第354回 関取花さん②

ゲストは先週に引き続き、シンガーソングライター:関取花さん。

https://www.sekitorihana.com

1関取花さま-8.jpg


関取さんは、2歳から8歳ごろまでドイツで過ごされ、
日本に帰国後、中学はバスケ部に所属。

高校では、現在の活動のルーツとなる、軽音楽部に所属されました。

「ずっと学校が好きで、楽しかった記憶しかないんです。
 今でも、当時の友達と会うし、コロナ禍でも月1回はオンラインでお酒一緒に飲んでます(笑)
 軽音楽部に所属したきっかけは...人生で初めてすごく褒められる経験でした。
 中学でバスケ部を引退した後に、カラオケいったら、(私の歌で)泣いてくれる子も居て...
 自分で気がついてなかったけど、もしかしたら得意かもしれないことを伸ばそう、と
 軽音楽部に入りました。歌ったのは、kiroroさんの『ベストフレンド』なんで、
 今考えれば、曲がただただ良いっていうね(笑)引退試合の後なんだから、泣きますよね?!(笑)」

高校に入ってから始めた曲作りは、オリジナル曲で大会に参加するためのもの!
当時はまだ、賞金が欲しいと思うような、学生生活の延長戦上で、
そのままプロの道に進むとは確信を得れていなかったとか。

「最初は就職活動もしていました。
 その時、昔のコンテストの動画をyoutubeで見てくださったという
 CM制作会社の方がいらっしゃって、”神戸女子大学のCMソングを書き下ろさない?”
 って、オファーくださったんです。それがコンペに通って。
 自分が社会に出るよりも先に、曲が先に社会に出たんです。」

繊細な受験生に向けた楽曲を手がけたことで、
今まで思っていた ”誰かに嫌われることを恐れる” のではなく
”思いを伝えるため、フルで曲を聞いて欲しい”という、
前向きな気持ちになれていったの、という関取さん。

そして、音楽をやり続けて音楽を聴いてもらうために、
就職活動をやめ、今の活動に繋がりました。

関取さんは、2019年には、広島県で開催された
西日本豪雨復興チャリティーイベント『竹原バンブーフェス』に出演されています。
以前から、竹原出身の広島FMのパーソナリティーとの交流があり、
その縁から出演になったのだとか。

「このフェスもそうですし、その後もツアーで広島に伺いました。

 ”会いたい人に会いに行く気持ち”を歌った『君の住む街』という曲を
 豪雨被害の後に広島で歌ったところ、
 今までとは想像し得ない表情をお客さんがされたんです。
ツーッと涙を流されて。
 この曲は、この人たちにとっては、自分たちの愛しい街を思い浮かべる曲になっているのと
 どれだけこの街が好きかを再確認しているような、新しい意味をもらいました。
 そこから、すごく、ライブが好きになったし、曲への愛も深まりました。
 今の活動にも影響をたくさん受けました。」


最後に、関取さんの”元気の源”を伺いました。

「散歩と、ライブと、生ビールですかね?(笑)
 当たり前のことに、”風がいいな”、”季節が変わったな”って感じられる自分に気がつくと、
 あぁ、私はまだ大丈夫だな、って元気が出るんですよね。
 すごく瑞々しい感性を人として持てている、って思えるし、
 ライブをするとそれを何倍にも楽しく、愛してくれる人がいる、と
 頭でっかちでなくいられます。で、生ビールは、美味しい(笑)」


この夏はツアー!無事に完走できるよう祈っています。
2週にわたり、たくさんお話ありがとうございました!


M. 
青葉の頃  /  関取花(メジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』より)