今回は、ニチバンの転機について伺いました。
今年創業104年を迎えたニチバンの1番の転機は、セロテープの開発だったそうです。終戦後、とある展示会でアメリカの3Mの開発したスコッチテープを見た歌橋憲一社長は「こんな便利なものなら日本でも売れるに違いない」と思い開発に着手。ちょうどその時、検閲した手紙の封緘用のテープの供給をGHQから要請され、大変難しい開発でしたが1948年にセロテープを完成させ納品したそうです。
その短期間での開発力と品質に、GHQからは賞賛を得他のですが、国内の一般市場では、今まで誰も使ったことがない商品であるため、用途を知らせるためにさまざまなプロモーションが必要だったとか。
また1973年に始まったオイルショックの時は倒産寸前の経営危機になったそうで、人員整理もやむない状況になったそうですが、製薬業界で繋がりのあった大鵬薬品工業の資本参加を得て経営を立て直し、1979年に黒字に転換することができたそうです。
「資本参加が決まる前、大鵬薬品工業の小林社長がニチバンの工場を見学された際、働く人たちの顔を見ながらこの人たちの雇用を守らなければと感じて資本参加を決めてくださったんです」と語る高津さんのお話を、是非お聴きください。
関西大学工学部卒業後、1990年にニチバン入社。
入社以来20年間、設計・品質管理畑を歩み、マスキングテープの設計などを担当した。
2015年購買部長、18年執行役員メディカル特販営業部長、19年席執行役員社長付を経て2019年6月代表取締役社長に就任(現職)
谷口雄さん
1985年東京生まれ、善福寺公園育ち。幼少時よりクラシックピアノを磯崎淳子氏に師事。
バンド「森は生きている」のメンバーとして2013年にCDデビュー。
2015年の解散後は、関取花、優河、六角精児、草彅剛など、様々なミュージシャンのライブやレコーディングにキーボーディスト・プロデューサーとして参加している。
アメリカンポップスやルーツロックへの偏愛から、ライナーノーツやディスクレビューなどの執筆も多数。
その豊富で偏執的な知識を活かし、2016年よりトークイベント「ミッドナイト・ランブル・ショー」を神保町試聴室にて毎月開催している。
粘着テープの代名詞ともいえる「セロテープ」を生み出したニチバン。セロテープ以外にも絆創膏「ケアリーヴ」や野菜の結束テープ、最近ではワクチン接種の際の注射絆など、創業104年の確かな技術力で、人々の暮らしに大きく貢献しています。粘着テープの基本は、物体同士をしっかりとつなぎ合わせ、持続すること。音楽における「グルーヴ」のようなものでしょうか。ミュージシャン同士の結束を感じるグルーヴィーな音楽を中心に選曲しました。
Wilson Pickett / Hey Jude(1969)
谷口雄さん:普段から当たり前に愛用している「セロテープ」。その開発の陰にあった多大なる努力。冬場でも硬くならない製品開発への熱意と技術力にも大変感銘を受けました。アメリカ全土を巡りながら培った確かな演奏力で、サザン・ソウルの本場フェイム・スタジオからの急な録音の呼び出しにも即座に対応した、下積み時代のデュアン・オールマンの姿を思い浮かべました。ソウル・レジェンドとも対等に渡り合った凄まじいプレイをご堪能あれ。
■放送局、放送時間情報
ショートver.(5分番組)