<番組のトーク・パートと選曲リスト>
今月は、「作詞家から見たヒットの裏側」と題して、作詞家の売野雅勇さんが、これまで手がけたきたヒット曲の時代背景、社会の動きなどとともに、歌謡曲、J-Popが生まれる裏側に迫ります。今回はチェッカーズを特集していきます。
―チェッカーズは、最初のレコーディングで、「ギザギザハートの子守唄」「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」等、シングル盤を3つ分、B面曲も合わせて5~6曲収録したそうです。
チェッカーズのデビュー曲は「ギザギザハートの子守唄」でしたが、実はこの曲は売野さんの作詞ではありません。この曲はチャートでは90位くらいで、夢見ていた結果とは違いましたが、売野さんは「ビートルズも2曲目から売れた」と言い、励ましました。
そして、2枚目のシングル「涙のリクエスト」が大ヒットすることになります。
M1「涙のリクエスト」/ チェッカーズ
「オールディーズなんだけど80年代っぽい匂いのするオールディーズを書いてくれない?」という注文を受けた売野さんは、かなりオールディーズの匂いのする「涙のリクエスト」と、ニューウェーブの匂いがする「テレビジョンベイビー」という、2曲を書きました。その中から、作曲家の芹澤さんが、「涙のリクエスト」を選び、曲を付けました。曲はあっという間にできたそうで、一説によると15分ほどで書けたそうです。ちなみに、もう1つの「テレビジョンベイビー」には曲が付かず、世には出ていません。
― 次にご紹介するのは、「ジュリアに傷心」です。この曲は、芹澤さんが作った曲に、売野さんが詞を付けました。
M2「ジュリアに傷心」/ チェッカーズ
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。
売野さんはこの曲に詞をつけるのに苦労し、何度も書き直したそうです。サビの出だしの「Ol’ My Jullia~」の部分は、最後までなかなか決まらず、スタジオで芹澤さんが「なんか女の子の名前がいいんじゃないの?」と提案しました。そこで、売野さんは、当時生まれたばかりの芹澤さんの娘さんの名前「ユリア」(ロシア語の”ユリア”を英語にすると”Julia”)から、「Ol’ My Jullia~」と歌詞を付けました。
この曲は、チェッカーズの中で一番売れた曲です。
― 続いては「星屑のステージ」です。
M3「星屑のステージ」/ チェッカーズ
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。
この曲は、プロデューサーから「アルバムの1曲だから、気楽に書いてください。ちあきなおみの『喝采』みたいなのがいいです。チェッカーズの私小説みたいに聞こえるような作りがいいんじゃないですか?」という発注から、売野さんが『喝采』を何度も聴いて分析をし、詞を書いたそうです。
この曲はチェッカーズの初めてのバラードで、リリースされたときの評判は絶大でした。
進行:売野雅勇(作詞家)
1951年栃木県生まれ。上智大学卒業後、コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター「星屑のダンスホール」などを書き、作詞家として活動を開始。
1982年、中森明菜の「少女A」のヒットにより作詞活動に専念。以降チェッカーズを始め近藤真彦、河合奈保子、シブがき隊など数多くの作品により80年代アイドルブームの一翼を担う。
90年代からは坂本龍一、矢沢永吉からゲイシャガールズ、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。ヒット曲多数。
~売野雅勇さんの著書~
『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々(朝日新聞出版)』
こちらの書籍でも売野さんが手がけた楽曲の誕生秘話が書かれております。
気になった方は、是非ご連絡ください。
▽詳細はコチラ
【朝日新聞出版HPへ】