巨額の買収事件取材の舞台裏

2020年8月18日Slow News Report



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河井克行安里夫妻巨額の買収事件取材の舞台裏

速水:Slow News Report 昨日に引き続き朝日新聞の記者 板橋洋佳さんのリポートです。昨日は「ジャーナリストと検察のディスタンス」ということで、人間関係をどう築くのか、どう取材対象と距離をとるのか、そして相手とディスカッションするつもりで取材しているというお話を伺いました。そして今日はもうちょっと具体的な事件の話を伺いたいと思います。河井克行案里夫妻の去年の夏の参議院選挙をめぐる巨額の買収事件、その取材にも板橋さんは加わっていたということなんですが、この事件、新たな動きが報じられていますね。

板橋:河井夫妻の初公判の日程が決まりまして、今月25日に開かれることになりました。12月までに55回の裁判が開かれて、判決はその後なので、もしかすると年明けになるかもしれません。

速水:この事件は、去年の参議院選で後援者、地方議員、市長など100人以上にお金をばらまいたという、未だにこういう事件があるのかというちょっと信じがたい事件なわけですが、合計金額が2900万円ということで、この数字の中には朝日新聞の調査報道で明らかになったものもありますよね。この経緯についてお伺いしてもいいですか。

板橋:河井夫妻が逮捕される1か月前に、二つの記事を今年5月のゴールデンウィーク明け頃に掲載をしました。一つは県議や市議や町議ら30人に総額700万円の現金を渡していたというもの。もう一つは河井夫妻が現金を渡していた場面を詳しく描いたという記事です。実は5月の時点では、河井夫妻からどういう人たちに、どれくらいの現金が渡っていたのかというのはまだよくわかっていない状況で、河井夫妻がどういう言葉をかけて現金を渡したのかとか、そういった現金配布の現場の実態も見えていませんでした。ですので記事を書いた意図としては、読者の皆さんに買収の規模感とか全体像をわかってもらう、そんな記事を届けたかったという趣旨です。

速水:取材される時には、いきなり受け取った相手の所に行って、「受け取ったんですよね?」みたいなことを聞いたりはしないそうですね。
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板橋:取材相手にいきなりマイクを突きつけるみたいなことはしません。これは大阪の社会部や広島総局の記者とチームで数週間取材をしたんですが、心がけたことがいくつかあります。それは一対一の場面でしっかりお話を聞かせてもらう環境を作ろうということ。それからもう一つは、受け取った側の感情面もしっかり理解していこうということです。つまりお金をもらったかどうかというだけではなく、もらわざるを得ない状況があったのであれば、その感情面と共に聞く。人間は行動には感情が伴いますから、その辺を理解しながら聞いていこうということで、「誠実にしつこく」というキーワードで取材をしていこうという話をしました。

速水:受け取り方もいろいろあるわけですよね。もちろん全部を察してポケットにずっとしまうというケースもあったかもしれないですけれども。

板橋:取材をしていて一つ見えてきたのは、“現金の置き逃げ”みたいな状況だったんです。克行さんが相手側の事務所や自宅を一人で訪れて、少しだけ会話を交わして、帰り際に現金の入った白い封筒を机の上に置いて、じゃあと言って立ち去る。一定程度共通するパターンというのがありました。

速水:もちろんそこで「票のとりまとめよろしく」なんていうことを言うわけではないわけですよね。

板橋:ケースによっては、「妻の案里が選挙に出るのでよろしく」という場合もありますし、「これ取っといてください」とか「気持ちです」とか「名刺代わりです」とか「食事でもしてください」とかあったようです。ただその渡し方というのは、ほとんど机の上に置いてすぐ立ち去るみたいなことが見えてきました。

速水:それを受け取る側の感情としてはどうなんでしょうか。「いや、こんなもの受け取れませんよ」と言って正々堂々と返すということができないような事情もあるんでしょうか。

板橋:受け取った議員の方々からの聞くと、後悔、焦り、戸惑い、様々ありました。もちろんその場で受け取れないと言った方もいるんですが、多くが置き逃げのような状況だったので、「どうしたらいいんだろう」「このお金いったい何のお金なんだろう」と迷ってしまって、返すにもなかなか返せなかったようです。つまり衆議院議員を6期も務めるようなベテランの国会議員から一対一でもらっているので、直接返さないといけないわけです。でもその機会もない。そうこうしてるうちに時間が過ぎてしまって、「あれはもしかすると買収の意図があったんじゃないか」というような戸惑いも感じている。そんなような気持ちだったようですね。


