朝鮮戦争に日本人が参加。埋もれていたその記録

2020年10月6日Slow News Report


 今すぐ聴く 


速水:今年は朝鮮戦争の勃発から70年の節目の年です。実はこの朝鮮戦争で日本の民間人が戦闘に参加していたという事実、僕も含めて知らない方多いと思うんですが、今日はそのことを取材した毎日新聞西部本社福岡報道部の飯田憲さんにお話を伺います。朝鮮戦争というと、教科書の中では、日本の高度成長が始まったのが挑戦戦争による特需景気だったみたいな話としては聞くんですが、日本人が戦闘に参加していたという事実を知ったきっかけというのは何だったんでしょうか。

朝鮮戦争に日本人も参戦していた?

飯田:私が今勤務する福岡県には、国内の米軍基地の周辺に建設が相次いだ米軍ハウスが残っていまして、当時なぜこれだけ沢山の米軍ハウスが福岡県に残っているのかということを取材していました。そのなかで、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争の激化が理由にあったということがきっかけで興味を持ったんです。

速水:その取材の中で何を飯田さんは知ったんでしょうか。

飯田:福岡にキャンプ・ハカタという米軍基地があったんですけれども、そこの基地従業員だった方を父親に持つ男性に取材で出会いました。井上さんというんですが、その方にお話を聞いていく中で、父親が朝鮮戦争に行って、炊事係コックとして米軍に同行して、なおかつ戦闘にも参加したんだということを聞いて、そんなことがあるのかと驚きました。

速水:その発言を聞いて、どうやって取材を続けていったんでしょうか。

飯田:なにせ井上さんのお父様も7年前くらいに亡くなってしまっていたので、その証言だけではどうしようもないと。ただアメリカの国立公文書館にそういう文書が残っているかもしれないということを井上さんから聞きまして、実際にアメリカの米国立公文書館からこの文書を入手するということになりました。それが1月のことでした。

速水:これは公開されているものだったんでしょうか。

飯田:手続きを踏めばこうした文書にアクセスすることは可能でして、実際に公文書館に勤務する学芸員の方に仲介していただく形でアプローチすることができました。それで文書を特定して、800ページにわたる文書をコピーして入手したということです。

速水:大量にある公文書の中からピンポイントでこのテーマを探すというのは非常に難しいですよね。その中からまさに“たどり着いた”わけですが、先ほどお話をお伺いした井上さんのお父様の話、実際に文書の中で確認できたんですか。

飯田:お父さんの名前は井上準一さんとおっしゃるんですが、まさに見つかった文書の中、日本人の基地従業員約60人の尋問記録の中にJUNICHI INOUEという形でその記録が残っていました。

速水:裏を取ったら実際にあったということですね。具体的な話まで書かれていたんでしょうか。

飯田:武器を支給されたのかとか、戦闘行為をしたのかとか、お金をもらったのかなど、同行時の状況について詳しく記録に残っていました。

速水:これは無理やり連れていかれたということなんでしょうか。

飯田:これは本当に難しいご質問だと思うんですけれども、実際に記録を読む限りですと「誘われて、志願して行った」と答えている日本人もいれば、「もし断って基地の仕事を失うと困るからついていった」と答える方もいてですね、無理やり連れて行かれたのかというと、一概には言えないという印象を受けました。

速水:なるほど。まあ付き合い上みたいなニュアンスだったり、親しさの延長でというケースもあったり、人によって理由は違うんですね。朝鮮半島に渡った方は戦争の中でどういう役割を担っていたんでしょうか。


実際に戦闘に参加していた日本人も

飯田:この60人のうち大半は炊事係であるとか、ハウスボーイという形で将兵の身の回りの世話をする方、もしくは、当時はまだ太平洋戦争が終わった直後で、日本語ができる朝鮮の方も多かったので、英語もできる日本人ということで通訳という形で行っている方達もいました。

