主役なきゴーン法廷

2020年10月26日Slow News Report


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速水:今日は“主役なき裁判”と言われます、先月始まったばかりの日産元会長カルロス・ゴーン被告の報酬をめぐる事件の裁判についてです。朝日新聞社会部司法担当記者 根津弥さんにお伺いします。ゴーンさんは日本から脱出してしまっていますが、現在はグレッグ・ケリー氏をめぐる裁判が行われています。まずここまでの経緯を簡単に振り返って、ケリー氏がどんな人かという話からお伺いしていいでしょうか。


ゴーン事件、グレッグ・ケリー氏の裁判が始まる

根津:ゴーンさんが逮捕されたのは約2年前の2018年の11月になります。このときにゴーンさんさんと共に逮捕されたのが、今回裁判で被告となっているグレッグ・ケリーさんです。この人は日産の当時代表取締役だったわけですけれども、もともとアメリカで弁護士をしていて、アメリカの法律事務所を辞めて日産の北米支社に入社し、その後人事などの仕事をした後にゴーンに取り立てられて役員になり、2012年からは代表取締役になったという、ゴーンの側近中の側近といわれる方になります。

速水:問われている罪は報酬をめぐるものですよね。

根津:そうですね。ゴーンさんが問われている罪というのは、大きく分けて「金融商品取引法違反」というものと「会社法違反」という二つあったんですけれども、ケリーさんが共犯として裁判にかけられているのは、金融商品取引法違反の有価証券報告書の虚偽記載という、なかなか聞きなれない罪名なんです。有価証券報告書というのは会社の業績です。売上とか、黒字がどれくらいとか、経営の体制とか、そういったものを投資家に説明するための報告書です。これは上場企業には提出が義務付けられているものなんですけれども、このうちの役員報酬の項目で、ゴーンさんの報酬の金額について虚偽の金額を記載したというのが検察側の主張です。ケリーさんもこの犯行に関わったという内容になっています。

速水:とはいえ不正に報酬もらっていたのではないかというゴーン氏自体がいない中で裁判が行われている。これ自体はこれを非常に異例なことと考えていいんでしょうか。

根津:ケリーさんはゴーンさんに指示されてその行為に関わったというのが検察側の主張なんですけれども、主犯がいない中で事件をやるのはある意味仕方のないことではあるんです。これ自体はときに生じうることだと思うんですけれども、今回は役員報酬の虚偽記載ということが罪に問われるのが初めての事件になります。今まで有価証券報告書の虚偽記載というと、会社の経営が本当は赤字なのに黒字に見せかけるという、いわゆる粉飾決算の事件でしたが、それが今回は役員報酬という問題になっています。これは判例のない事件になります。なぜこういうものが今回罪に問われているのかというと、報酬を1億円以上もらっている役員の名前と金額を記載するというのは2010年から始まった制度なんですね。その中でゴーンさんが報酬の一部を退職後に受け取ることにして、実際には金額はもう決まっていたのに開示を免れたのではないかというのが今回の検察側の主張ということになります。

速水:この裁判自体が世界中から注目されているところもあって、番組のパーソナリティでもあるカリン西村さんもこの裁判を取材しているんですが、根津さんから見てこの裁判の注目度はどうご覧になっていますか。

根津:やはりゴーンさん本人がいればもっと注目が集まったんだろうなとは思いますが、とはいえ9月15日の初公判には海外メディアの方もたくさん傍聴に訪れていて、その後ずっと裁判が続いているんですが、カリンさんもその一人だと思うんですけども、定期的に海外メディアの方も法廷に足を運ばれていますね。これは他の通常の日本の刑事裁判にはなかなか見ない光景だなと思います。

速水:実際に裁判をご覧になって、例えばケリー氏の表情とか印象に残る所ってありましたか。


ケリー氏は無罪を主張

根津:今はまだケリーさん本人が質問を受ける場面というのはほとんどないんですけれども、最初の罪状認否でケリーさんは無罪を主張しているんですけれども、その中で非常にゴーンさんのことを褒めているんですね。彼はこの20年間日産を発展させてきた傑出した経営者で、いかにゴーンさんを日産に繋ぎとめるのかということを、あくまで合法的な方法を探っていたんだということを強く主張されていました。非常にゴーンさんを褒めて、その上で自身の無罪を主張されるという姿が非常に印象的でした。

