日本で暮らすロヒンギャ難民の今

2020年7月2日Slow News Report



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速水:今夜のテーマは「日本で暮らすロヒンギャ難民の今」。ロヒンギャ難民というワードはニュースでときおり耳にするかもしれません。彼らの中には日本で暮らす人々もいます。正直僕はそのことすらあまり知りませんでしたが、今日はそんな彼らの現状について伊藤詩織さんにレポートしていただきます。まずロヒンギャについて教えていただいてもいいでしょうか。

国がないロヒンギャの人々

伊藤:主にミャンマーの西部のラカイン州に100万人ほどいらっしゃるイスラム系の少数民族なんですけれども、特に第二次世界対戦の前後からいろんな問題が続いていて、軍国主義時代のミャンマーから国籍を剥奪されてしまいました。ですので、ミャンマー人でもなく国がない状態なんですね。パスポートも持っていません。そして、2017年に大虐殺ジェノサイドがあり、そこで放火殺人やレイプだったりということが起きて、今はお隣の国バングラデシュに逃げていらっしゃる方が多くいらっしゃいます。実は日本にも群馬県館林市にロヒンギャのコミュニティがあるんです。

速水:なるほど。ミャンマーについて補足をすると、ミャンマーは人口の9割が仏教徒で、ロヒンギャの方々はイスラム教を信仰しています。そういう宗教的な対立もあり、アウン・サン・スー・チーさんがトップになっても、このロヒンギャ問題は引き続き世界から疑問視されている部分もあります。

伊藤:彼女はノーベル平和賞を取って平和と実権のシンボルのような方だったので、日本にいるロヒンギャの方はみんな彼女をサポートしていたのに、彼女が就任してからもこの問題が止むことなく悪化しているという状況が…

速水:状況が良くなることを期待していたのに、そうならなかったわけですね。その辺は僕らがなかなか理解できない部分も多いですね。伊藤さんは、2017年の虐殺ジェノサイドの以前の時代に取材された経験があったんだそうですね。

伊藤: 2015年にミャンマーとタイの国境近くのメーソートという町に取材に行きました。

速水:取材に行ったのは、ロヒンギャへの関心が強かったということですか。

伊藤:そうですね。気になっている事柄を自分で取材に行こうと思って、本当に初めて海外で一人で取材したのがロヒンギャ問題だったんですよね。色々迷子になりながら、どこに行けば彼らに会えるのかということも把握していないし、本当に無知のまま現地に行ってしまったので、日本でいろいろな活動をされている方々とコンタクトを取りながらメーソートにたどり着いて、そこにサリム・ウッラーさんという方にお会いしたんですね。

速水:その時はウッラーさんの家に泊めていただいたそうですね。

伊藤:とても素敵なホテルを紹介していただいたんですけども、一人で初めての海外取材だったので、怖くてですね、「ご家族と一緒に泊めさせてくれませんか」と言ったら、子供もいるけれどもよかったらと言ってくださって、そこに一週間お邪魔しました。

速水:そこでいきなり家に飛び込みで入ってしまうのも相当な勇気だと思うんですけれども、例えば言葉とかはどうしたんですか。ロヒンギャ語もあるという話なんですけれども、ミャンマーにはビルマ語があったり、そもそも何語で会話をするんですか。

伊藤:ウッラーさんは2015年の当時にもう日本での永住権をもたれていたのですが、まだ家族が日本に移れないということだったんですね。パートナーの方、とその当時お子さんが2人いらっしゃって、その方とは本当に身振り手振りで話しました。パートナーの方は英語もあまり喋れなかったのですが、でも何とかコミュニケーションはとれました。とにかくご飯が美味しかったという印象が強いですね。よく覚えているのがマトンのスパイシーなカレー。主食はご飯なんですよね。あとすごく美味しかったのが、細いビーフンによく似た、牛のスネ。「レッグ」と言っていたんですが、それを煮込んでバラバラにしたお肉を入れて、チャンプルーみたいにするカレー味の焼きそうめんみたいなのがあって、それが本当に美味しいので、一週間本当に体が大きくなって街を出たのを覚えていますね。

