冤罪はどう作られるのか?

2020年7月27日Slow News Report



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速水:Slow News Report今日お話を伺うのは中日新聞社会部の記者 角雄記さんです。よろしくお願いします。今日は「冤罪はどう作られるのか?」というテーマでお送りします。実は我々も他人ごとではないという話を、ある事件をベースにお話を伺っていきます。その事件は滋賀県でありました。呼吸器事件と呼ばれる事件なんですが、どういった事件だったのでしょうか。


湖東記念病院事件 再審無罪判決

角:滋賀県に湖東記念病院という病院があるんですけれども、これは地域医療を担う比較的大きな地方の病院なんですが、ここを舞台にした事件です。2003年5月未明にほぼ植物状態で人工呼吸器をつけていた患者さんが亡くなったんですね。捜査は複雑な経過をたどったんですけれども、この患者さんに繋がっていた人工呼吸器のチューブを外して殺害したという殺人容疑で、当時看護助手をしていた西山美香さんという女性が翌年逮捕されました。その後刑事裁判で有罪になり、2017年8月まで服役しました。逮捕から数えれば13年間刑務所、留置所内にいたということで、逮捕時は24歳だったんですけれども出所時は37歳です。それで今年の3月末に裁判のやり直しがあって、無罪になりました。今は40歳です。

速水:まさに今年の話ということで、この事件自体も覚えているという方々も多いと思うんですが、2003年から2020年までの間という、非常に長い時間に冤罪で服役した後に無罪が分かるということなわけですね。角さんは、西山さんが服役を終えた後にお会いしていると思うんですが、実際会ってどういった印象でしたか。

角:西山さん本人の人柄は本当に素直な人で、純粋で裏表がない人だなという印象です。だからこそ人を信じて冤罪になったのかなという気がします。

速水:なぜ冤罪が起きてしまったのかというのはこの人柄の部分にも関わってきそうなんですが、12年間服役したことを西山さんご本人はどのように語っているのでしょうか。角さんは、西山さんが服役中に外部とやり取りをしていた手紙を見られているのですよね。どういった内容が書かれていたんでしょうか。

角:西山さんはまめに手紙を書くタイプだったというのもあると思うんですけれども、350通以上ご両親に宛てて手紙を書いてたんですね。私は2015年の5月に大津の支局に赴任してこの事件を取材することになったんですけれども、獄中から無実を訴えている女性がいるということですぐに両親に会いに行ったんですね。そうしたらご両親からたくさん手紙を見せていただいて、これは冤罪かなと思ったんですけれども、例えば2012年の手紙では20代30代の若い時期をここで過ごさなきゃいけないという辛い思いを綴っていたり、出所まであと1年になった2016年ですと、「無実なので絶対有罪判決を受け入れることはできません。無実の受刑者として精一杯努力します」とか、だいたいこういうことをずっと綴っているんですね。

速水:自分は殺人罪に問われて有罪になったわけですけれども、やっていないということを一貫して両親に向けて書いているわけですね。西山さんが刑務所から出てみると、世の中は非常に様変わりしているわけですよね。その時のことはどうお話されているのでしょうか。

角:そうですね。やっぱり大きく時代が変わっていて、例えばコンビニは入ったらおでんの匂いがするところだったのが、出てきてみたらコーヒーの匂いがするとかですね、そういうことを言ってました。スマートフォンの普及ですとか、 LINE のスタンプですとか、そういうのが新鮮みたいですね。


冤罪を生み出す自白

速水:裁判では西山さんが犯人だと思われて判決まで出たわけですけれども、いわゆる冤罪事件の多くは自白がポイントになっていることが多いと思うんですが、この事件ではどうだったのでしょうか。

角:そうですね。西山さんも、自分から患者さんの人工呼吸器のチューブを抜きましたと嘘の自白をしてしまったんですね。この事件の特徴は、西山さんが取り調べの刑事に好意を抱いていたということ。優しくされて、むしろ取り調べをしてもらうのが嬉しかったそうで、警察のストーリーに合うような自白調書が出来上がってしまったということがあります。

速水:捜査方法にもいろいろ手法があると思うんですが、好意を抱いてしまうくらいに優しくするというのは、稀に見るケースなのかなという気もするんですが。

角:そうですね。飴と鞭を使い分けるというのは一つポイントかなと思います。

速水:その中で、好意を持つ心理というのは角さんの目から見てどう思われましたか。

角:最初はみんなびっくりすると思うんですけれども、いろんな裁判の資料を読んでみて、ありえないことじゃないなと思ったんですね。西山さんは友達を作るのが苦手だったこととかがありまして、同世代の異性と付き合ったことがなかったり、それで男性に優しくしてもらったということが嬉しかったと言ってますね。