速水:非常にリスペクトを保っているのはなにか理由があるんでしょうか。

根津:多分そこは主張の根幹にも関わると思うんですね。ケリーさんの主張というのは、ゴーンさんもそうだったんですけれども、逮捕された直後から一貫していて、ゴーンさんが競合他社に取られてしまうことを防ぐために、退任後にお金を払う方法を検討はしていた。でもこれは役員報酬とは関係ないんですよと。つまり有価証券報告書に記載する必要があるお金ではなかったんですよという主張は一貫しているので、彼がやった行為が正当だという主張をするための根幹のところとして、ゴーンさんが優秀な経営者で重要な人物だったんだというところが密接に関わっているんだろうなと思います。

速水:報酬は払うべきものだったんだという立場を一貫している。その中で自分は言われたから行ったんではなく、一生懸命繋ぎ止める立場だったということを主張したわけですね。

根津:そこがちょっと分かりにくくて、ゴーンさんに既に支払っている報酬の一部を載せていなかったという話だと分かりやすいんですけれども、検察の主張はあくまで未払分の報酬が載っていないという主張なんですね。国の定義でも、その事業年度で受ける見込み額が明らかになったものは有価証券報告書に載せなければいけないとしていて、見込額というものに今回該当するんだということなんです。ただそれは金額が本当に確定してたのかということは確かに議論を呼びうるところで、なかなか裁判としても注目だなと思っています。


衝撃の逃亡劇

速水:根津さんはゴーン逮捕前からこの事件を追いかけていらっしゃるんですよね。

根津:そうですね。私は今、朝日新聞の司法の担当で裁判担当なんですけれども、ゴーンさんが逮捕された当時は検察担当で、東京地検特捜部が手掛ける事件を中心に取材をする立場でした。ですのでゴーンさんが逮捕される前から、水面下で特捜部が動いているという時からこの事件についてはずっと取材をしてきました。

速水:やはり逃亡前、逃亡後ではずいぶん事件のニュアンスが変わったところはあるんでしょうか。

根津:やっぱり昨年末の逃亡というのはあまりにも衝撃的だったところもありまして、この逃亡によって本人が法廷に不在というのは非常にこれは残念なことではありますし、ゴーンさんの本人の主張が法廷で聞けないということは残念だなと思っています。

速水:ちなみに逃亡のことはどういう形で根津さんは知ることになったんでしょうか。

根津:ゴーンさんが日本を発ったのは12月29日なんですけれども、判明したのは大晦日の早朝だったんですね。この時ちょうど昨年の12月25日に秋元司議員の IR 汚職事件で、秋元議員がクリスマスに逮捕されて、私はこの事件の取材をしていました。それで12月30日に徹夜をして、大晦日は徹夜明けで自宅に帰って仮眠を取ろうとしたところ、上司からゴーンが逃げたという報道が出ているという電話がかかってきました。ちょっと意味が分からなかったというのが正直なところで、そもそも出国審査を通過できるわけないじゃないかというのもありましたが、その後報道で話題になった通り、実は箱に隠れて逃げていたということなんですけど、ちょっと衝撃でしたね。

速水:一通メッセージを読みたい思います。「ゴーンさんの給料は普通だったのかな。あのお金があればリストラの数を減らせたのではないかと思ってしまいます。虚偽記載もそうですが,結婚式や旅行など私的なことにも会社のお金を使っていた疑惑ありますよね。どこかの国の元総理も疑惑がクリアになっていないので早く逮捕してほしいな」と言うメッセージです。こちら虚偽記載もありましたけれども、会社のお金をたくさん使っていたということも争点になってきているんですか。

根津:いいえ、今回の裁判に関してはあくまでケリーさんが罪に問われているものしか裁かれません。ゴーンさんがいないと裁判としてはなかなか話題には上がらないものになりますね。


日本でも始まった司法取引

速水:そして“司法取引”というものもゴーン事件の裁判をめぐるもう一つの特徴だと思います。アメリカのドラマや映画なんかでよく見ますが、自分も捜査を受ける側にいて、捜査に協力することで刑期や罪自体を軽くするみたいな取引ですね。これは日本でも制度として最近になって使われるようになりましたが、今回の裁判で司法取引の妥当性をめぐる問題というのも一つポイントですよね。

根津:司法取引というのは、こちらも2年前に始まったばかりで、ゴーンさんの事件でまだ2例目のものです。日本ではこれから制度が定着するのかどうかという段階の制度になります。

速水:これはどういう事件であれば適用するみたいなことも決まっているわけですよね。

根津:そうですね。これはいわゆる経済事件、今回の事件も経済事件になると思うんですけれども、他に薬物事件、銃器犯罪なんかも対象です。逆に人の身体に危害を加えるような犯罪、分かりやすく言うと殺人、あるいは性犯罪とか、こういったものについては適用の対象外とされています。

