(写真撮影時のみマスクを外しています)
池崎さんは、6歳の時に難病:シャルコー・マリー・トゥース病を発症されました。
徐々に筋力が低下し、現在治療法はない難病です。
もともと身体を動かすことが好きだった池崎さんは、難病を発症しながらも
サッカー、バスケ、卓球など、スポーツを楽しんでこられました。
そんな中、中学に進学することにはかなり筋力が落ち、
中学3年になったころには、足首を固める固定術をして完治しないまま、
車椅子生活が始まりました。
「車椅子生活が始まって、もうスポーツとは無縁なんだと思っていた時、
高校2年で、車椅子バスケットボールを初めて見たんですよ。
競技用の車椅子にのれば、こんなに早く漕いで、シュートもできるんだ、かっこいいなって思って。
それに、バスケって花形だから、モテるかな?なんていう高校生のノリで、
『俺、車椅子バスケやる!』と。そこから、スポーツをやれる喜び、希望をいただきました。」
その後、29歳で車いすラグビーに転向されました。
車いすバスケットボールは年々レベルが上がる一方、
池崎さんの筋力は落ちていったことで、ボールの重さやブレーキが大変になり、
障がいを言い訳にしながら競技を続ける自分に、もやもやする日々だったそう。
「そうやって悩んでいる時に、北海道のチームの方から、
車いすラグビーっていう競技があるから見てみないか?と言われました。
それが車椅子ラグビーとの出会いでした。
傷だらけの車椅子に乗って、暑いのにグローブをしてるし。ボールはバレーボールみたいで。
『これはフルコンタクトスポーツだ』って教えてもらったんです。
車椅子同士で、タックルしても良いんです! 車椅子バスケは、ぶつかったらファウルなんですよ。」
その見学で実際にタックルをしてみたところ、あまりの気持ちよさに感動!
自分の性格にも合っていると感じ、車いすラグビーに転向を決意されました。
そして、3大会連続パラリンピックに出場されている、池崎さん。
昨年開催された、東京パラリンピックでは、銅メダルを獲得しています。
第一線で活躍を続ける池崎さんは、車いすラグビーの普及活動にも尽力されていて
昨年は、岩手県釜石市にある小学校にも訪問されています。
小学校では、車椅子ラグビーについての授業や体験を行いました。
「最初のデモンストレーションでは、怖がっていたのに、実際に乗ってやってみたら
まだやりたい!という声もあって。すごく自分たちも嬉しくなっちゃって!
もっと時間あったら、もっと色んなところ行きたいな~と思いました。
よく、スポーツの力、って言うじゃないですか。何だと思いますか?
僕、自分がやってるパラスポーツの力は、『困難を乗り越える力』だと思ってるんですよ。
僕は、障がいという言葉が大嫌いです。ハンデって言います。
ハンデを持ってる人が、事故、難病、怪我を抱えて、色んな困難や壁を乗り越えて、
アスリートとしての人生を歩んでいる。その人たちが世界に出て戦えば、
挑戦し続ける姿を見せることができる。そういうのが、パラスポーツにはあるんじゃないかな。」
今年2月には、一般社団法人 7project(通称:ななプロ)を立ち上げられました。
このプロジェクトは、さまざまなパラスポーツ選手が全国各地に足を運び、
スポーツの魅力やメッセージを伝え、交流するというものです。
「待ってるだけじゃ時間がもったいないので、自分から行動しようとプロジェクト立ち上げました。
今障がいを持っている子供達が、しっかりパラスポーツと向き合える環境とか
そのきっかけ、将来を見据えて成長して学べるような環境を作っていきたい、とも思っています。
現役選手としてやれることは、結果を出すことも大事ですが、たくさんの人に知ってもらうのも必要です。
みんなで応援してもらって、ファンになってもらって、一緒に戦って喜びたいです。」
最後に、池崎さんの”元気の源”についてう垢がいました。
「焼肉です!!!僕アスリートなので、身体を痛めるじゃないですか。
トレーニングして、栄養をとって、睡眠をとるというのが大事です。
その中で、肉には肉を!!! なので、元気の源は、焼肉です。」
2週にわたり、元気で明るい声をありがとうございました。
M. HERO / 安室奈美恵