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第十回「ベーブ・ルースと大谷翔平選手」

「SHO TIME AuDee」コラム#10

スポーツ界の顔、スポーツ界を超えて世界を魅了した、アメリカメジャーリーグで大活躍した大谷翔平選手の特集コンテンツ「SHO TIME AuDee」。
大谷選手ご本人はもちろん、大谷選手が所属するエンゼルスのチームのみなさんの貴重なインタビューや、私、赤木ひろこが取材して感じたことなどを交えながら、大谷選手の魅力を10回にわたってお届けしていく。
十回目の「SHO TIME AuDee」のテーマは「ベーブ・ルースと大谷翔平選手」。



ベーブ・ルースと大谷翔平選手
大谷選手は、昨年の凱旋帰国の会見で、ベーブ・ルースについて聞かれ次のように答えている。

――ベーブ・ルースと比較された感覚はどうか、そしてどんな存在だろうか。

「比較していただけるだけでとても光栄なことで、もちろん残した数字だけではない方だと思うので、そこが一番凄いのであって、そういう風になるというのが一番、選手としてもいつまでも覚えてもらえる選手というのはなかなかいることではないので、そこは一つ選手として目指すべきものの一つかなとは思いますし、そういう方だということです。
実際やっているところを見ているわけではないですけど、多くの方が知っているのは凄いことだと思います」

100年の時を超えて、元祖二刀流と、リアル二刀流として比較される、ベーブ・ルースと大谷翔平選手。誕生日も100年違い。
ベーブ・ルースが1895年2月6日、大谷選手が、1994年の7月5日。

ベーブ・ルースといえば、野球の神様、レジェンド、ホームラン王、メジャーリーグの原点、礎を作った人。昨シーズンの取材の中で、“ベーブ・ルースの1919年以来”という言葉を、アメリカのメディアの人が、盛んに使っていた。その1919年には一体何があったのだろうか?実際にベーブ・ルースの時代に生きていた人、実際にその頃のことを知っている人はいないのか?その頃のムードだけでも知っていたら聞きたいと思った。


ベーブ・ルースと大谷選手の奇跡の巡り合わせ

1976年に、日本で、アメリカ建国200年を記念して、アンディ・ウォーホル展が行われたが、当時、ニューヨークから、アンディ・ウォーホル本人と共に来日した、加納良雄さんという方がいらっしゃる。現在もニューヨーク在住の加納さんは、もしかして実際にベーブ・ルースのことを見ていたのではないか?と思い、お電話をして伺ってみたところ、とんでもない話を伺うことになった。

古いヤンキースタジアムが改装される時に、スタジアム内のベンチや、ロッカールームなどの諸々の遺品を、全て買い取って日本に送ったというのだ。

実際に、当時、加納さんが、ヤンキースタジアムに行って交渉している時の様子が、スポーツ・イラストレイテッドの1973年11月12日号に、記されている。

スポーツ・イラストレイテッドというとアメリカの長い歴史を誇る(1954年創刊)スポーツ専門誌、昨年2021年10月号に、大谷選手が表紙を飾った。



しかも、ピッチャーバージョンと、バッターバージョンの2種類が発売されたのは、長い歴史の中でもちろん初めてのこと。
MLBは、「二刀流スターなら、スポーツ・イラストレイテッドの表紙も2種類!ショウヘイ・オオタニが9月23日発売の次号の表紙を飾る」とツイッターに投稿した。表紙には、「彼は、新・ベーブ・ルースではない。もっとすごい」と書かれ、大谷選手の特集が組まれている。

さて、そのスポーツ・イラストレイテッドの1973年11月12日号の記事、「Yankee go home 1976」と題して、詳細が書かれている。
現在のニューヨークにあるヤンキースタジアムは、2009年にできたもので、その前にあった、旧ヤンキースタジアムは、1923年に設立されて、2008年まで使用されたが、実は、その1923年の設立から50年経った1973年に、一度解体して工事を行なっている。ベーブ・ルースが、1920年にレッドソックスからヤンキースに移籍して、その年に54本のホームランを打ち大活躍、一気にスター選手になり、その効果で、ヤンキースの年間観客動員数が、メジャーリーグ史上初めて、100万人を超えた。それまではニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)のスタジアムを共用していたが、ニューヨークのブロンクスに新しく作った。なので、“ルースの建てた家”、と呼ばれるそうだ。そのまさにベーブ・ルースが活躍して、実際にプレーして、歩いたそのスタジアムは、1923年から1973年まで使われたスタジアムだ。
スポーツ・イラストレイテッドによると、解体するにあたり、ホームプレートは、ベーブ・ルースの未亡人に送ろう、1塁ベースは、ミセス・ゲーリックに送ろう、と、書かれている中で、「日本人の加納良雄さんという方が、『全て購入して日本に送りたい。日本は、ヤンキースが、そしてベーブ・ルースが大好きだ』と、朝一番にやってきて、交渉のテーブルについた」と、書かれている。
ダグアウトの中のベンチだとか、クラブハウスの中の鏡、ハンガー、フラッグ、そしてチケットなど、またはレストランのメニュー表に至るまで、コンテナ4台分に詰め込んで、船で日本に送ったそうだ。ベーブ・ルースの未亡人と一緒に、解体工事の式典にも出席して、マウンドから、ピッチングもさせてもらったそうだ。

