夜間保育園の現実と課題

2020年6月15日Slow News Report



中洲の夜の街で働くママにが頼りにするどろんこ保育園

速水:Slow News Report 今日お話を伺うのはノンフィクションライターの三宅玲子さんです。三宅さんは今この国の子供が置かれている現場をいろいろ取材されているということなんですが、今日お話をしていただくのは、まず福岡の繁華街中洲にある保育園のことということなんですが。

三宅:どろんこ保育園といいます。

速水:ユニークな名前ですが、取材されたきっかけはどういうことだったんでしょうか。

三宅:この保育園は2015年に現代建築に建てかわっているのですが、その建築家を以前から取材していましたので、新しい仕事をされたということで尋ねたのがきっかけです。建築は真っ白な美術館みたいな建物で、それを一周拝見した後で帰りがけに理事長先生と立ち話になったんですね。その時にひょんなことから、先生が中洲の女の人たちの 子供達を昭和48年から預かってきていて、夜間託児所から始まった保育園だというお話をされたんです。

速水:僕が生まれた年なんですけど、その時代から夜間保育を始めたということなんですね。

三宅:私もその時初めて夜間保育という言葉を知りましたし、その制度自体知らなかったことので驚きがありました。そしてもっと驚いたのは、その時に理事長先生が中洲のお母さん達の事を「実に頑張っていました」とおっしゃったんですね。昼間子供を預けて働くことですら大なり小なりの葛藤や罪悪を持つことがありますが、ましてや夜に子供を預けて働くお母さん達はどんな思いなんだろうということを想像した時に、これ以上ない肯定をしたその言葉に心を打たれて、それがきっかけで四年ほど通いました。

速水:先ほど昭和48年というお話をされましたが、僕の子供の頃もやっぱり保育園がありまして、今三宅さんがおっしゃられたように、子供を預けて働きに行くことというのは、おそらく預ける側の人達にとっては精神的な負担というのがありましたし、ましてや夜という話ですよね、しかもその時代に。そして、この保育園は中洲で働くお母さん達に頼られる存在だそうですね。

三宅:そうですね。取材では、まずは卒園生の親たちにたくさん会っていただきましたけれども、どの方も「どろんこのためなら」と言って喜んで時間を割いてくださって、どれだけ保育園に助けられて、子供と一緒に当時を乗り切ったかという話をしてくださいました。


卒園しても縁が繋がっている

三宅:四年の取材の間、何人かのママ達に特にお世話になったんですけれども、の中の一人にみえさんという方がいました。彼女は私が知り合った頃は保育園の先生たちの間では手の焼ける保護者だったんです。というのは、夜間保育園とはいっても、終わりは深夜2時までなんですけれども、子供たちの生活のリズムを大切にするために親はなるべく午前中に登園することが推奨されているんです。そして給食を食べて、午後はいろんなプログラムをやっていくという、体リズムと生活のリズムと一緒に整えていくということを大切にしている保育園だったんですけれども、ユミエさんは毎日のように夕方6時に連れてくるんですね。先生達からすると夜間保育と託児所を一緒にしているんじゃないかというふうに思ってしまいます。でも先生たちはユミエさんといろいろ話していく中で、少しずつユミエさんを理解しようと歩み寄っていくんです。その中ではユミエさんがどんな生い立ちで、パートナーとはどういう関係性で子供を授かっていて、今どんな暮らしをしているのかということを分かっていくんですね。そうやって先生とユミエさんの距離がちぢまっていくにつれて、ユミエさんがどれほど大変な状況の中で一人で子供を育てているのか、ということがわかっていったんです。

私が3年ほどその関わりを見ている中で一つ忘れられないのが、あるとき、先生からするとこれはもうネグレクトだなという判断をするような厳しい状況があって、それが分かった時に先生たちが園から歩いて10分ぐらいのマンションまでかわりばんこに朝迎えに行くようになったんですね。ユミエさんは元々登園が遅い人でしたが、朝11時くらいに迎えに行って、ユミエさんは控えめな人でもあるので最初は断っていたんですけども、そのうち受け入れるようになりました。でもそういうお迎えを繰り返していくうちに、段々ユミエさんも自分のコンディションを立て直していけるんですよね。そこまでしてくれるのかというのが私にはとても驚きだでした。

速水:おそらく公共の機関なんかでは手を出さないところまで踏み込むというのがこのどろんこ保育園の特徴なんですね。ちなみにそのユミエさんはその後どうなったんでしょうか。

