2021.8.11 ~ ゲスト:野口健さん②

第359回 先週から引き続き、ゲストはアルピニスト:野口健さん。

今週も松室はお休み中...杏子が1人でお話伺っております。



お話は、野口さんが積極的にされている様々な支援について。

杏子「シェルパ家族への支援。
   私、シェルパって職業の名前だと思ってたんですけど、」

野口「そう、シェルパは民族の名前で、多くが登山ガイドで。
   彼らは、4000mで生まれ育ってるので、高所に強いんですよ。
   5000mでも6000mでも走りますからね(笑)」

そんな彼らを支援することになったのは、
1995年に起こったヒマラヤでの大規模な雪崩でした。
当時、日本にいてニュースを見た野口さんは、
日本人13人が遭難という内容に少し疑問も持ったそう。

野口「セットなんですよ、登山隊員とシェルパは。
   日本隊員だけが全滅するのか?って思ってたら
   ネパールから連絡があって、僕のパートナーの弟が
   その日本隊員と一緒にいて、そのシェルパたち10人以上。
   誰も発見されない。翌日に僕はネパールに飛んで、
   ヘリで現場付近まで飛んで、現場入りしました。
   僕が可愛がってたシェルパも遺体で発見されるんです。」

報道されていないだけで、
毎年多くのシェルパが亡くなっている現状を
まだ学生だった野口さんは、この時初めて知ったのだとか。

そこから、お互いの関係性を平等にするべきだと思い、
在学中から『シェルパ基金』の構想をスタート。

シェルパ歴史から、過去の事故による死亡事例、
後遺症を負った際の生活保護の重要性など、
卒業論文に書き、実際に『シェルパ基金』設立へと動かれました。

野口「ただ、学生の時に『シェルパ基金』を発表すると
   絶対に潰されると思ったんです。タブーなんです。
   人がたくさん亡くなっている事が表に出ますよね。
   だから、エベレストに登って知名度が出て、
   影響力を持てるようになったら、
   このカードを切ろうと思ってあたためたんです。」

そこから、”違いがわかる男” としてコマーシャル出演を果たし
知名度が上がったタイミングを見計らい、基金設立に見事成功。
登山業界に新しい風を吹き込みました。


また、2016年の熊本地震では、益城町にテント村を開設されました。

このテント村では、従来の避難所とは異なる、
プライベートが守られる環境作りで、
被災者の方々たちから多く支持されたのだとか。

野口「311で、プライベートが守られない避難所で、
   知らない人の目に晒され続けて、心のシャッターを閉める方を見ましたから、
   プライバシーは大事だなと思いました。だからテント村にしたんです。
   大型テントだと10畳以上あって、寝室とダイニング分けられます。」


当時、余震で体育館の天井が落ちたことや、
建物が何度も揺れ大きな音を立てることで、
車中泊が多かったことも問題になっていました。

そこで、天井が落ちてくる心配がない、テントを使用し、
大型にすることで広く、天井高も確保。
トイレは洋式で座れるようにし、なんとアロマも焚かれたそう!

これは全て、ヒマラヤで 精神的な余裕を作るためにしていた
環境づくりが活きているものなのだとか。

ただ、問題もあったそうで...

野口「大規模なテント村って、過去の事例がないんですよ。
   避難所運営する団体が認めてくれない、とか、
   色んな人から厳しいことも言われました。
   でも、被災者の方達が喜んでくれたのが、救いですよね。」


来週もまだまだお話伺います!
 

M1. ワダツミの木 / 元ちとせ
M2. Ala Pétalo / Alexandre Andrés, Rafael Martini, Joana Queiroz & Gustavo Amaral