森友学園問題とその後 Part1

2020年7月13日Slow News Report



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速水:Slow News Report今夜は大阪日日新聞の記者相澤冬樹さんにスタジオに来て頂いています。相澤さんは元 NHK の記者で、森友問題、国有地の不可解な値引きをめぐる行政と森友側の口裏合わせなどスクープして来られました。NHKを退社され、現在は大阪日日新聞の記者として活動中です。明後日15日水曜日に森友問題に関する文書改ざんの問題が新たな局面を迎えるということなんですね。


森友問題が新たな局面に

相澤:公文書の改ざんで命を絶った赤木俊夫さんという、財務省近畿財務局の職員がいらっしゃいますけれども、その妻の赤木雅子さんが国と、改ざんを支持したと俊夫さんが書き残した手記で名指しされている佐川さん、この両者を相手に裁判を起こしています。今年の3月に提訴し、それと同時に手記を公表したわけですが、その裁判がコロナの影響で伸びていたんですけれども、ようやく明後日の7月15日に裁判が始まることになりました。そしてこの裁判に、当初は赤木雅子さん本人は出るつもりがなかったんですけれども、やはりこれは自分が法廷できちんと訴えたいということで法廷に立って自ら意見を述べるという機会があります。10分くらい話を冒頭にするという予定です。そしてその裁判が終わった後に、今度は記者会見にも自ら出てきて、自分の言葉で想いを話すということを決意をしました。

速水:非常に積極的に雅子さん出て来られるような状況になっているんですが、もともとそうではなかったそうですね。ちょっと遡る必要があると思うんですが、この問題が非常に注目されるきっかけが相澤さんの週刊文春の3月の記事。ここで赤木敏夫さんの手記が公表されたわけですけれども、この週刊文春の記事によって世間の関心が非常に大きく変化しました。週刊誌が完売になるということ自体も話題になりましたね。この記事が今の状況になるきっかけだったと思うんですが、その記事を相澤さんが書かれることになった経緯も教えていただけますでしょうか。


当初はマスコミが怖くて手記を公表できず

相澤:赤木俊夫さんが亡くなったのは2018年の3月7日です。その時に改ざんについての真実を書き残した手記が敏夫さんのパソコンの中に入っていました。死の直前まで更新しているので、最後に書いたのは当日だと思いますけれども、それを残して亡くなりました。その日のうちに赤木雅子さんはその手記の存在を知ることになりまして、その文面を見ると、なぜ自分は改ざんをさせられたのか、本当はどういうことがあったのかということを世の中の人に知って欲しいということと同時に、とはいえ改ざんをしてしまったということについて世の中の皆さんにお詫びしたいという気持ちを込めて書いているというのが分かる文章になっているんですね。これは公表すべきものなんだ、これを公表するというのが夫の意思なんだなと、手記を見た瞬間から雅子さんは感じたそうです。ただ当時敏夫さんが勤めていた近畿財務局の人たちが、とにかくマスコミは怖いからこういう文章を出しちゃだめだと雅子さんに強力に働きかけていました。また雅子さん自身も夫が亡くなった後にメディアスクラムみたいな形で報道陣が押し寄せたことで、マスコミは怖いというイメージがついてしまって出せずにいたんですね。でもでもやっぱり夫は出してほしいはずだし、自分にもしものことがあったらこの手記を出せる人が誰もいなくなって埋もれてしまう、闇に葬られてしまう。そうなってはいけないから誰かに託そうと思ったそうです。で誰に託したらいいかと彼女が考えた時に、おととしの11月なんですけれども、たまたまその時私は神戸市内で森友問題について講演をする機会があって、その中で赤木俊夫さんの話をしてるんですね。赤木さんはYouTubeでたまたまその話を見つけたんだそうです。赤木さんはその時は落ち込んでいて、自分の夫のことなんかもう忘れちゃってみんな関心もない、手記を公表したって誰も関心を持ってくれないだろうと思ってたところに、まだ夫のことをちゃんと覚えていて話してくれている人がいるということで、私に託そうと思って連絡をくれたというのが11月27日のことです。

速水:そこから記事になるまでも時間がちょっとかかっていますよね。

相澤:そうですね。赤木さんが私に託そうと思って、一度お会いしているんですが、赤木さんが最初にメールで「私はもう取材とかそういうのは受けられません。何も答えられません」という話をしてたので、基本的にはあまり取材にはならないだろうと思っていたんです。ところが実際にはお会いしたら割と早い段階で、これ見たいですよね?と言って鞄から A 4で7枚の紙を取り出して見せてもらったんですね。亡くなった敏夫さんが何か書き残しているという話はあったけれども、それがどんなものなのか、何が書いてあるのか誰も知らなかったんですよね。なので、初めてそれを目にして私はちょっと興奮しちゃって、その姿を見て赤木さんは、その時には私に託すのやめたんですね。