加納さんご本人が生き証人となって「遺品の全ては、生きている、歴史がこもっていて、日本の人に、夢と感動を味わってもらいたい」と、その当時の思いを、語られた。


ベーブ・ルースの遺品はあの場所へ

その、まさにベーブ・ルースの遺品は、船に乗って、日本に向かって海を渡り、どこに辿り着いたかというと、それは「デサント」だった。デサントというと、スポーツウエアの専門メーカー。大谷選手のアンダーウエアのサポートをされている日本の企業。大谷選手の出身高校の花巻東高校のユニフォームも手がけている。岩手県奥州市の水沢には、工場もあって、昨年販売された水沢ダウンの大谷選手モデルは、46本のホームランにちなんで、限定46着。シリアルナンバー17番は大谷選手へ。全45着で販売されたのに対し、応募は、50000件を超えた。

東京・目白にあるデサントの東京オフィスにお伺いして、実際に見せていただいた。隣接しているデサントホール、エントランスには、真ん中にベーブ・ルースの顔写真が大きく写った優勝記念の大パネルがあった。



このベーブ・ルースの写真のエネルギーが凄い。かなり時間は経っているけれども、そこから溢れ出るエネルギーは、強く、そして優しく、その迫力は、大谷選手に感じるエネルギーと似ているかもしれない。

またベーブ・ルースがホームランを打ってホームインしている時の写真、1921年のチーム写真、1922年のチーム写真、そしてチームが遠征に行く時の、大きなトランク、これは、航空会社のタグまでが、今もついていて、すごくリアル、50年前のものだが、今でも使用しているような感じのもので、見ていても、鼓動がドクドクと鳴るような不思議な感覚に包まれた。

まさに時空を超えて伝え続けられるメッセージがここにあると感じた。

他にも、ピッチングプレートや、野球の殿堂に所蔵されているベーブ・ルースのレリーフの複写パネル、バット、フラッグなど、大阪の本社には、美術品の保管と同じように湿気などをきっちり調節された場所に保管されているそうで、当時1977年の3月には、「挑戦の歴史とデサントのビジョン、今ここに登場」と題して、ギャラリーに展示されたそうだ。

株式会社デサント・経営企画室・経営企画課の中村孝之さんにお話を伺った。



――これらのヤンキースタジアムの遺品に出会ったきっかけは?

「当時、1970年代にデサントが発展した時代になりまして、そのちょうど、備品を受け取る前後で、メジャーリーグのパイレーツのユニホームに採用されたり、スキーの方でも各国の著名な選手がスキーウエアを着てメダル獲得などしていた時代でして、世界のデサントになるタイミングだったんですね。その際に、それを象徴するための備品というわけではないですけれども、ああいった備品を手に入れる機会がありまして、その当時の社長も含めて社員に対して、世界を目指すんだという意志も込めて、ああいった備品を取り寄せて、オフィスに展示会場を作って、社員にも見られるような機会を作ってモチベーションだったり、世界を目指すんだという意志だったりを表すために、備品を取り寄せたと、伺っています」

――ベーブ・ルースがいた、メジャーリーグの原点を作った人物にまつわる品々を見てどう思うのだろうか?

「すごいとしか感じないですよね。歴史を感じますし、当時、ベーブ・ルース選手も二刀流ですし、今も、大谷選手という現代の二刀流選手がいて、その繋がりみたいなものも感じますし、会社もデサントとしても、その頃から、そう言った選手に対してアプローチできた、ベーブ・ルース選手との直接のつながりはないですけれども、そういったものがあるっているのは、歴史とちょっとした縁みたいなものを感じますね。それもずっと我々がモノづくりにこだわり続けた結果、世界にも通用するものを作る、妥協しない結果が、こういうトップ選手同士の繋がりの間になったというわけじゃないですけど、我々が、追求してきたものが、こうやって歴史を振り返ると、1本に繋がっているんだなと、そういったものを感じますね」