速水:まあ飴と鞭という、厳しく追求する一方で優しく声をかける担当がいたとしたら、そっちの側に寄せた話をするという心理状況も分かるんですが、自分が殺人を犯したという供述まで言ってしまうようなことがあったわけですよね。

角:これは後になってわかったんですけども、西山さんの精神鑑定が実現しまして、軽度の知的障害や発達障害というのも分かったんですね。つまり、チューブを外したということが殺人事件として扱われ、逮捕されて服役するということが想像しにくかったということがあります。また、相手が期待する行動を自分が一生懸命とることで、目の前の人との関係を維持しようとすることがあったのかなと思っています。

速水:なるほど。今のお話を聞くと、直接これが殺人という行為と結びつくであろうことを想像できないような立場の人間に対して、洗脳に近いような捜査の仕方があったのかなと思えるのですが、一方で裁判の経緯にはどんな問題があったのでしょうか。


裁判にも自白偏重主義が

角:裁判所も、「殺人を犯したと告白することが男性の気を引くための合理的な方法とは全く言えない。そんなことを言えば逮捕されて服役するのはみんな分かるはず。だから西山さんの自白は信用できる」という判決を下しています。でも自白の大事な部分がコロコロ変わったりしているんですけれども、そういうところ見向きもせずに、西山さんは自白してるじゃないかということで有罪判決を導いているので、裁判にも大きな問題があったと思いますね。

速水:何かしらコントロールされていた状況の人間を有罪にしている。これが冤罪のきっかけになっているわけですよね。これは自白主義という、自白だけを優先した裁判、起訴のあり方というのは日本の戦後史なんかでも問題になっている部分で、何度も冤罪の話出てくるんですが、これが2000年代以降にも行われているというのはひとつの特徴かなと思ったんですが、西山さん自身はその時自分が嘘をついてしまったこと、やってもいないことを自白したことについてはどうお考えなんでしょうか。

角:西山さんは全く裏表がないので、自分で嘘の自白をしてしまったことをすごく反省しているんですね。一方で、やはりその取り調べの刑事を信じてしまったこと、それをとても後悔しています。

速水:やっぱり当時は慣れてない状況で捜査を受け、殺人の疑いをかけられている。非常に動揺していた部分が後に取り返しがつかないことになる、12年の服役ということになるわけですね。



【角雄記さんによる西山美香さんインタビュー】
~13年ぶりに外の世界を見ててびっくりしたこととかありましたか?
いちばん変わったのは携帯電話でスマートフォンというのが出ていて、タッチしたらそれでカメラなどの操作ができるっていうことですね。あとは何もかもがカードになってたのがびっくりしました。切符を買うのも ICOCA でピッて買うのとかあるし、ソフトバンクというのが銀行だと思ってました(笑)

~おばあちゃんを亡くしたというのも刑務所にいる時の辛い経験でしたか。
そうですね。でも母方のおばあちゃんが亡くなったのは知らなかったので、それが一番びっくりしたかな。おばあちゃん待ってくれてるもんだと思ったら…

~嘘の自白をしてしまったわけですが、自白せずにいるというのは難しいことだったのでしょうか。
やっぱり難しいですね。密室の中でアラームが鳴って、ずっと言い続けられて、やってないといえば机をバンバン叩かれたり、パイプ椅子の足を蹴られて尻餅をついたりという体験があるけど、そういう風にされると脳が麻痺してしまって、この人の言うことを聞いておいたら楽になれるんじゃないかと、怖い思いをしなくていいんじゃないかと思ってしまうんですよね。だから黙秘してる人とか否認してる人はよっぽど自分の強い意志があるんだろうなと思います。


速水:この声がまさに西山美香さんですね。先ほどからお話している、殺人罪で懲役12年の服役をした後、今年再審の結果、無罪になった方ですね。

角:はい。つい最近聞いたお話です。


なぜ嘘の自白をしてしまうのか

速水:服役中におばあさまが亡くなられたことも全然知らされておらず、出てきたら会えなかったという話なんかは非常に身につまされますし、なぜ嘘の自白をしてしまったのかという話では、バンバン机を叩かれ、脳が本当に麻痺するような状況の中で、嘘でも話せば楽になるということなんですね。

角:そうですね。冤罪被害にあった皆さんはそうおっしゃいますね。諦めて認めてしまうと。

速水:メッセージをいただいています。「誰が本当の犯人かは重要ではなく、犯人を挙げて丸く収めることが重要だということはないですか」警察の捜査姿勢の話だと思うんですけれども、真実を突き止めるよりも、とにかく目の前にいる人が自白してしまえば一件落着なんだというような判断のもと捜査が行われているんじゃないかという話なんですけれども、実際そういうことってありえるんですか。