速水:伊藤さんが取材されたロヒンギャの方々は今日本で暮らしているということなんですよね。2015年に伊藤さんは関わっているんですが、また最近お会いして取材されてたそうですね。

伊藤:はい。先週末にお会いしました。ウッラーさんは日本に住んでいるので、何度かお会いしていたんですけれども、ご家族には2015年以来お会いしていなかったので、久しぶりにお会いして嬉しかったですね。子供達も大きくなっていて。驚いたことに、子供達は来てから半年ちょっとで日本語が喋れるようになっていて、会話ができてとても嬉しかったですね。


日本にいるロヒンギャの人々の9割が館林にいる

速水:日本にいるロヒンギャの方々の約9割が群馬県の館林市にいるということなんですが、なぜそこに集まっているんでしょうか。

伊藤:サリム・ウッラーさんが日本にいらっしゃったのは93年だったんですけれども、最初は大宮の工場で働かれて、ご自身で事業を立ち上げる時に館林に移られたそうなんですね。そこからロヒンギャの方が集まるようになって、今や300人ほどのコミュニティができています。

速水:彼らは、いわゆる移民とか、技術や資格を取得するために日本に来ている人たちとはちょっと違う立場なわけですよね。

伊藤:そうですね。元々国籍を持たない、パスポートも与えられていない状態で、皆さん色々なブローカーを通してだったり、本当に命からがら日本に来た方々もいらっしゃいます。ただその中で難民認定を受けられている方は本当にごく一部で、ウッラーさんの場合も、今は永住権を持っていらっしゃるんですけれども、難民認定は受けられなかったんです。だから全ての方に難民の資格がもらえるわけではないんですね。特に日本では難民認定されている数というのは本当に少ないんですね。

速水:彼らはミャンマーで迫害を受け、国にいられなくなり、難民という形で国外に出なければならなかった。その中で日本を選び移り住んでいるわけなんですが、彼らの多くは難民認定を待っている状態で暮らしているわけですね。

伊藤:そういう方もいます。2017年のジェノサイドから逃げてこられて、難民認定を待っているという方もいらっしゃったり、中には15年間「仮放免」という何ももらえていない状態で、仕事もできない、公的サービスも受けられないという方もいます。そういったことがあって、ロヒンギャのコミュニティを作って、働けない人たちのために助け合って生きているということが今館林で起きているんですね。

速水:後半は彼らはどういう生活をしているのか、どういうことで生計を立てているのかみたいな話も伺いたいのですが、5年ぶりに再会した子供たちはもう日本語が喋れるんですよね。

伊藤:そうなんです。一緒にドラえもんを見ました(笑)

速水:ドラえもんは普通に楽しんで見ているんですか。

伊藤:楽しんで見てましたね。公園で遊んでいて、クレヨンしんちゃんを見逃した時の彼らの落胆と言ったら大変なものでした。やっぱりアニメから言葉を学んでいるんだなぁと思うところもありましたね。

速水:今みたいな話を聞くと、日本文化にも慣れ親しんでいると思うんですが、例えばイスラムの方々なわけですから、食べるものも気をつけなければいけないですよね。ハラール(イスラム法で食べることが許されている食材や料理)って場所によっては手に入りやすい地域とかあるかもしれないですけど、館林の場合はどうなんでしょうか。ロヒンギャの方々が食べるものはふんだんに用意できるものなんでしょうか。

伊藤:そうなんです。イスラム教徒なので、主に豚肉やお酒が入っているものが食べられなくて、ハラールという特別に加工されたものでないと肉も食べないんですけれども、ウッラーさんが最初に館林に行った当時は何もなかったそうです。でも今はハラール専門店が3店ほどあって、日本人の方が経営されているお店でもハラール食品コーナーというのが増えたんだよと言っていました。

