地方紙・ローカル紙のチカラ

2020年6月22日Slow News Report



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野々村元県議号泣会見のきっかけとなった神戸新聞の報道

速水:Slow News Report 冒頭に野々村議員号泣記者会見、懐かしく聞いていただきましたが、これをきっかけに今日は地方紙の力ということを考えたいと思います。お話を伺うのは神戸新聞東京支社長の志賀俊彦さんです。野々村元県議、この方は何をしてこういう会見をされたんでしたっけ。

志賀:政務活動費を不正に流用していたということですね。政務活動費というのは第2の議員報酬とも言われるような、割と使途が自由なお金なんですね。

速水:自由といっても自由すぎる使い方をされたという話だったと思うんですが、これは2014年7月のことでした。そしてこの号泣会見というインパクトに国内含め、世界中でも報じられることになるんですが、そのきっかけが神戸新聞のスクープだったんですよね。

志賀:取材したのは当事の社会部というところです。県庁担当の記者で、県議会も担当するのですが、その二人の記者が取材にあたりました。この取材自体は特別なことではなくて、政務活動費の収支報告書というのは公開されるんですけれども、この時期にそれをチェックするというのは県庁担当の記者の、まあいわばルーティン作業なわけです。

速水:これは誰でも申請すれば確認できるものなわけですよね。これをチェックする中で不自然な項目が出てきたということですか。

志賀:そうですね。当時の県議89人の報告書があって、これが1万ページほどありました。それを調べる中で、野々村さんが陳情や住民相談に当てたとした政務活動費が1年で300万円に上っていて、その全額をなぜか切符代として報告してたんですね。その異様さが二人の記者の目に留まったということです。

速水:そしてあの記者会見になっていくという流れなんですね。

志賀:そうですね。その記者会見の前、私どもがこの報告書の公開の日に合わせて、新聞で報じたわけです。

速水:インパクトの強さゆえに毎日ワイドショーが取り上げるような、他のメディアも取り上げるような状況になったんですが、神戸新聞がチェックして取り上げてなかったら、気づかれずにスルーされていた可能性もあるということでしょうか。

志賀:これは公開されている情報ですので、いずれ気付く人はいたと思いますけれども、公開に合わせて気づいたというのは神戸新聞だけであったということですね。

速水:この辺から考えたいのは地方紙の役割についてなんですが、僕もおじいちゃん、おばあちゃんの家に行ってみると、地元の北國新聞と全国紙の地方版と両方取っているんですね。そして地方紙は圧倒的に地元についての情報が濃かったりする。その地域では部数が多いのが地方紙というイメージなんですけれども、いまの地方紙、全国紙の状況はどうなっているのでしょうか。


地方紙の強み

志賀:やはりスマホ全盛期で、特に若い方なんかはやっぱり新聞を読まなくなってきていますね。

速水:40代でも今なかなか読まないって聞きますもんね。

志賀:まあそういう状況ですので、特に全国紙なんかは地方の拠点を再編したりして、記者を減らしていますね。

速水:全国紙の地方版は、かつてのようにたっぷり人をかけて取材する余裕はなくなってきているということですね。逆にそうすると地方紙にとってはこれはチャンスなんですよね。

志賀:そうですね。もともと地方紙の売りというのは、充実したきめ細かい情報ということで、それは全国紙をリードしていたんですけども、ここへ来て全国紙がなかなか地方のニュースを十分フォローしきれなくなってきているような状況も生まれつつあります。

速水:この3ヶ月くらいのコロナウイルス感染状況の情報が気になる中で、地方紙は部数を伸ばしているという話なんですよね。

志賀:部数が伸びているというわけではないんですけれども、例えば駅売りであるとか、コンビニでの売られているものが、ちょっとではありますけど増えています。コロナの対応というのは自治体によって違いますから、自分が住んでる地域の情報は地方紙が詳しいのではないかということでお求めになる方が増えているのではないかなと思われます。

速水:いくつか Twitter などで寄せられているメッセージを読みたいと思います。「スポーツ新聞より詳しい釣り情報が地方紙にはあります。どこで何が釣れるとか、大物を釣ったら写真が載ったりします。」ということなんですが、釣り情報って出しているものなんですか。

志賀:そうですね。よく夕刊なんかに曜日を決めて掲載していますね。

速水:そしてもうひとつメッセージ、「地方紙もそうだけど、新聞とってる人って最近少ないみたいですが、皆さん新聞って取ってるのかな。ちょっと気になる。最近近所の新聞販売所が3件も潰れたので」ということなんですが、全体で見ると新聞はちょっと元気ないのでしょうか。

志賀:そうですね。ここ数年は減少傾向にありますよね。

速水:もうひとつ反応として多かったメッセージですが、「全国紙しか見たことがなかった自分。地方紙を初めて見た時、地元の方のお悔やみ欄の圧倒的情報量にはびっくりしました。亡くなった方の名前、年齢、職業、住所、式の場所など細かく書いてあり、全国紙の訃報欄とは桁違いの量に驚きました」というメッセージ頂いていますが、うちの父が亡くなった時もやっぱりその相談って真っ先にして、 実際に載せるとそこで情報を見てお葬式に来てくださる方って意外と多くて、毎日そこを読んでいるみたいな方も多いですよね。