角:そうですね。今は昔と比べて気をつけているということをみんな言うんですが、やっぱりその事件の容疑者を逮捕するというのが一番の目標になってしまっています。真実の解明というのは、被害者から見ても本当はそれが一番救われることだと思うんですけれども、自白してるじゃないかということで、逮捕が目的になってしまうということはあり得ると思いますね。実際に起きているわけですし。

速水:そして“供述弱者”という言葉があるということなんですが、これまさに今の西山さんのケースなんですね。

角:供述弱者という言葉は法律とかで具体的に定義されているという言葉ではないんですけれども、裁判に関係する皆さんはよく使ってますね。たとえば日弁連の声明とか決議で使っている言葉なんですけれども、一般に知的障害があったり、未成年であったり、外国人であったりとか、コミュニケーションが難しい人ですね。自分のことを自分で表現するのが難しい人、そういう能力が十分にない人ですね。そういった方を供述弱者と呼んでいます。相手に迎合してしまうということがいちばん特徴的です。

速水:取り調べの密室の中や裁判に慣れてる人はいないわけですから、どんな人でも初めての体験で、動揺している中で供述弱者に陥ってしまうというのは、どんなケースでもあり得るんだと思うんです。それを避けるためには容疑者の言葉だけで話を進めるのではなくて、客観的な証拠であるとか、自白に頼らない裁判、捜査の仕方というのが必要だということはずっと言われていると思うんですが、その辺に変化はないものなんでしょうか。

角:今は取り調べの状況をビデオに収めておくということは、知的障害のある方の取り調べや、裁判員裁判の対象になる事件ではだいたい行われています。これで、自白調書にこう書いてあるけれども、取り調べの録画を見返すとそんな言葉ないじゃないかといって無罪になったりですとか、自白調書が証拠から排除されるということがありました。ただ自白偏重主義というのは根強く残っているんですね。本来刑事裁判は本人の自白だけでは有罪にしてはいけないんですけれども、例えば今回の事件でいうと、患者さんが亡くなっているという鑑定書があれば、事実上ほとんど自白だけで有罪になっているとこういうことはありますね。

速水:でも今の話のように、どういう聞き方をしたのかによって、それが生のリアルな音声や映像に残っていたら全然印象が変わる事ってありますよね。ただ単に文章の証拠としての自白ではなくて、映像や音声を残す事で全然意味合いが違ってくると思うんですが、録音や録画は、検察警察側は嫌がるものなんでしょうか。

角:今は嫌がっても取らなきゃいけないという仕組みにはなっているんですけれども、導入された当初は、私も警察を取材していて「やりにくくなったなあ」という愚痴めいた言葉はよく聞きました。

速水:その“やりにくくなった”というのはどういう背景があるんでしょうか。

角:ベテラン捜査員に言わせれば、自分の身の内を話して、他人には聞かれたくないことを自分の胸の内をさらけ出して、取り調べ相手の信頼を引き出して、自白させるというようなことをおっしゃる人もいるんですけれども、実際は西山さんのインタビューにもあったように、椅子を蹴るとか、机を叩くとか、あとは人格的に攻撃するという、例えば学生さんだったら「就職活動大丈夫なのか」みたいなそういう一言を言って動揺させたり、そういったことは実際に起きてしまうことはありますね。

速水:威圧したりというような昔ながらの方法は、真実でない所に行ってしまう可能性が高い手法であるという部分にそもそもの反省が必要な気がします。


真実が解明されなけれあ被害者も浮かばれない

角:そうですね。今回の西山さんが無罪になった判決ですごく印象的なのは、これで被害者は2度苦しめられたんじゃないかということなんです。この亡くなった患者さんは自然死した可能性があると今回の判決では認定されたんですけれども、本来であれば亡くなった方のご遺族が穏やかに最後を一緒に過ごすということもできたと思うんですけども、事件の被害者ということで心穏やかに送れなかったんですね。こういうことが起きてしまう。つまり自白偏重の捜査をすることで、誤った方向に行くと被害者はやっぱり浮かばれないんじゃないかなという気がしますね。

速水:現在の西山さんはどういう生活を送られているのでしょうか。

角:無罪になるまでは精神的にとても不安定になることも多かったんですが、今は元気に活発に生活できているのかなと思います。出所後はコンビニに働いてたりとかしてた時期もありますし、今はリサイクル工場で働いていますね。

速水:その辺の話も伺えて非常に良かったなと思います。角さんには明日も引き続きお話を伺います。ありがとうございました。