野口さんは、1973年アメリカ ボストン生まれ。
世界7大陸最高峰登頂を、最年少記録25歳で達成されました。
アルピニストとして活躍する一方で、エベレストや富士山の清掃、
シェルパ基金の設立、熊本地震の支援など、
社会貢献活動にも尽力されております。
この5月には、新著、
『登り続ける、ということ。-山を登る 学校を建てる 災害とたたかう 』
が発売されました。
漢字にふりがなが振られているなど、
幅広い年代、親子で一緒に読めるようにしているそう。
"死と隣り合わせの世界" である登山では、
標高が高く下す事ができなかった遺体を見ながら、
登って行く事になります。
杏子「最初は断念されたんですよね?」
野口「あれは、雪に突っ込んじゃってね〜...
徐々に体を慣らすために、上り下りを1ヶ月繰り返して、
ある程度順応したら、天候をみて山頂を狙うんです。
2ヶ月くらいかかって、疲れちゃうんですよ。
8000m級は疲れちゃうんで、本当に!やめたほうがいいです!」
最後のエベレスト登頂の時には、下山を開始すると
疲れ切った仲間たちが道中で次々に亡くなってしまい、
心身ともに疲れてしまったそう。
山は登るのではなく、見るものだ、と心から思い、
引退を奥様に相談したのだとか。
野口「僕も今回はギリギリだったと。
普通だったら、”よく頑張ったわ”とか、いうじゃないですか?
でも、かみさんは、真顔で、”あなたはアルピニスト。
山に登るあなたが好き”って言うんですよ!(笑)」
杏子「あはは!(笑)え?それいくつの時ですか?!」
野口「32才くらいですね。
でもね、僕は 生命保険17社かけられてるんですよ?
つくづく思うんですけど、山も危険だけど、
一番の身の危険を感じるのは、家に帰った時ですね!(笑)
ヒマラヤは危険ですけど、純粋ですから。人間の方が怖いですよ〜」
エベレストの2回目の挑戦の時は、
あと500mほどのところで断念されています。
山頂に行く直前で急な天候の悪化してしまったそう。
野口「悩むんですよ。でも、生きて帰れるか分からなくなって。
皆言うんですよ、”無理しないでね”って。
でも、無理しないでエベレストに登れるなら、皆登れるんです。
無理しないと、登れないんです」
杏子「そっかぁ....」
野口「それに、”無理しないでね” って言うくせに、失敗すると
あーだこーだ言うんですよ、だから世間の人って怖いんですよ。
ただ、30分くらい目を閉じて考えてたら、
風が吹いていて体感マイナス40度くらいなので、まつげも凍って
心まで凍って行って、感情がなくなるんです。
死の世界のお迎えがきたな、と思ったら、最後に、
”死にたくない”って思えたんです。
帰国して何か言われたら、ブラジルにでも逃げればいいし!
死ぬくらいなら、逃げようと思ったんです。それで下山しました。」
そのまま登頂を目指した仲間は、途中で遭難。
一命を取り留めたものの、重度の凍傷などで
視力と多くの指を亡くしてしまった、と野口さん。
山岳部の現役学生が個人の冒険をするのは、当時タブーでありながらも
3回目にも挑戦され、今度は見事登頂されました。
ここまで挑戦し続けられる理由についうて、野口さんはこう話されます。
野口「自分に何が出来るか考えたら、
他にできる事がないんですよ、山以外に。
挑戦を続けるのも怖いけど、挑戦を止めて何もない自分に戻るのが
もっと怖かったんですね。そう思ったら挑戦するしかなかった。
杏子「そっか〜」
野口「もっと社会性あって、いろんな才能があったら、
エベレストなんか絶対行きませんから!(笑)
冒険以外で自己表現できる場がなかったんです。」
杏子「それが才能ということなんですよ!」
まだまだ野口さんにお話し伺います!
来週もお楽しみに。
M1. 風にとどけ / リーガルリリー
M2. Macaxeira Fields / Alexandre Andrés, Rafael Martini, Joana Queiroz & Gustavo Amaral
*松室政哉は、このゲスト収録を前に、
新型コロナの濃厚接触者となり今週よりしばらくお休みです。
(PCR検査では陰性でしたが、健康観察期間とし自宅待機となりました)