志賀:非常に読者の皆様に重宝がられた情報の一つではあります。ただ最近はやっぱり個人情報ということで、住所などを掲載したためにいろんなトラブルが起きたということも聞いていますし、その辺はちょっと扱いがなかなか難しいかなと思っています。

速水:今はみんな住所録とか作っていないので、亡くなった時誰に連絡していいか難しいですから、それがないと困る人たちも非常に多いんではないかと思いますが、こんなメッセージでも来ています「神戸新聞といえば阪神淡路大震災の時、震災のことを懸命に伝えた新聞でしたね。ドキュメンタリードラマ見入りました」ということなんですが、志賀さんは当時記者だったわけですよね。


阪神淡路大震災を伝えた神戸新聞

志賀:当時は甲子園球場のある兵庫県の西宮市にある阪神総局というところに勤務しておりまして、西宮市役所を担当しておりました。

速水:当時、社屋自体も被災した中、取材活動なんかも非常に大変だし、新聞を継続して出すことも大変だったんですよね。

志賀:そうですね。被災地で取材活動を続ける記者の多くは自分自身も被災しているという状況ですね。私も当時子供が2歳で、妻子をお隣さんに託して取材現場に向かったというのを覚えています。

速水:どんな場所を取材したか覚えていますか。

志賀:5時46分の発生でしたけれども、夜が明けてくると、四方八方から煙が上がっているのが見えたんですね。その一番近い煙を目指して自転車を走らせました。そこは JRの甲子園口という駅の前で、7階建てのビルが完全に倒壊していて、そこに何かあったのかすぐに分からないくらいの状況でした。夜中に自衛隊が救助活動に入るわけなんですけれども、それを見守っていた男性がいらっしゃったんですね。ご家族が閉じ込められているのかと尋ねると、事件とか事故の取材では当事者への取材というのはなかなか応じてもらえないことが多いんですけれども、その方は淡々と喋られるんですね。家族は何人いて、自分は宿直で家にいなかったとか。果たしてこのまま話を聞いていいものかどうかというのを戸惑いながら、ノートにペンを走らせたというのを覚えていますね。地震が起きた後の現場というのは喧騒に包まれているというイメージをお持ちになるかもしれませんけれども、実はすごい静寂だったんです。

速水:なるほど。そうした当時の記憶がある方々は会社の中でも非常に少なくなっているということなんですが、どのくらいの人たちが経験者なんでしょうか。

志賀:社内で調べたところですね、全社員のおよそ7割以上が震災後の入社になっています。報道部46人の中の約40人が震災後の入社です。今の災害担当のデスクも震災後に入社した人ですね。

速水:阪神淡路大震災を直接経験していない世代に受け継がれていく中で、その記憶や経験を継承していく勉強会をされているということなんですが、これはどういうものなのでしょうか。

志賀:最初にやったのは震災後20年に向けての時だったんですけれども、どんどん震災を知らない世代が多数を占めていく中で、自分たちが経験したことを、失敗談も含めて伝えていかなきゃということなんです。次に災害が起きた時、どういう風に彼らか取材をするのかというヒントやガイドになるようなものを示していかないといけないし、もちろん阪神淡路大震災というのを風化させずに語り継いでいかないといけないという部分もあるんですけれども、いちばん大きいのは次への供えですね。

速水:それはまた同じような震災が起こるということを想定するということですか。

志賀:もちろん今も南海トラフとか言われていますし、水害でも台風でもそうですけれども、そうした時にどういう風に、どういうところに気をつけて取材したらいいのかということを、やっぱりそれぞれが我が事として考えてほしい。それに対して私たち25年前の震災を知る者の経験を生かすことができればということで、記者が語ったり、遺族の方にも来ていただいたりして、そういう勉強会を続けていました。

速水:神戸新聞は紙地方紙なんですけれども、他県であるとか海外の被災地の取材なんかも力を入れているというのは、やはり阪神淡路大震災に関係しているんでしょうか。

志賀:もちろんそうですね。やはり震災を経験したものとして他人事ではないと言いますか、どういうことが起きているのかというのを間近で取材をして、それを阪神淡路大震災復興の過程の報道にもフィードバックするということもありますし、阪神淡路大震災を知らない世代の記者に災害の取材の経験を積んで欲しいという意味もあります。


新聞の未来は

速水:一方で未来ということを考えた場合、新聞は特に若い世代には読まれなくなっているということを考えると、例えばニューヨークタイムズなんかも規模は巨大ですけれどもあれもローカル紙ですが、非常にデジタルの数字を伸ばしている。一方でアメリカの地方紙はどんどん潰れているという話も入ってきます。このような状況のなかで神戸新聞の場合、未来はどう考えているのでしょうか。

志賀:私どもは地方紙の中では割と早くから紙もデジタルもということで進めてきました。若い世代にはデジタルの発信というのがより届きやすいということは確かですので、それぞれの良さを活かしながらコンテンツを充実させていく。たとえば紙とデジタルの記事の内容が別でもいいという思いもありますね。

速水:ローカルのニュースに特化していくという強みを活かすところは変わらないんだけど、一方でデジタル独自のコンテンツなんかも作りながら増やしていこうということですね。

志賀:そうですね。デジタルだと県境も関係ないですからね。

速水:そうなんですよね。そこの中で強みをどう生かしていくかというのが、神戸新聞に限らず地方紙の課題となっているような状況も含めて、それに対する取り組みについて今日はたっぷりお話を伺いました。志賀さん、ありがとうございました。