。若者の力が、大人の体制を崩していこうというこの時期にあって、彼はまさに時代の花形となったわけです。
 ところが、その後、オートバイ事故を起こしたということで、長いこと、ひっこんでしまいます。長い空白を挟んでようやく出てきた次のアルバムにロックのビートはありませんでした。しかし歌詞は、一語一語の言葉のパワーを増していました。

M5.「All along the Watchtower(見張り塔にずらりと)」 / Bob Dylan
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

 1967の暮れに登場したアルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』から。その後スタンダートナンバーに
なっていった曲です。
この歌では、道化と盗人が馬に乗って、混乱した世の中を愚痴りながら、見張り塔に近づいていきます。見張り塔の上には王子たちがいて、なにか時代は大昔で、聖書に描かれた時代のようです。
最後の4行は、ヤマネコの鳴き声と、風のうなりを響かせて、なにか恐いことが起こりそうな雰囲気をかもし出したままフェードアウトしていきます。
 
― 1970年代の半ば、ディランは『血の轍』そして『欲望』という2枚のアルバムでふたたび絶頂期を迎えます。

M6. 「One More Cup of Coffee(コーヒーをもう一杯)」/ Bob Dylan
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとバージョンが異なる場合があります。

1975年のアルバム『欲望』から、すばらしくエキゾチックな情景が描かれている曲。

きみの誠は俺でなく、天空の星々と友にある
コーヒーをもう一杯、コーヒーをもう一杯もらったら
眼下の谷へ降りていこう

~佐藤良明さんが対訳を手掛けた、ボブ・ディランの新訳詩集(全2冊)~
『The Lyrics 1961-1973』『The Lyrics 1974-2012』(佐藤 良明 訳・岩波書店)

390曲に及ぶボブ・ディランの全自作詞を網羅した訳詩集。
佐藤良明さんの考察が加わった新訳で、英語の詩と対訳になっています。
ディランの歌詞の世界にどっぷりハマりたい方は是非、書店等でお手にとってご覧下さい。
書籍の詳細はこちら⇒(岩波書店HPへ)