#95『I Got Rhythm~音楽が生まれる時』 選曲リスト

今月のテーマ:「作詞家から見たヒットの裏側」 (第3回:作曲家との仕事) パーソナリティ:売野雅勇

<番組のトーク・パートと選曲リスト>

 今月は、「作詞家から見たヒットの裏側」と題して、作詞家の売野雅勇さんが、これまで手がけたきたヒット曲の時代背景、社会の動きなどとともに、歌謡曲、J-Popが生まれる裏側に迫ります。今回は、売野さんが一緒に仕事をした作詞家の方々を紹介しながら、作詞家と作曲家の関係についてお話ししていきます。

― まずは井上大輔さん。井上さんは、売野さんの書く詞が好きだったようで、売野さんが麻生麗二という名前でシャネルズの詞を書いていたときに、井上さんがマネージャーに「麻生麗二を探してこい」と言い、売野さんを訪ねたとのことです。
 井上さんは仕事をする際、「詞をワンフレーズでいいからくれない?」としょっちゅう言ってたそうで、断ると、「絵でもいいよ」「写真でもいいから」と、売野さんのイメージを欲しがったそうです。
 
M1「2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-」/ 郷ひろみ
 CMソングを多く手がけてきた井上さんの曲はキャッチ―で、多くの仕掛けがされているのが特徴です。この曲は、詞先で作られた曲ですが、売野さんは日本の詩歌の伝統に則り、「僕」「君」といった人称代名詞を使わず、由緒正しい詞を書いたそうです。そんな文芸っぽく書いたつもりの売野さんですが、メロディができて、デモテープを聞いたら、「億千万♪億千万♪」というコーラスに、最初は「僕の詞をぶち壊したよ」とびっくりしたそうですが、この印象的なリフレインがあるからこそ、この曲は長く愛されていると、売野さんは語っています。

― 続いてご紹介する作曲家は、林哲司さん。
 林さんは、温かで優しく、穏やかで本当にいい人と売野さんは話します。「お坊ちゃま」とからかうと怒るそうですが、作る曲も品があって、由緒正しく、エレガントな雰囲気があります。
 林さんが作る曲はすべて曲先で、詞先はやらないそうですですが、林さんに曲をお願いすると、必ず泣かせてくれるという売野さん。メロディアスでキュンとするところがあり、曲から林さんの持つ哀愁が感じられます。

M2「Say Yes!」/ 菊池桃子
 林さんから「自殺する若い人が多かったり、いじめとかがあるので、”生きるって素晴らしいんだよ”っていうメッセージを」という注文があり、売野さんは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコさんが出会ったロンドンのギャラリーの話を思い出したそうです。(前衛芸術家のオノ・ヨーコさんの個展にジョン・レノンが来た時、天井に取り付けられた白い額縁とそこからぶら下がる虫眼鏡、その下に白い脚立がある作品に出合いました。脚立にのぼって虫眼鏡で額縁を見ると、「YES」の文字が見えました。)この「すべてを肯定しろ」というメッセージが込められた話を思い出し、売野さんは「Say Yes!」という曲にしました。

― 最後に紹介するのは、筒美京平さんです。昭和を代表する大作曲家で、数々のヒット曲を生み出しました。
 筒美さんは、詞を誰に書いてもらうかを全部自分で決めるそうで、その時の時代を証言するような作詞家を見つけるのが上手いと、売野さんは語ります。

M3「夏のクラクション」/ 稲垣潤一
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。

 売野さんが筒美さんと共作した、河合奈保子さんの「エスカレーション」のレコーディングで、筒美さんから「稲垣潤一って知ってる?次一緒にやってみない?」と言われたという売野さん。そして書かれたのが、この「夏のクラクション」です。


進行:売野雅勇(作詞家)
 1951年栃木県生まれ。上智大学卒業後、コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター「星屑のダンスホール」などを書き、作詞家として活動を開始。
 1982年、中森明菜の「少女A」のヒットにより作詞活動に専念。以降チェッカーズを始め近藤真彦、河合奈保子、シブがき隊など数多くの作品により80年代アイドルブームの一翼を担う。
90年代からは坂本龍一、矢沢永吉からゲイシャガールズ、SMAP、森進一まで幅広く作品を提供。ヒット曲多数。


~売野雅勇さんの著書~
『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々(朝日新聞出版)』
こちらの書籍でも売野さんが手がけた楽曲の誕生秘話が書かれております。
気になった方は、是非ご連絡ください。
▽詳細はコチラ
【朝日新聞出版HPへ】