三宅:その後、彼女はある人生の転機があって、子供と二人で東京に上京したんです。そこでどろんこ保育園との関わりは一旦終わりました。そして、1年間新宿の夜間保育園に預けながら、彼女は歓楽街で働きました。ところがある困難な出来事があって、彼女は今年の4月に博多に子供と一緒に戻ったんです。そして、もう縁がないはずのどろんこ保育園に連絡をして、自分自身が今こういう困ったことがあってということを打ち明けたんですね。そこから先生達が彼女に必要な支援を一緒に考えて、役所の手続きですとか、病院のことですとか、そういうことを一つ一つ彼女は対処をしながら状況を改善しようとしているんですね。自分の辛いこと、苦しいことを他人に話すというのはなかなかエネルギーのいることだと思うんですけれども、それをもう在園していないどろんこ保育園に連絡を取って頼ることができたというのは、それは彼女の成長のようにも思いましたし、それくらいどろんこ保育園と信頼関係があるということなんですね。どろんこ保育園だったらこういう状況を受け止めてくれる、つながりを待ち続けていられるということにとても温かい気持ちになりましたし、ユミエさんがそういう手段を自分で選び取れたということを嬉しく思いました。

速水:それこそ顧客であるとかそういう関係性で見るのではなくて、縁で繋がれているというところがどろんこ保育園ならではの部分なのかなと思ったんですけれども、一方で実際に子供を育てながら夜の街で働く人たちも増えている中で、当然保育園も増えていかなければいけないと思うんですが、現状は多くはないわけですよね。


夜間保育園は全国に数えるほどしか

三宅:そうなんです。昼間の認可保育園が23000箇所ほどなんですが、それに対して夜間保育園は81箇所なんです。

速水:81箇所というのは、全国でということでいうと数えるほどしかないということですよね。

三宅:そうなんです。都道府県によっては夜間保育園のない自治体もあります。

速水:とはいえ、夜の街で働きながら子育てをしている方はたくさんいると思うんですけれども、そういう方々はどうされているんでしょうか。

三宅:ほとんどの人達は認可外保育施設と公には言いますけれども、夜間託児所ですね。ベビーホテルともいいますが、そこに預けていて、それは全国に1500箇所あります。

速水:夜間保育園が81というのは少なすぎるので、増えた方がいいと思うのですが、増えないのには理由があるのでしょうか。

三宅:まず前提として夜間保育園は増える必要があると思います。認可の夜間保育園ですと補助金が出ますので、例えば全員保育士でないといけないとか、一人当たりの保育士が預かる子供の人数がとかそういう基準が厳しく決められていますので、結果として安全で保育の質が保たれます。ところがなぜ増えないのかということについては、夜間保育園の先生方にも随分お話を伺いましたけれども、突き詰めて言うと夜に働いている親がいるという状況に対しての私たちの無関心が大きいなと思います。

速水:社会的な関心として、夜働く人たちが安心して子供を預ける場所が大事じゃないかというよりも、子育てするんだったら夜の仕事じゃなくて昼の仕事をすればいいじゃないかという人たちの方が多いということですね。

三宅:その通りだと思います。ましてやそれが歓楽街で働いている親たちだということになると、そこには差別意識があるということははっきり夜間保育の先生方から伺いました。そして、認可保育園を管理する自治体の担当の人たち、あるいは保育園を運営する立場の人たちの中に夜間保育に関してそれをやろうという意思がないということもあります。

速水:僕ら社会全体が無関心というか、差別意識や誤解を持っている部分というのがそこにも響いてきているということのような気が非常にしますね。メッセージを読みたいと思います「僕の妹がまさに夜の街で仕事をしています。今の話を聞いて、まさに妹が認可外の保育で子供を預けていることに気づきました」 というメッセージです。非常に身近なところにいる人間がどうやって働いているんだろうということに想像が及ばなかったりすることって多々あるし、認可や認可外ということも、正直子供を育てていないと気づかなかったりしますよね。後半は新宿歌舞伎町の話をお伺いしたいと思います。新宿歌舞伎町は日本で一番大きい夜の街だと思うんですが、ここで働いている子供を持っている方々はどういう状況にあるのでしょうか。

三宅:新宿には認可外保育施設が24箇所あると聞いています。一箇所だけABC 保育園という夜間保育園、これは大久保になりますが、2001年にできたというところです。