速水:そんな経緯があったんですね。

相澤:私が「写真をとっていいですか?コピー取っていいですか?メモを取っていいですか?」と聞いても彼女が「いや全部駄目です。見るだけにしてください。」と言われたので、私はその文章を読みながら「こんなこと書いてあります。すごいですね!」と割と肝心なところを全部読み上げたんですよね。それは、念のために会話を録音してたからなんです。それに音を入れちゃえば後で文字起こしすればわかりますよね。だから録音するためにわざと読んだんです。もちろん赤木さんには言わずに録音してるんですけど、赤木さんは帰る途中で気がついたそうです。あの言い方は何か不自然だ、あれは多分録音してるなと。録音してるということはこれは記事になっちゃうんだろうかと思ったそうです。ただ実際には私は赤木さんが立ち去る時に「これは記事にしないでくださいね。裏切られたら私は死にますから」と言われたので、とても記事にはできなかったですけれども。

速水:当時の雅子さんが、やっぱり世間にはこの手記を広めたくないという気持ち、今振り返ってみるとどういう気持ちだったんですかね。

相澤:いや広めたくないと思ったわけではなくて、世間の皆さんに公表した方がいいんだろうと思ったんだけど、それは良くないと言って圧力をかける人たちがいた。その時に彼女の周りにいたのは財務局の人たちが中心ですから、全員それを出すなと、マスコミは近づけるなという圧力をかけているので、意識しちゃったわけですね。


弁護士の一言で雅子さんの心が動く

速水:その気持ちが変わっていくところに相澤さんは立ち会ってきたわけですね。

相澤:それから実際の公表になるまでに1年4ヶ月の時間がかかってますけれども、基本的に私の方からこれを公表したいという話はしないようにしていました。実はかなり最初の段階で、赤木さん本人じゃなくて当時の弁護士さんに打診をしたことがあるんですよ。ほんの一部だけ記事にしたいという話をね。そうしたら、「そういうことを持ちかけたら多分赤木さんは裏切られたと思いますよ」と言われたので、じゃあやめますと。それから待つことにしたんです。赤木さんの気持ちがどこかで変わってくれるんじゃないかというふうに思って待ちました。その過程で赤木さんの、まぁ言ってみれば相談相手の一人みたいになっていくんですね。つまり彼女が財務局の人間がだんだん自分から離れていって、財務局から見捨てられたという気持ちがしていた。また、今の裁判を起こしている弁護士さんとは違いますが、当時の弁護士さんも自分の味方じゃないんじゃないかなと感じられることがあると。だんだんそうなってきて孤立していくと、頼りにできる人が他にいないということで私が結構相談を受けるような感じになったんです。それで、「弁護士さんに不信があるようだったら誰か他の弁護士さんに意見を聞いてみたらどうですか。お医者さんでもセカンドオピニオンってあるように弁護士さんでも聞いてみたらどうですか」という話もしたんです。なかなか乗ってこなかったんですが、去年の暮れに、最後までなんとか細々と接点があった近畿財務局の人からも「もう会いません」と言われて縁を切られちゃって、それがものすごいショックだったんですね。それで年が明けって1月に「相澤さんが紹介すると言っていた弁護士さん誰ですか」って赤木さんが聞いてきたので、阪口さんという弁護士さんですが、「すごく立派な弁護士さんですよ。森友問題もすごく詳しいし」とお答えしたんです。それでその弁護士さんに会って、赤木さんが阪口弁護士に手記を渡して見てもらったんです。そうしたら阪口弁護士が手記をずっと読んだ後に、「赤木さん、あなた一人で辛かったやろうな」と言ったんですよね。もう見たまんまの感想ですよね。それからいくつかやりとりがあって、その事務所を出たんですが、いきなり赤木さんが「弁護士さんを変えます。阪口さんに変えます」と言い出したんです。ちょっとびっくりして、「どうしてそんなふうに思ったんですか」と聞いたら、「阪口さんは夫の手記を見て、あんた辛かったやろなと言ってくれた。私は本当につらかった。だからそう言って欲しかった。それまでは弁護士さんからはその言葉はなかった。誰もそんなことは言ってくれなかった。だから私は阪口さんにお願いしたい」と言ったんです。初対面の一言で人の心をグッと動かしたわけですよね。実際には裁判を起こすにあたって、亡くなった敏夫さんの死をめぐっての話になるので、これは職場で改ざんさせられたことによって鬱になって自殺しているわけだから、言ってみれば労災だと。ならば、そういう労働災害とか過労死の問題に強い弁護士さんにお願いしないとということで、自分と親しい労働問題のベテラン弁護士を紹介したんです。松丸先生というんですけれども、実際にはその人が裁判の代理人になっていて、松丸さんと同じく過労死問題に詳しい生越さんという二人の弁護士が今、代理人として裁判をやってます。