満面の笑顔、観客席の写真

優勝記念大パネルの、ベーブ・ルースの顔写真の横にある、球場の観客席を写した写真、お客さんの顔と様子が、まるで大谷選手が、オールスター戦でホームラン競争をした時の様子と同じで驚いた。体全身で、体いっぱいで、楽しんでいる様子、みんなが大きな笑顔で応援している様子が全く一緒だ。

ベーブ・ルースが、二刀流をした、1918年と1919年の2年間、1918年に、20試合を投げ、13勝7敗、11本のホームランを打って、初のホームラン王。(いわゆるメジャー唯一となる二桁勝利二桁ホームランの記録を作った)
1919年には、15試合先発、9勝5敗、29本のホームラン。
ヤンキースに移籍した1920年からは、打者に専念して、1920年には54本、1921年には59本、1927年には60本のホームランを打った。
ベーブ・ルースのホームランで、人々は熱狂した。その圧倒的なホームランで皆を魅了した。アメリカのメジャーリーグというと、パワー全開の大胆な、ホームランというイメージがあるが、実は、アメリカの人達にとっても、ベーブ・ルースのホームランを見るまでは、「ホームラン王」というスターの存在を知らなかったそうだ。ホームランを打って勝つという野球を目の当たりにして、衝撃を受け、それが野球の常識を変えたと言われた。ベーブ・ルースのホームランによる活躍は、いわゆる“現象”だった。野球がアメリカの生活、文化、社会に定着するきっかけを作った。笑顔や、親しみやすさ、グラウンドでの立ち姿など、人間的な魅力が歴史に残って光り輝いている存在だそうだ。それこそが“野球の神様”といわれる所以のようだ。

1976年のスピンク賞(全米野球記者協会BBWAA会員に与えられる最も栄誉ある賞)受賞者であるレッド・スミスさんは、「彼は誰よりも多くのホームランを打ったということではなく、より良く、より高く、より遠くに、よりドラマチックなタイミングで、より華麗に打ったのだ」と述べている。

一方の大谷選手、2021年7月に行われたオールスターゲームでは、88年の歴史を持つ球宴で、史上初めて、投手と打者の両方でメンバーに選出され、特別ルールによって先発投手と、1番指名打者で出場。ホームランダービーは、それはそれはかなりの盛り上がりだった。参加しているトップの一流選手たちが、大谷選手にサインをもらったり、一緒に写真をとったりといったシーンも、印象的だった。
オールスターゲームも、まさに2021年、大谷選手がメジャーリーグの常識を変えた一つでもある。
そして、打っては特大ホームランを連発し、投げては脅威の奪三振ショー、そして誰よりも早く走って、盗塁を成功させる。目が離せない、想像を超えた、ワクワクさせられた。スポーツの歴史で誰もなし得なかったことをやってのけた唯一無二の存在だ。野球ってこんなに楽しかったんだ、と改めて感じさせてくれた二刀流旋風は、現象と化した。


ベーブ・ルースの声・言葉

ベーブ・ルースの声、言葉というのは、数多くの伝記が出ているのにもかかわらず、その信憑性などは、解明できていないそうだ。
アメリカ野球殿堂博物館には、信頼性の高い貴重な資料がある。殿堂入りしたビリー・エバンスという審判員の方で、このかたは、同時にスポーツライターでもあった。1922年の夏のこと、試合開始の10分くらい前に、グラウンドに入り、ダグアウト近くに立っていた時に、観客席にいる12歳くらいの少年から、「ベーブ・ルースの写真を撮っていいですか?」と聞かれた。エバンス審判員は「ベーブ・ルース本人に聞くべきだ」と勧めた。少年は、ベーブ・ルースのところへ行って、「アクションショットを撮ってもいいですか?」と質問をした。

すると、ベーブ・ルースは、満面の笑顔で、一言。「Sure!(もちろん!)」と。

ベーブ・ルースのバリトンボイスが聞こえてきそうなほど、大きく、寛大で、気迫に満ちた声が間違いなくしたそうだ。そして少年が写真を撮った後に、何度もお礼を言って、スタンドに戻ろうとした時に、ベーブ・ルースはチームメイトにカメラを渡すと、少年に腕を回し、何枚かポーズをとった。それからベーブ・ルースはその少年を何度もなでて、心のこもった握手をすると、その子はスキップしてスタンドに戻った。エバンスは、「ベーブはそういう奴だ」と語っている。そして、その言葉、その豪快な一言こそが、ベーブ・ルースの本物の声なのである、と。