取材相手に怒りをぶつけるのではなく、事実をしっかり聞く

速水:そういう個々の感情を、受け取った側も事情があるということを丁寧に伺う取材をするということは、そういうことが含まれているんですね。

板橋:そうですね。例えば一対一の場面で相手を責め立てるということは僕はやらないようにしているんです。もちろん僕の感情の中では、選挙で選ばれた議員がこんなお金を受け取るなんていうこと自体が犯罪なので、怒りや失望もありますが、その場でその怒りをぶつけるのはまさにそれは自己満足にしか過ぎない。そうではなくて、僕ら記者はその実態事実をしっかり聞かせていただかなきゃいけない。そういう姿勢で臨みました。

速水:なぜそうなったか、そういうやりとりがあったのかというところを追求していく方が重要であるということですね。ちなみにこの事件はもともと週刊文春がスクープした記事だったわけじゃないですか。当初はウグイス嬢への上限を超える報酬ということでした。そこから非常に大きい事件になっていくわけですけれども、他社のスクープを後から調査報道で朝日新聞がやるということはモチベーション的にはやりにくい所もあったんじゃないですか。

板橋:これは業界用語で言うと「スクープを抜かれた」ということなんです。もちろん悔しいという思いはありました。ただ同時に敬意もあって、フリーの記者でも組織に所属する記者でも、週刊誌であろうが新聞社だろうが、素晴らしい記事はやっぱり素晴らしいと僕は思っています。その上で自分に何ができるのか、何をすべきなのか、そういうようなことを考えた時に、じゃあこの現金配布の全体像、どんな風に渡していたのかという実態を明らかにしようということになって、5月の調査報道に結びついていくというわけです。


裁判では真相が全て明らかにならないかも

速水:この案件自体は週刊文春だったんですが、その後の具体的な調査報道をリードするのは朝日新聞だったということですよね。河井克行案里夫妻の選挙買収事件は25日に初公判が開かれるという話を先ほど伺いましたが、1億5000万円といわれる選挙資金が自民党から河井夫妻の選挙事務所に渡った。ただそこのお金の出所は明らかにならない可能性があるそうですね。

板橋:もしかすると裁判で検察が示す証拠では、この買収資金に使ったお金の原資がその1億5000万円だということは明らかにされない可能性があります。というのは、公選法の買収罪を裁判で証明するためには、買収資金の原資を明らかにすることは必要条件ではないんです。法務省の幹部が「検察の捜査というのは罪を証明することであって、必ずしも真相の解明とは同義語ではないんだ」ということを言っていたのが印象的だったのですが、ここのところは僕ら記者が、それはフリーの記者やフロントラインのような調査報道集団も含め、自分たちの取材力で明らかにすべき点なのかなと思っています。

速水:では、裁判で追求するのは何ということになるんですか。

板橋:もちろん買収罪で起訴しているので、その罪を立証するのが検察の役割です。その過程では真相解明の部分も多々あるんですが、僕ら国民が知りたいものが全部公判で明らかになるのかというと、そうではないことがあるということなんですね。

速水:ただ僕らとしては、河井夫妻が自分たちの判断でやったものなのか、自民党の中の誰かなのか、自民党全体なのか、首相の周辺なのか、その辺の部分が当然気になるわけなんですが、それをするのは記者次第ということになりますね。

板橋:僕ら記者側がしっかり明らかにしなければいけない一つのテーマなのかなと思っています。

速水:そのためには、これからの取材のポイントはどこになるんでしょうか。

板橋:もちろん一義的には、検察が裁判には出さないけれども捜査上でこの買収資金の原資の証拠を掴んでいる可能性もありますので、そういった取材もしなければいけないし、自民党側への取材で実際あのお金は1億5000万なのか、誰が判断してどういう意図で河井夫妻に渡したのかという点も含めて取材を尽くさないといけないですね。


ここをもっと追求しろ!という声が記者のモチベーションになる

速水:今なかなか新聞は部数が減っていたり、ニュースに関心をもたれなくなっているようなところがある中で、作り手としてこういうところを見て欲しいみたいなことってありますか。

板橋:皆さんにもしお願いができるのであれば、朝日新聞の記事を読んだ時に朝日新聞の記事つまらないというような組織に対する意見ではなくて、この記事を書いた記者の取材力が足りないんじゃないのかというようなご指摘をしてもらった方が現場の記者の心に響くのかなと思います。

速水:河井夫妻の事件も、誰がいくらみたいなところまで突き進めるかどうかというのが取材力だと思うんですけども、そこまでいくことが社会として重要だよという理解が必要なのかなと思うんです。ちょっといつも厳しい意見をいただけるリスナー方からメッセージをご紹介します。「何のための真相追求なのかな。巷の好奇心なんて無責任なもの。あるいは真相究明しているプロセスに酔っていないか」 という、今の話へのまさに疑問を呈している方です。

