\✨『歴史のじかん』出版記念!✨/
今週は『歴史のじかんクイズ』お届け!
【問 題】
とても部下思いだった明智光秀は、武将にもかかわらず、とある学問を学んでいました。
その学問とはなに?
【正 解】
『医 学』
ここで、明智光秀についてさらっとおさらい!
明智光秀でもっとも有名な出来事といえば、「本能寺の変」
織田信長に対して家臣である光秀が謀反を起こしたという内容で、これにより極悪人というイメージがついてしまいました。
さらに、豊臣秀吉が天下統一したことにより「歴史上の敗者」ということに…
そんなイメージの光秀ですが、明智光秀はかなりモテ男な一面があるんですよね。
実は、光秀はインテリで教養人!歌会やお茶会などの文化面でも優れた能力を持っていたようです。
そして部下思い。医学の知識を持って、部下の怪我を心配したり大切に思っていました。
戦国武将自身が医学を勉強していたという例は珍しいんです!
また、戦いで亡くなった家臣18人を偲ぶために、お寺に供養米を納めました。
それも、名字を持たない身分の低い人まで!
インテリで、だれにも分け隔てなく思いやるジェントルマンです…
でも、単なる文化人ではないということがポイント!
武将としての顔も立派なんです。
「金ヶ崎退(かねがさきの)き口」に注目してほしい!信長が朝倉義景との戦いに敗れて撤退するとき、最後尾で豊臣秀吉が活躍していたので秀吉の手柄だとされてきたのですが、本当は光秀もその場に敵を引き受ける役として残っていたんです!
武将として、勇猛果敢だったんですね。