第290回 陣内貴美子さん②

ゲストは、先週に引き続き、 陣内貴美子さんをお迎えしました。



学年で1番身長が小さかったという陣内さん!
活発な子として、親御さんを困らせていたとか。

地元:熊本県八代市にあった、
男の子は野球、女の子はバドミントン、という流れに
姉と一緒に乗り、バドミントンを始めたそう。

陣内「最初は、まぁ〜、つまんなかった(笑)
   だから、体育館でお菓子食べて、少しだけ参加して
   1番最初に帰ってしまう子だったんだよね。
   でも、最初の大会で2回戦で、身長が大きい子に負けて
   すーーーごい悔しくて!!!
   次の日から、みんなの倍練習して、居残りもして、
   3ヶ月後、大会で優勝した。
   その時思ったの、”天才!”って!あはは(笑)
   ただ、先生が良かったんだよね。
   どんなに強い子でも、挨拶ができない子はコートに入れない
   って言われたから、挨拶はしっかりしてました。
   靴も揃えないと、体育館の外に捨てられちゃう。」

その後、中学で日本一に輝き、
高校でも日本一を目指すようになった陣内さん。
しかし、高校2年、16歳のとき代表選手に選ばたことで
覚悟を決める前に、日の丸を背負う経験をされました。

先輩たちがつないできた強豪日本を守るため
”ポーカーフェイス” な陣内さんが誕生しました...。

バドミントンが正式種目になった
バルセロナオリンピックにも出場されました。
その時感じた 独特の緊張感は、今でも忘れられない、とのこと。


陣内「今まで他の国際大会出てきて、ある程度の成績も残してきて
   緊張感を楽しんでいたのに、オリンピックでは飲まれました。
   3分の練習時間も、普通だったらライトの位置、風向き、
   相手の表情も確認するのに、その時だけは、
   シャトルが飛ぶのか、すら分からないくらい、舞い上がっていて。

   メダルを狙っていたのに、入賞すらできず。
   その時に思ったのは、緊張とか一切関係なく、
   私にはメダルを取る実力がなかった、とはっきり分かった。
   監督に怒られるかと思ったら、
   ”スッキリした顔してる。お疲れさん。”って初めて言われたの。
   それがあったから、今の取材ができているかもしれない。」

選手に寄り添ったインタビューができるのは、
陣内さんならではかもしれません。


プライベートでは、2001年に
元プロ野球選手 金石昭人さんとご結婚されました。
おしどり夫婦っぷりは、憧れの的です。

金石「1番は、お互いを尊敬してるかも。何をしても。
   それから、余計なことは言わない。
   私が落ち込むこともあって、それを話したら、
   ”大丈夫!周りは そんなに見てない!”って言われて(笑)
   あと、喧嘩をしそうになったら、
   ”わしらには喧嘩している時間は無いんぞ ”って言われるの!
   確かにな〜って思っちゃう(笑)」 



最後の質問...
陣内さんの『元気の源』は、”人との出会いと笑顔” でした。


2週にわたり、元気なパワー!ありがとうございました!


M. 栄光の架け橋 / ゆず(陣内さんの選曲)