ベーブ・ルースがどれだけ憧れの存在であり、子供達にも人気で、分け隔てなく気さくに接して、また親しみやすさを持ち合わせていたかがよくわかるエピソードだ。

私はこのエピソードを読んだ時に、やはり大谷選手の、子供たちに対するあるシーンを思い出した。「SHO TIME AuDee」の1回目でお伝えした、4年前の大谷選手がヤンキースタジアム入りした際、バッティング練習をしている大谷選手に向かって、ヤンキースのユニホームをきた少年が「オータニ、オータニ」と一生懸命に声をかけて、サインをしてもらった時のことを。



真っ直ぐに一生懸命な姿、そして野球を楽しんでいる笑顔、スマートな立ち振る舞い、グラウンドのゴミを拾うといった気遣い、謙虚な姿勢。いつも礼儀正しく、かっこいい。純粋な心を持つヒーローだ。

ベーブ・ルースの子供たちに対するエピソードを聞いても、大谷選手と重なる。


さらに重なる不思議な時代背景

そしてベーブ・ルースが初のホームラン王を獲得した1918年から、54本のホームランを打った1920年までの間のおよそ2年間、世界的にスペイン風邪が流行り、世界で5億人が感染したといわれている時代背景の中、そのホームランを量産し人々を熱狂させたベーブ・ルースは、人々に希望を与える存在だったという。
それはちょうど、2021年、コロナ禍で、多くの人々が不安な日々を過ごしていて、世の中の価値観がガラリと変わりつつある時に、二刀流旋風を巻き起こし、メジャーリーグを盛り上げた、明日を生きる勇気をくれた、まさにその現象とも重なる。大谷選手の存在は、人々の心を発奮させ、カラフルな世界を見せてくれた。


人間ではない?

また、アメリカ野球殿堂博物館の資料には次のようなことも書かれている。
「ベーブ・ルースは現役時代、記念碑的な数字を残している。しかし、バンビーノは数字以上の存在であり、特に元チームメイトのジョー・ドゥーガンのような、特に彼を知る者は、かつてこう語っていた。「彼を理解するためには、これを理解しなければならない。彼は人間じゃなかったんだ」。

2021年の大谷選手について、宇宙人?とか、例えば、ボストン・レッドソックスのマット・バーンズ投手は、「大谷翔平はこの惑星にいない」と表現したこともある。チームメイトのマイク・トラウト選手は、「こんなの見たことない。もう何も驚くことはない」と大絶賛している。

すごいという表現を、人間じゃないくらいにというか、言い表せないくらいに史上最高で、見たことなくて、ただただ驚愕している、そして同時にうっとりしている。

その規格外だった昨シーズンの活躍に対し、凱旋記者会見で大谷選手は次のように答えている。

―ーアメリカで“異次元な活躍”と報道されたが、どのように感じるか。

「僕自身はやっている方なので、特に自分がやっていることに対して、すごいなという感覚はないですね。ただ違ったことはやっているので、単純にそう見えることはあると思いますし、そういうサンプル自体が少ないので、今後多くなってくれば、この数字がすごいのかすごくないのかはっきりしてくると思います」

――二刀流、これから先も続けていきたい?

「そうですね。ここまで頑張ってきましたし、もっともっと高くいけると思っているので、まだまだ頑張りたいなと思います」

――「一番の選手になる」と言っていたが、この4年間で「一番の選手」にどのくらい近づけたか。足りなかったところは?

「足りなかったなと思うところはたくさんあります。ただ、その目標に向けて確実にレベルは上がったかなと思っているので、そこは自信を持って言えるかなと思いますし、何を持って一番なのかっていうのは少しあいまいなところではあるので、まあそこがまたよかったりするんですけど、これからも目指していきたい目標ではあるかなと思います」

100年の時を経て、重なりあう二人のスーパーヒーロー。
どんなに時代が変わっても、いつまでも変わらないもの、それは野球が大好きな気持ちと、野球に対する情熱。
二刀流ということで比較されるのはきっかけにすぎなく、それよりもアメリカ社会に与えたセンセーショナルな影響と、現象の方だ。
そして、そのアメリカンヒーローの存在には、人種の垣根もなく、ボーダレス。アメリカだけにとどまらず、瞬間的に、世界に、そして地球規模で広がっている。
見えない糸がいっぱい、いっぱい絡まり繋がって、たとえ意識をしていなくても、全てが繋がって、今に至っているように感じる。
ベーブ・ルースの夢が大谷翔平選手に繋がっている。
ベーブ・ルースが成しえなかったことを、大谷翔平選手が実現させていく。
ベーブ・ルースの満面の笑顔が、大谷翔平選手の後ろに見えるようだ。

赤木ひろこ(メジャーリーグベースボール・リポーター)



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