板橋:やっぱり好奇心に酔ってしまうのはいけなくて、僕自身が考えているのは公益性、社会性です。つまり選挙で選ばれた議員の犯罪であったり、皆さんの税金が使われている犯罪など、大きく皆さんに関わるような公益性という観点から真相究明をしたいと思っています。

速水:もう1つ質問が来ています「記者がちゃんと取材をしても、上の指示次第で変わることもあったりするんだろうな」 という、この辺はどうでしょうか。

板橋:少なくとも僕の経験上、ファクト、それに伴う証拠、記事を構成するものがしっかりしていれば、その記事が載らないというのは僕自身は経験していません。

速水:なるほど。そこのファクトが足りないからこれを追求するにはまだ弱いよというような指示でもっと取材しなきゃということはあっても、何か理不尽に上から「ここを追求しちゃいかんぞ」みたいなことは、今のところ新聞社ではないうことですね。

速水:記者の方も24時間全人生を捧げてやれるわけじゃないじゃないですか。その中で、スクープをとれば褒められる部分もあるし、特に朝日新聞というだけで「また嘘を書くんじゃないの?」みたいに思われてしまっている部分もあるかもしれない。個人として褒めて欲しいみたいな気持ちってあるんですか。

板橋:もちろんそういう声は励みにはなりますよね。ただどちらかと言うと、「こういう点をもっと追求すべきじゃないのか」というような声が現場の記者にとっては原動力になるんじゃないのかなと思います。

速水:読者から「ここが知りたいんだよ」ということって実際にあるんですか。

板橋:新聞を読んでくださっている方は投稿などで日々お話は頂いてはいるんですが、なかなか新聞を手にとってくださらない方々も当然多いですよね。もしよければお試しで一週間ぐらい読んでいただいて、そういう日々新聞を読まない方々のご意見というのもなにか化学反応が起きて、次の記事に繋がる僕らのモチベーションになったりするのかなという風にも思っています。

速水:新聞って実際に見ると、ウェブ版と紙ではやっぱり違うところもありますよね。実際ウェブを見たら、紙面には続きがさらに詳細が書かれていたりする。そういう意味では一週間でも、ちょっと見て欲しいということなんですが、もう1つメッセージがあります。「取材力もだけど今は読者の読解力も試されているな」というご意見です。見出ししか読まれないというのは、ネットニュースの話ではどうしても出てくる問題になっていたりしますが、こういう時代に、報道したり、何かメディアをつくるということって変化してきている部分があるのかなという気もします。

板橋:まさにこの「スローニュース」という言葉に結びつけて言うと、スローニュースとは時期を過ぎても読み継がれる記事だと僕は思っていて、読み継がれるような記事を書いていればどこかの段階でその記事をしっかり読んでもらえるチャンスがあると僕は思っています。読み継がれるような深い取材結果が載っている調査報道。そういうものを出していければと思っています。

速水:ちなみに朝日新聞は紙もウェブも両方ありますが、記者としては紙とウェブの意識の違いってあるんでしょうか。

板橋:僕は記者という所にこだわりはありますが、紙に載せなきゃいけないというようなこだわりはあまりなくて、ネットであっても僕らの取材結果をしっかり分かりやすく書ける空間であれば、僕としてはデジタルだろうが新聞だろうがどちらでもいいんじゃないかという思いはあります。

速水:もう一通メッセージを読みます。「朝日の読者ですが、以前より署名記事が増えましたし、好きな記者、嫌いな記者がいます。社会面で時々やる報道の検証が好きです」というメッセージ頂きました。署名記事が増えてるというのは確かに実感ありますね。

板橋:はい。なるべく署名を入れるようにしています。ただ署名をつけられない記事も時にはあります。チームでやっていたり、情報源を守るため、記者の名前が出ると情報源と結びついてしまうので出さないというケースもあったりするんですが、なるべく顔が見えるような新聞にしたいなとは思っています。

速水:昔だったら各社同じ紙面が一面に並ぶということが当たり前だった時代があるんですけど、今は1面が被ることってほぼ無くなっていたりとか、変化ありますよね。やっぱり危機を迎えて競争原理がはたらいて新聞が良くなっている部分が実はあるんだろうなという気がします。話はつきませんが、最後に2日間振り返って、言っておきたいことが何かありましたら一言お願いします。

板橋:「焼け石に水」という言葉がありますが、僕はこれ逆に捉えていて、焼け石に水をかけ続ける、つまり高い岩壁も波が何年もかけて削るように、僕らも取材力を磨くことによって、なんとかいい記事にたどり着きたいなと思っています。今後もしチャンスがあれば朝日新聞、そうでなければネットのニュースなんかを読んでいただいて、ぜひ記者にいろんなご指摘頂ければなと思っています。

速水:二日間にわたり朝日新聞の記者 板橋洋佳さんにリポートいただきました。どうもありがとうございました。