戦争を語り継ぐ~南洋戦

2020年8月12日Slow News Report



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速水:Slow News Report 昨日に引き続きフロントラインプレスのジャーナリスト沖縄在住の当銘寿夫さんにお話を伺います。昨日に引き続き、戦争をいかに伝えるかということがテーマなんですが、今日とりあげるのは「南洋戦」です。まずこの南洋戦というのはどういうものなんでしょうか。


南洋戦とは

当銘:第1次世界大戦で戦勝国となった日本は、日本から南東に約2300キロくらい離れた場所にあるサイパンやテニアンといった南洋諸島を、国際連盟の委任統治という形で、事実上の植民地として得ました。そこに1930年代に多くの日本人が移民として移り住んでいって、1939年時点では77000人くらいの日本人がそこに住んでいたという記録が残っています。その後、第二次世界大戦が始まり、終盤に日本は劣勢となり、アメリカ軍は沖縄や日本本土を攻撃する足がかりとして南洋諸島に攻め込みました。それが南洋戦と呼ばれているものです。

速水:当銘さんはこの南洋戦の経験者にも取材をされているということなんですが、その経緯の話もお聞かせください。

当銘:第1次世界対戦の後、日本が植民地として得た台湾やこの南洋から大量生産で砂糖が入るようになってきました。沖縄はさとうきび農家が多かったものですから、それで暮らしていけなくなった沖縄の農家の方々が多くサイパンやテニアンに移り住んでいきました。大体多い時では7割くらいが沖縄県出身者だったというような記録も残っています。

速水:主にこの南洋戦を経験した方々に取材したということなんですが、一緒にサイパンにも同行されているんですよね

当銘:南洋群島から引き上げてきた沖縄出身の方々が毎年現地を訪ねて慰霊祭を開いているんですけれども、2014年に第45回の慰霊祭があり、その時に随行しました。現地でどういったところを逃げ回ったのかというのを、実際に案内してもらいながらお話を聞かせていただきました。

速水:戦場になった場所に実際に足を運んで、実際にそこで戦争を体験された方に直接話を伺ったということですよね。どういうエピソードがあったんでしょうか。


サイパンでも地上戦の犠牲となった住民が

当銘:沖縄県の北谷町というところに住む高宮城清さんという方からお話を伺いました。高宮城さん自身は小学校1年生でサイパン島に渡ったんですけれども、南洋戦が始まってサイパンにも米軍が上陸してくる中で、山の中を避難している時に、付近一帯から艦砲射撃が山に向かって行われ、毛布をかぶってそれが終わるのをずっと待っていたんだそうです。昼頃から始まった砲撃は夕方頃に終わって、「ああ、終わったな」と毛布を取ったら隣にいた弟と妹はもうその艦砲射撃で亡くなっていたそうです。3人亡くなっていたんですけれども、そのうちの二人は顔の下半分が吹き飛んでいたというかなり衝撃的な光景を目にされたようです。高宮城さんは7人家族だったんですけれども、戦争が終わって1年後くらいに沖縄に引き上げる時には、もうお母さんと高宮城さんだけの二人だったということです。

速水:艦砲射撃であるとか、山に逃げ込むというシチュエーションは、沖縄戦と非常に似ているところがありますね。

当銘:そうですね。米軍が上陸してきて、地上戦で日本兵と撃ち合いになって壕を追い出される経験があったり、逃げている間は艦砲射撃と空襲を恐れていたというような、非常に沖縄戦と似たような経験を南洋の方々もされているなと感じました。

速水:他にも実際に取材されて印象に残っているような事ってありますか。

当銘:祖堅秀子さんという方にお話を聞かせてもらったんですけれども、その方も山の中を逃げ回っているときに、お母さんが目の前でいきなりバタっと後ろに倒たんだそうです。見てみたら体に血の糸を引いたような跡があって、「もう自分は助からないから、何かものをかぶせて自分を置いて行ってくれ」と、それがお母さんとの最後の場面だったというような話も非常に印象深いです。

速水:戦争をその場所で経験した方々久々にサイパンに行って、どういう感想をお持ちでしたか。

当銘:やっぱり75年経っても、このお話をされている最中に涙がこみ上げてくるという方もいらっしゃいますし、話すと夜夢に出てくるから話したくないと追い返されたこともあります。やっぱり時間が経っても癒えない傷というのは、特に地上戦を経験された方々は強く残っているのかなと思います。


【祖堅秀子さんのお話】
戦争が始まって、最後に捕虜に取られたところがバンザイクリフですからね、果てから果てまで逃げてます。もう島をぐるぐる回ってね。まだまだ夜が開けない時から海上のサイレンが鳴り、米軍さんはみんな船から鉄砲を担いくる。初めて見るもんだから怖かったです。日本の兵隊さんも捕虜に取られて捕まってにらめっこで立ってるし、その中に慌てふためいた自分と姉がいて、他に自分たちみたいな人がいるかいないかはわからないけれども、姉が「ひでさん、この手榴弾も配られたし二人で飛び込んで死のう」と言ったんです。「お父さんは来ないよ。行こう」って。でも私は「お父さんは必ず連れに来るから、ここからどこにも動くなと言ったでしょう」と一点張りで、そして這っていって崖っぷちから一応降りたんですよね、飛び込まずに。