速水:その人達が実際に相手を撃ったり殺したりした記録というのは残ってるんでしょうか。

飯田:なかには「北朝鮮兵を何人殺したか分からない」とかですね、支給されたカービン銃を発砲して殺したという答えをしている日本人も少なくありませんでした。

速水:こうしたことはほとんど知られていない事実だと思うんですが、その背景についてお伺いします。先ほど個人的に将校なんかと関係がある日本人が許可なく帯同した可能性があるという話だったんですが、当時の状況みたいなものをもうちょっと詳しく教えていただけますでしょうか。

飯田:私が入手した文書のタイトルは「韓国における日本人の無許可輸送と使用」と書かれていました。ですので、これは米軍が公認して帯同したわけではなく、正式な許可を取ることなく帯同させたんじゃないかと思います。尋問記録には、いずれも渡航については口外しないということを誓わせて署名させていました。

速水:当時の日本人が朝鮮戦争に参加することって問題があったということでしょうか。

飯田:当時、日本は占領下であって、朝鮮戦争に対する日本政府の姿勢としてはあくまで後方支援という形になっていました。また、米軍が朝鮮戦争で戦っていますけれども、形式上は国連軍ということで戦っています。当時の日本は国連にも加盟しておりませんので、日本人が戦闘行為に公式に参加するということ自体が当時の国際情勢上ありえないということはいえると思います。

速水:国連に加盟していないのに国連軍に参加しているという、非常に複雑なことにもなるということですよね。当時、このことは日本の中でみんな知っていたりしたことなんでしょうか。報道されたりしたことはなかったんでしょうか。

飯田:この60人のうち、大半は半年くらいで急遽日本に帰国させられています。それは当時、米軍内で日本人を使用していることが軍の中で問題視されたからじゃないかなと考えているんですけれども、帰国後にこうした尋問が行われて、緘口令が敷かれ、家族にも喋らないという状況が続いていました。

速水:当時からこれは全く表に出なかった話ですか。

飯田:これはまさに今取材を続けているところではあるんですが、朝鮮戦争が休戦になって、なおかつ日本が独立してから、朝鮮半島に同行して亡くなった日本人の家族が補償を求めて日本政府に訴えるということを報じた記事自体はポツポツあるんですね。ただそれはあくまでものすごいレアケースにされてしまって、世論の喚起もなされずに埋もれてしまったようでした。日本政府としても、お互いの両政府公認のもとに行ったわけではなくて、あたかも勝手にいったと捉えられてしまったんじゃないかなと思います。


戦場には子供も帯同していた

速水:また文書の中では、7歳の子供が行っているケースなんかもあったんですよね。

飯田:ありました。これは軍隊の慰労というか、当時軍に子供同行させるということは日本人だけじゃなく、韓国のちっちゃい子も一緒に同行させられて、戦闘で疲弊した兵士を少し明るくさせる“マスコット”という役割をさせられていたということも記録に残っていました。

速水:これは今の感覚では分からないことですが、これは記録として“マスコット”という言葉で当時治従軍した未成年の記録があるんですね。

飯田:あります。今はおそらく80歳くらいになっていると思うんですが、もし追跡できたらお話も聞きたいとは思っています。


朝鮮戦争は対岸の火事ではなかった

速水:飯田さんはまだこの問題の取材を続けているんでしょうか。

飯田:はい。日本政府は朝鮮戦争と日本の関わりということについて、過去に国会でも質問を受けたことはあるんですけれども、正確に事実関係を示すことは困難と答弁しています。実際にどういうことかあったのかということがまだ不透明な部分がかなりあるので、その点を明らかにしたいと思っています。

速水:最後に飯田さんがこの取材を通して感じたことをお伺いしてよろしいでしょうか。

飯田:改めてこの朝鮮戦争というのは戦後日本に大きく影響を与えたものだと思っています。朝鮮戦争特需ということだけではなくて、本当に対岸の火事ではなかったんだということは多くの人が知らなきゃいけないと思っています。

速水:興味深いお話、今日は毎日新聞の飯田憲さんに伺いました。飯田さんどうもありがとうございました。