速水:ちなみに今回は誰が取引の対象なんでしょうか。

根津:今回は取引をした人間が二人いまして、一人が大沼敏明さんという日産の元秘書室長の方で、もう一人がハリ・ナダさんという外国人の方ですけれども、日産の専務執行役員の方ですね。この二人が、検察の主張としては今回の犯行に関わったとされているんですが、二人は捜査に協力することで不起訴処分になりました。罪を問われなかったという形になりました。

速水:今の裁判の中では検察の側のターンということで、この二人が出してきたデータ、例えばやり取りのメールとかそういうものを検証している状況なんですよね。

根津:そうですね。主には大沼さんのものが大半になっているという印象です。まさに今、大沼さんの証人尋問というのが9月末からずっと続いておりまして、12月まで予定されているんですが、この中で大沼さんがゴーンさんの指示で作成したとされる様々な文書が法廷で出てきていまして、大沼さんがこれをずっと説明している。検察の主張に沿った証言というのを法廷で続けているという状況です。

速水:番組でカリンさんと一緒にこのテーマをお送りした時、非常に細かい手順を踏んでこの検証を行っているという話もレポートされていました。

根津:日本の裁判って非常に細いというのは一つ特徴ではあるといえばあるんですけれども、その犯行とされる期間も2010年から2017年で非常に長い期間で、それぞれ「何月何日にこの文書を作りました。ここに書いてある記載の項目はこういう意味です」ということを1枚ずつ文書の説明をしているという形です。隔週で週4日、10時から17時という形でずっとその説明を続けています。この取引した人が証人尋問に出てくるということ自体が日本で今初めての事態ということなんです。


今後のゴーン事件の行方は

速水:今後の裁判の成り行きはどう展開していくんでしょうか。

根津:まず大沼さんの証人尋問が12月まで続きます。そして11月からは弁護側の反対尋問という形で、弁護士の質問に大沼さんが答えます。弁護士は当然いろんな矛盾とかを指摘していくということになるんだと思うんですね。年明けからは、日産の旧経営陣の方がいっぱい出てきます。それこそ当時社長だった西川さんとかも来年2月には法廷に出てきますし、当然ハリ・ナダさんも来年1月から出てきます。他にも歴代経営者が出てきて、日産内部でどういう事があったのかということについて証言します。来年の5月からケリーさんの被告人質問が始まり、7月まで審議が予定されています。判決はもっと先になるということになります。


ゴーン事件の裁判で本人がいなくても大事なこと

速水:なるほど。非常に争点が多く複雑で、取材をされている方も非常に時間がかかるし手間がかかる事件だと思うんですが、朝日新聞の特設サイト「主役なきゴーン法廷」というサイトは根津さんも関わっているんですか。

根津:そうですね。ここでアップされている記事のコンテンツを現在進行形で日々書いているという感じですね。

速水:これを作られた意図みたいなものは何なんでしょうか。

根津:やっぱりこの裁判は“主役なき”という言葉に象徴されるんですけれども、どうしても世の中的には「ゴーンさんいないじゃん」というところがあると思うんです。けれども実際この裁判で問われていることの重要性というのは、実はゴーンさんがいるかいないかに関わらず大事なことはいっぱいあって、先ほど申し上げた司法取引についても本当にこの制度が妥当なのかというところはこれから検証されることです。司法取引には嘘をつくことで他人を事件に巻き込む危険性みたいなことも指摘されていた制度なので、このことがまさにゴーン裁判でこれから問われていくということもあります。また、来年から日産の経営陣が西川前社長を筆頭に出てきます。ゴーンさんは「これはクーデターだ。検察と日産にハメられたんだ」ということを言っていた。じゃあ日産の中で本当は何があったのか、これから検察の捜査の妥当性みたいなことが検証されていくという裁判になります。そういった意味では、ゴーンさんがいてもいなくてもその点の重要性というのは変わらないんだということで、朝日新聞としてもきちんと扱っていこうということで特設サイトを作りました。

速水:なるほど。このサイトを、今日の放送とともに経過なんかも確認しながら見たら、さらに分かる内容になっていると思います。ここまで朝日新聞社会部 根津弥さんにお話を伺いました。ありがとうございました。

『主役なきゴーン法廷:朝日新聞デジタル』
https://www.asahi.com/special/ghosn-saiban/