速水:この音声は当銘さんがインタビューされている様子ですね。

当銘:この方が先ほどお名前をご紹介させていただきました祖堅秀子さんという方です。サイパンで9人の家族と一緒に住んでいたんですけれども、お父さん、お母さん、弟を亡くしました。家族9人中6人を戦争で亡くしたという体験をされた方です。

速水:沖縄でもあった話ですが、サイパンでも手榴弾が個人に自決用に配られたんですね。

当銘:当時は敵軍に捕まって辱めを受けるくらいならその前に死になさいというような教育が強く行われていました。実際に戦争が始まって逃げ回っている方々にも一つ自決用に手榴弾が渡されていたということはよく聞く話ですね。


戦争体験によるPTSDに苦しむ人も

速水:戦争体験による PTSD に悩んでいる人も多いでしょうね。

当銘:沖縄戦もそうなんですけれども、やっぱり特に地上戦だと多くの人の死というのを立て続けに見る機会が多かったりするんですね。蟻塚亮二さんという精神科医の方も「こういうものが原因で沖縄戦の PTSD が発症してるんじゃないか」というようなことを言っています。私が取材でお会いした体験者の中には、飛行機の音が聞こえるだけでビクッと震えてしまうという方もいらっしゃいましたし、花火の音が怖くてお祭りの最後に花火が上がっている間じゅう家に閉じこもっているという方もいらっしゃいました。花火といえば盛り上がるというのが普通なんだけれども、戦争体験者の方は全く世界が見えているんだなということを強く実感しました。

速水:話として思い出すだけではなくて、いろんなものが引き金になって当時のことがフラッシュバックしてしまうということなんですね。

当銘:先ほどもお話ししたんですけども、自分の体験を話した日に夜夢に出てくるというようなこともあったり、飛行機が飛んでいるのを見て当時の自分が逃げ回っていたことを思い出すというようなことがあったりするようです。

速水:日本はそれまで統治していた場所を放り投げて逃げた部分があるわけなんですが、72年まで変換されなかった沖縄もそういう場所の一つですよね。日本では南洋戦訴訟というものがその後も引き続き問題としてあるということなんですが、南洋戦訴訟とはどういうものでしょうか。

当銘:2013年に、祖堅さんたちのように民間人として南洋戦の中で被害を受けた方々が国に対して謝罪と補償を求めますということで裁判を提起されました。日本はずっと一般の民間人に対して補償をしてきませんでした。東京大空襲や大阪の空襲の被害者の方々も1970年以降にずっと同じような事を求めてきたんですけれども、裁判では一貫して戦争というものは幅広く国民に降りかかったものだから、その被害を国民全体で支えないといけないという、いわゆる“戦争被害受忍論”とよばれる論拠でいずれの裁判も原告住民側が敗訴してきたという経緯があります。南洋戦訴訟も今年の2月に最高裁の判決がでまして、同じように原告住民側が敗訴しています。

速水:原告住民の方々はかなり高齢になられていますよね。

当銘:提訴時点でほとんどの方が80代で、最高齢の方は100歳を超えていました。それから7年近く経っているので、先ほどの祖堅さんが今現在で82歳くらいで一番若いといっても差し支えないかと思います。


想像力で戦争体験を自分ごととして考える

速水:当時まだ幼かった子供が八十歳を超えている。昨日の話もそうですが、戦争の直接の経験者という方々が今はもうそういう年齢になっていて、その次の世代にそれをいかに伝えるかというお話を2日に分けて当銘さんにお伺いしてきました。最後に戦後75年という節目を迎えている中、これから記者としてどう戦争を伝えていきたいとお考えでしょうか。

当銘:何が大切なのかなということをずっとこの二日間考えていたんですけれども、体験していない私たち世代が想像力というものを絶やさないことが大切かなと思いました。地上戦が起きたらどんなことが起きるのか。自分が今暮らしている生活がそういう風に変わってしまったらどうなってしまうのか。あるいはある日突然街の中に原爆が落とされて、お別れを言う間もなく家族を失う辛さというものが一体どういうものなのか。昔あった悲惨な話だねというようなことで終わらせるんじゃなくて、想像力を絶やさずに、戦争や災害を生き抜いた方々から真摯に話を聞かせてもらって、こういうことをもう一度起こしちゃいけないということを受け止めながら、それを聞いていくというような姿勢が、何よりも大切だと思いました。

速水:当銘さん、昨日から2日続けてどうもありがとうございました。

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