速水:その一言で弁護士さんが新しくなった、それが今年の1月ですね。

相澤:今年の1月にその話があって、一週間後にもう弁護士を変えると決めて、委任状も渡して前の弁護士さんから資料を全部返してもらってという段取りがあったんですね。

速水:そこから動き出して、3月の文春の記事手記発表になったわけですね。

相澤:事実上2ヶ月足らずで提訴にこぎつけたんですね。これはものすごく早いスピードです。


公表された手記に大きな反響が

速水:週刊文春の記事が3月に出て、そこで手記が公表されましたが、世間の反響みたいなものを雅子さんはどうご覧になっていたのでしょうか。

相澤:手記の公表を決めて、裁判を起こすと決めてからも、やっぱりずっと怖いという気持ちはあったんです。怖いというのは、やっぱりマスコミの取材が怖いというのと、それから世間の皆さんにどう受け止められるのかがが怖いと。だから自信がなかったので最初は一切表に出てこなかったわけです。提訴するとき、本人は取材が来ないように東京に避難していて、それで弁護士さんだけで記者会見をしてますけれども、それが提訴の時からガラッと変わりました。3月18日に敏夫さんの手記と提訴のことを書いた週刊文春が発売され、それと同時に提訴だったんですけれども、その週刊文春が完売したんです。完売したということは53万人が買ってくれたということ。しかもそれがものすごい反響が広がって、読んだ方の応援のメッセージとか手紙がいっぱい弁護士さんのところに届いたんです。それは全部赤木さんの所に行っていますので、「こんなに皆さんに応援してもらっているというのがものすごく自信になりました」と。赤木さんの手記が公表されても麻生財務大臣も安倍首相も再調査は必要ないと言っていますが、それに対して赤木さんが間髪入れずに「安倍首相と麻生財務大臣は調査される側であって調査しないと言える立場じゃない」というコメント出してます。それでまたすごい反響があって、その翌週に今度はChange.orgというキャンペーンサイトを使って再調査して下さいという署名活動を始めるんですよ。そうしたら一晩で10万以上集まって、それからずっとすごい勢いで伸びて、結局35万を超えるんですね。これはChange.orgが日本でやった新記録だそうです。35万人が応援してくれるということが、やっぱりものすごく赤木雅子さんの心の支えになって、これはどんどん世の中の人に訴えていって、世の中の人たちの賛同でもって国を動かそう、再調査してもらおうという気持ちになってきたんですね。それで、それまでマスコミは怖いと言っていたけれども、取材を受けようという気持ちに変わってきて、11日に TBS の報道特集で和子さんのインタビューが放送されました。これはテレビ初登場なんですが、同時に同じ TBS のニュース23の取材を受けていて、これは産休中の小川彩佳キャスターがぜひということで出てきて、彼女がインタビューしてくれました。14日明日の夜放送の予定です。またその時のインタビューが非常にうまくいったので、テレビの取材というものに対して恐怖感がだいぶ薄れてきてですね、今日実は午前中ずっと赤木さんと一緒にいたんですけれども、今日1日で関西テレビと読売テレビと毎日放送の3社はしごしてるんですよ。取材依頼があったところは全部受けて、この3社を渡り歩くというのは、正直言って以前のテレビが怖いと言っていた赤木さんからは考えられない行動です。取材が終わった後にすごく良かったと本人から連絡があったので、全部無事取材が終わったと思います。そういう形で、出るとこにはどんどん出ますよという感じに実はなってきてるんです。それで NHK はどうなんだと思われるかもしれませんけれども、実は NHK はもう取材を受けてまして、NHK の取材が一番分厚いんですよ。自宅で受けていますし、インタビューの時間も長いし、これは15日の裁判当日のクローズアップ現代で放送するらしいです。

速水:今日伺った、弁護士の一言で雅子さんがどんどんメディアに対する恐怖感が変化していった話、こちら15日発売の本「私は真実が知りたい」の中でも書かれている話ですね。

相澤:はい。これは赤木さんとの共著ですけれども、本の中では、例えば赤木さんがなぜ弁護士を替えるに至り、それから実際提訴に至るまでにどういう経過があり、手記を発表した後にどんなことが起きたかということを詳しく書いています。

速水:皆さん今日の話に興味のある方はぜひ「私は真実が知りたい」手に取ってみてください。そしてまた明日も相澤さんに来ていただきます。今日はありがとうございました。