速水:19年前にできた一箇所しか認可はないということなんですね。それ以外多くあるのが認可外のものであると。

三宅:認可外保育施設ですと、保育士を置いておかないといけないという文言はあるのですが、罰則はないんですね。なので結果として保育の質が保たれない危険性は高いですね。

速水:そして認可外の保育園、つまりベビーホテルというのは24箇所あると。

三宅:東京全体で見たときに、これだけ歓楽街が多い大都市なのに認可の夜間保育園がわずか一箇所というのはあまりに少ないなと思います

速水:ただ認可外ベビーホテルだからといって、必ずしも悪いということではないんですよね。

三宅:もちろんそうなんですけれども、ある程度の質を担保しようとすると、補助金がない中で職員の人たちの負担が極めて大きくなる。ですので、それはやりがい搾取のような側面もあるかと思うんですけども、持続可能性に乏しい仕組みだと思いますし、何よりも同じ子供が認可保育園に行くか認可外保育施設に行くかで保育の質が違うのは、子供の等しく育つ権利から逸脱した状況です。そのことに対して私たちが非常に鈍感なまま社会を作ってきているなという印象がありますね。


私達が関心を持つことでできることもある

速水:先ほど前半にお伺いした話ですが、夜働いている人たちへの差別意識がどうしても存在するものなんだという話なんですけれども、一方で職業を差別しないということはすごく大事なことですし、どんな状況であろうが子供は同じ条件で育つべきというふうに考えた場合に、夜間の保育園の数が少ないことというのはそこに反しているわけですよね。これは意識を変えるということも必要なんですけども、夜間の認可保育所を増やしていくためにできることって見えてきているんでしょうか。

三宅:うーん、見えてきてないですよね。制度ができたのは1981年なんですね。制度ができた時当時の厚生省は目標の設置数を200箇所と言ったんです。でも40年経ってもまだ81箇所なんですね。それはなぜできないのかというと、やっぱり夜子供が預けられているという状況を私たちは知らずに来すぎたということだと思うんです。

速水:冒頭で聞いたどろんこ保育園のような、今子供を預かっているわけではない母親までサポートしているという状況がもっと広がっていくことって理想なんですけど、そういう可能性はあるんでしょうか。

三宅:私がこの四年で自分自身に変化を感じているのは、例えばユミエさんの子供を家で預かることが何回かあったんですけれども、そういうことが抵抗がなくなってきたというか、ちょっとした事って出来るんだなというのを教わった気がするんですね。もちろん夜間保育園は足りないし、1500のベビーホテルがあるのであれば、それが全て夜間保育園になるべきだということを厚労省の担当課長は発言しているんですね。でもそれを実現しようとすると、どれだけ時間がかかるかという話ですよね。制度は必要であるけれども、その制度が完成するのを待つ前に、周囲の人がちょっとした関心を持って、ちょっとしたできることをやってみる。そうすると、意外と楽しかったりするし、人の子ということも関係なくなってなんとなく愛着がお互いにわく。そういうところも大事ですよね。

速水:社会全体の意識を変えないと変わらない、関心を持たなきゃ変わらないという話を冒頭に伺いましたけれども、それとはまた別に、個々の現場でそこに関わる人達の個人の意識で随分変わる部分もあるんだということですね。先程お伺いしたユミエさんの今の話ともつなげて考えたい問題として、目黒の虐待事件のお話もしたいんですけれども。

三宅:結愛ちゃんのお母さんが再婚する前に一時期歓楽街で仕事をしていたという話がありましたが、もしその時彼女が夜間保育園に子供を預けることができていたら状況は違っただろうかということを専門家に質問したんですね。答えはイエスだったんですけれども、夜間保育園の先生達は様々な事情を持った親たちと関わりを持っているので、人と人との普通ではない出来事に対しての理解が深いそうなんです。もし結愛ちゃんのお母さんが夜間保育園と接点があったら、夜間保育園を離れていたとしてもまた戻ってきて相談をするという事は大いに考えられたということをおっしゃったんですね。そのことを私はユミエさんの変化をたどるにつれて本当にそうだったんだなと思いましたね。

速水:全部の親が事情が違うし、子供にもそれぞれ個性があるし、一つ一つの事例を客観化しながら個別に見なきゃいけないというような、プライベートと行政二つの部分を同時に見なきゃいけない問題として考えなければいけないわけですね。どろんこ保育園の話に関して、もう47年前ですかね、そこで実情を見てきた人とできた制度、そのギャップみたいなものがまだまだある気がしました。今日はノンフィクションライターの三宅玲子さんにお話を伺いました。ありがとうございました。


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