2022.05.11 ~ ゲスト:GLIM SPANKY②

第398回 ゲストは先週に引き続き、GLIM SPANKYの松尾レミさんと亀本寛貴さんです。



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松尾レミさんは、1991年生まれ、長野県下伊那郡出身。
音楽やカルチャー好きの家庭に育ち、
レコード好きのお父様の影響でさまざまな音楽に触れてこられたとか。

松尾「自分の一番古い家族ビデオの記録が、
   細野晴臣さんの”北京ダック”という曲で
   みんなが踊っているというもので(笑)」

松室「しっぶい家族(笑)」

杏子「音楽はそういう家族の影響もあったと思うけど、アートは?」

松尾「祖父も母も、頼まれたら絵を描くというのをやっていて、
   平安堂っていう長野の本屋さんの壁とか、そういう感じだったんで、
   幼い頃は、祖父の日本絵の具がいつでもあって自由に描いたり。
   でも、油絵やアクリル画をやりたかったので、進学そっちにしました。」

美術系の大学に進学し、
現在では、ライブグッズやメインビジュアルを担当されています。



亀本寛貴さんは、1990年生まれ、長野県飯田市出身。

杏子「松室くんと同い年なのに、”松室さん”なの?
   お互い高校時代から知ってるんでしょ?」

亀本「逆に、仲良くなりすぎて3周くらい回って”松室サン”みたいな
   ノリになってきたんですよね。その域に来ちゃって。」

松尾「私、”レミちゃん”って呼ばれたことないですね。
   ”レミさん”か、”松尾さん” か。」

亀本「僕、女性をちゃん付けで呼ばないんです。
   どんなに年下でも、呼べない。距離つめてきたな、おいおいって
   思われるのが...松尾さんに関しては、いろんな呼び方したけど
   結果松尾さんに戻ってきましたね(笑)」

軽音部がなかった高校だったため、
3年までサッカー部として過ごしながら、ギターの練習をする日々だったそう。

GLIM SPANKYは、松尾さんが高校入学後すぐに結成したバンドでした。
多くのメンバーが目標だった文化祭での公演後に離れる中、
松尾さんはオリジナルを作って活動したいと思っていたとか。
そんな時に、1学年上でギターを弾ける亀本さんが
バンドに所属していない、ということが分かり...

亀本「たまたま、バイト先の1個上の先輩が、GLIM SPANKYのベースで。
   で、話してたら、女の子のギターボーカルで
   3ピースだから入りなよって言われて、やりたいっすって入りました。
   松尾さんは、僕のこと知らんかったよね?」

松尾「うん、知らんかった(笑)コイツ大丈夫か?って思ってた(笑)
   ただ、オリジナル曲をメンバーに引き語りで聞かせるんですけど、
   その楽曲のイメージとか作りたい世界観を理解してくれて、
   引き語りでは表現出来なかったことを、ギターで表現してくれたので....」

亀本「ありがとうございます!!!!(笑)」

杏子「本当にアレンジって大事じゃない?
   曲の世界観とかって、いくら説明しても通じない人と、
   ぱっと広げてくれる人がいるもんね」

亀本「音楽に詳しくもなかったので、
   最初から、固定概念とか無くてスポンジ体質なのかな、と。」

プロとして活動するきっかけは、松室も2008年に出場していた、
10代アーティストのみで行われるイベント『閃光ライオット』でした。

2014年にメジャーデビューし、2018年には武道館ワンマン!

松尾「松室くん覚えてるか分からんけど、とあるyoutubeの企画で
   私19歳で、松室くん20歳の時に、
   閃光ライオットOB/OGで呼んでもらったんですけど。
   私そのときバリバリに尖ってて、スタッフもミュージシャンも全員敵!
  だから、初めてその時に松室くんとしゃべったかも。」

松室「確かに、人とは喋りません、みたいな感じだった(笑)
   ちょっと怖かったもん。」

杏子「あはは(笑)レミさんって呼んでるし(笑)」


今週はここまで!
来週も、GLIM SPANKYのお2人にお話伺います。


M1. 祝辞 / 浜端ヨウヘイ
M2. 話をしよう  / GLIM SPANKY