速水:彼らの多くが難民認定されていない状況にあるわけなんですが、地元の日本人コミュニティに溶け込んだりはできているのでしょうか。

伊藤:子供達は学校、幼稚園に通っていて、お友達の名前だったり、いま学校で流行っているものなんかを教えてくれたので、子供達はすごく馴染んでいるなという印象を受けました。

速水:その中で難民認定されていない方々は仕事も自由に出来るわけではないし、制限される事って多いわけですよね。

伊藤:多いですね。15年間ずっとそういった状況で暮らしている方にお話を伺ったんですけれども、自分も働いて日本に貢献したい、税金を払いたいし、一人の人として生きていきたいと言っていました。やっぱりそういったことがすごく制限されてしまって、何もできないという状態が本当に辛いとおっしゃっていました。

速水:お互い支え合いながらじゃないとコミュニティを維持できない生きていけないという状況がある中で、例えば仕事はどうされているんでしょうか。

伊藤:ウッラーさんはご自身で会社をつくられて、そこで他のロヒンギャの方々も雇っていますが、工場だったりとかそういう仕事がありますね。

速水:その中で何か気づかれたことはありますか。

伊藤:これは実はタイの国境の街、メーソートで5年前に出会った方だったんですけれども、ミャンマーからロヒンギャとして逃げてきて、お兄さんが名古屋にいらっしゃるということで、名古屋から日本のママチャリを送ってもらってそれをミャンマーだったりタイに売ってる仕事していると言っていました。メーソートを歩いている時に指をさされて「ママチャリママチャリ」と言われていたのですが、まさか日本語のママチャリだと思いませんでした。やっぱりすごく機能的で便利なんだそうです。ただやはりお話を聞いていると、その方は名古屋でママチャリを送ってくれるお兄さんにも会えなければ、ミャンマーにも帰れないというお話をされていました。

速水:難民認定されていて非常に動きが制限されているというのはそもそもあるんでしょうが、コロナウイルスの影響もありますか。

伊藤:今バングラデシュにある難民キャンプは本当に密なので、やはりいろんな危険があると思いますし、船で渡っている方々は今もいますが、コロナウイルスのせいで船が受け入れられないということで漂流している船も今多いと伺っています。


難民受け入れが極端に少ない日本

速水:メッセージを読みます。「難民認定の壁って日本を相当高いんですよね。何年待っても降りないって、他国ではどうなんでしょうか」。日本の入国管理局の問題として、難民受け入れは非常に少ないと言われています。例えばトルコでは2018年370万人受け入れているのに対して、日本では42人みたいな数字がとかあるんですが、これは日本特有の問題と言っていいんですかね。

伊藤:そうですね。例えば2017年に大虐殺があって、あそこまで報道されているのに、逃げてきた方にすらまだ下りていないというのは、一体何がポイントになっているのか、どういった裁量で行われているんだろうと思いますね。

速水:特にヨーロッパなんかではシリア系の軟便の受け入れが話題になって、受け入れた上で、受け入れすぎましたということで国民の意見が二分されたりなんていう話になっていますが、日本の場合はそもそも受け入れている数がものすごく少ない。島国の日本にとって、難民というものの受け入れがピンと来ていない部分みたいなところがある、そして制度というよりも運用の部分に問題が多々ある部分、見えてくるところも多いかと思います。

伊藤:想像しづらいことかもしれないけれども、いつ自分が住んでいるこの日本がなくなってしまう、もしくはここで安全に生活できなくなるかということ、本当にそれって分からないですよね。自然災害もあるだろうし、他の要因もあるだろうし、そういった時にやはり想像力を働かせて、難民認定を待っている方々、仮放免の方々がどういった思いで過ごされているのかというのを考えたいですよね 。

速水:そこですよね。いつ自分がそうなるかという想像力、そこを抜きには語れないのかなということが、問題の根本である気がします。今日は本当はもっともっと深く喋らなきゃいけないことあったかもしれませんが、今まさに館林の中にいるロヒンギャのコミュニティの話、伊藤詩織さんにリポートいただきました。ありがとうございました。