声優界随一のサイクリスト・野島裕史が、自転車をテーマにお届けしている番組「サイクリスト・ステーション ツアー・オブ・ジャパン」。11月25日(木)〜11月30日(火曜)の放送は、サイクル・ヒストリー「創業100周年おめでとうございます! シマノヒストリー」をお届けしました。
“釣り”のポーズをとるパーソナリティの野島裕史
◆世界に誇るグローバル企業「シマノ」の歴史
野島:自転車部品や釣具などの製造をおこなうシマノは、今年で創業100 周年を迎えた老舗企業で、スポーツ自転車用の部品で世界トップシェアを誇るグローバル企業でもあります。今回は、そんなシマノのヒストリーに迫ってみたいと思います。
明治に入ってから自転車の部品や完成品の生産に業種転換し、日本の自転車産業の中心地となっていた大阪・堺市。1921 年、堺の鉄工所の職人であった初代・島野庄三郎(しまの・しょうざぶろう)さんは自転車産業に目をつけ、島野鐵工所を創業。当初から、自転車部品のなかでも最も技術が必要な部品であるフリーホイールの生産に着手します。
1939 年には工作機械200 台、雇用人数200 人超える企業へと成長。アメリカやヨーロッパで起きたサイクルブームも追い風となり、会社はますます大きくなっていきます。
その後、海外進出を目指し、そのキーマンとなったのが、四代目社長・島野喜三(しまの・よしぞう)さん。1965 年にアメリカに設立したシマノの販売会社社長に就任した喜三さんは、当時、アメリカの若者たちの間で舗装されていない山道を自転車で駆け下る遊びが流行っていることを知り、「この自転車は絶対に伸びる」と確信。
日本の本社に電話をかけ、マウンテンバイクの部品開発事業に着手することを指示。これを機にマウンテンバイク部品のトップメーカーとしてアメリカでの地位を確固たるものとします。
一方で、1970 年に、シマノは釣具事業に進出。人々の健康への貢献や長く楽しまれるレジャーであること、シマノの既存技術を活かせることなどが進出事業決定の要因となりました。
最初に具現化されたのはリールの製造で、ギアやボディ構造など自転車部品製造で培った技術がふんだんに活かされていました。
そして再び話は自転車に戻ります。1972 年には、アメリカに続き、ヨーロッパへ進出したシマノ。シマノの部品は世界有数のロードレース「ツール・ド・フランス」においても、世界の一流選手やチームに愛用されていて、シマノのパーツセット「DURA-ACE」を使った選手は毎年レースの上位に入賞。シマノのブランド力の高さは、「自転車業界のインテル」と称されるようになっています。
そして、現在のシマノの事業は、バイシクルコンポーネンツ事業、釣具事業、ボート用品事業、ライフスタイルギア事業があり、それを支えるのが世界におよそ50 もある事業拠点。 多国籍な人材を抱えるシマノだけあって、社内の共通語は英語。通訳を介さず共通の言語でコミュニケーションをとることで、仲間意識が高まり、一体感が生まれる効果があるとしています。
世界のシマノブランドを築いた喜三さんは、創業100年を目の前にした昨年7月に亡くなりましたが、彼のグローバル戦略のおかげで、1970 年に23 億円だった海外売上高は、2019年12月期には、実に140倍の3,224 億円になりました。
また、自転車や釣りといった密を避けるレジャーが人気のコロナ禍で、シマノの業績は絶好調! 2021 年の営業利益は、過去最高を記録する見込みだそうです。
これでシマノのことは完全にわかりましたね。自転車に乗っている方や釣りが好きな方は、シマノと言えばみなさんご存知だと思いますけど、こんな歴史があったとは僕も知りませんでした。ちなみに余談ですが、シマノと同じく釣り具で有名な「ダイワ」は2007 年まで「スペシャライズド」と日本の代理店契約を結んでいたんです。これも意外なことですね。
次回12月2日(木)〜12月7日(火)の「サイクリスト・ステーション ツアー・オブ・ジャパン」は、「RiCE」編集長・稲田浩さんをゲストに迎えて「日本酒特集」をお届けします。