ひろし
音楽好きです。自分で作詞・作曲・編曲し歌も歌います。自分で音楽CD-Rの制作もしています。
こんばんは、ユキさん。
作曲で、荒々しさや若さを強調するのに、BPMやテンポを上げて、速くすれば、動きが派手に見えるといった安直なミュージシャンもいるようです。
しかし、派手さを強調するのにやたらとテンポを上げても、コード展開やメロディー創作法が稚拙であると、結局曲調が速いだけで、受け手は収まり具合を読んでしまっているかも知れません、これでは意味がありません。印象を変えると、人は耳を傾け目を見張ります。ですので、例えば音楽だったら、論理に基づいた換え方で変化をつける、これがBPMやテンポを上げるより効果的であると思います。
特に、激しさが若さであると思っている人もいるでしょうが、受け手は心和んでいたいので、激しいテンポだから凄いと思うのは子供だましかも知れません。
内容の危険を訴える作品であろうと、殺意を見せるより、落ち着いた言葉の羅列の方が危険を感じることもあると思います。怪談を聞くのに、何も話し手の慌てふためいた荒々しい言葉が効果的とは限りません、じっくりと怖がらせるのも怪談でしょう、唇の動きの速さや暴言ではありません。
音楽は、怪談ではありません、主張やメッセージあるいは物語です。ここがどういう具合に創意工夫があるかが、価値基準だと私は思います。味わいがないものは、音楽ではないと私個人は思っています。
おはようございます、早見沙織さん、沙織さんのお母さんみどりさん。
復帰したのですから、また早見沙織さんの歌も聴きたいです。
おはようございます、早見沙織さん、沙織さんのお母さん。
早見沙織さんの声や発する言葉一つ一つが、調律されたギターの弦やピアノのようで、非常に美しく感じます。
そして、相変わらず、番組をじっくり全部聴かせる言葉や音楽の選び方、素晴らしいです。
これからも早朝はこの番組を大切にします。
こんばんは、ユキさん。
私の言葉が上手く伝わっていないようなので、もう少し言っておきます。
“ゆううつ”や“ばら”という文字を漢字で書けますか?書けないのであれば、先ずそういう言葉を当たり前に直筆で漢字で書けるようになってください、そこから始めないと、初心者が私の真似をするのは間違っています、と言っています。
怪我をするスタントマンを見て、私は愉快とは思いません。怪我をしないスタントマンであって欲しいです。
おはようございます、早見沙織さん、沙織さんのお母さん。
新型コロナウイルスに感染したようですね。ちゃんと養生して、全快してから、復帰されることを望んでいます。
おしゃれは先ず足元から、と言うほど“靴”はお金や気を使う部分ですね。自分でも、靴の善し悪しで気分が全然違います。アクセサリーやバッグ、これもファッションでは必要ですね。私はアクセサリーはたまにしかしませんが、バッグは使うようにしています、意外とこのバッグがあるとないとで、見た目の印象が普通で終わらないと思います。
気分の揚がることが、ファッションだと思いますが、グリーンが流行るからと、皆がグリーンを使うと、これもファッション性に乏しくて、ここで勝負を感じます。
今日も明るい気持ちで目を覚ましました。一日の始まりはやはりこの番組ですね。
こんばんは、ユキさん。
音楽は聴き手が眠ってもらえるのが、歌い手冥利(みょうり)だと言った女性パーソナリティがいました。私がコンサートで歌を歌っている時、観客であくびをした女性がいました、自分でも申し訳ないと思ったのが率直な気持ちです。客があくびをしたり眠くさせるのは、ミュージシャンの恥です。お金を支払っているのですから、あくびや眠らせちゃいけません。寝たりあくびをするのに歌手の存在もお金も必要ではありません。
例えば、河島英五「酒と泪と男と女」で歌詞に“眠る”と言う文字を“寝むる”と書いています。私は最初、笑ったのですが、色々考えさせられて、そういうのもあるなぁと思ったのがこの「酒と泪と男と女」に対する印象です。こういう具合に、印象が残るところが一カ所でいいので、あることが作品の価値だと思います、河島英五の価値や実力を感じた出来事の一つです。
おはようございます、早見沙織さん、沙織さんのお母さん。
お弁当にキーマカレーやそうめんを使った沙織さんのお母さん、センスがいいですね、ほどよい気遣いを感じます。
この番組「Memories & Discoveries」は、早見沙織さんも関口舞さんも非常に爽快な印象で、私個人、非常に早朝の番組として大切にしています。
心地よき早朝のひとときの提供を楽しみにしています。
おはようございます、早見沙織さん、早見沙織さんのお母さん。
早見沙織さん、声もきれいですが、歌も非常に上手ですね。
また、早見沙織さんの歌をかけてください。楽しみにしています。
こんばんは、ユキさん。
笑う人を無条件で一緒に笑っていない方がいいです。相手は腹の底で何を考えているか分かりません、根性の悪い企みがあることもあります。
人が幸せを感じるのは、相手の誠意や誠実さです。だから相手を信じるとか、相手を疑うということでなく、誠意や誠実さにもし胸を打たれたら、そういう誠意や誠実さをなるべく大切に生きると、多数ではなくても愛されます。
笑うことで人は心が晴れますが、幸せを感じるのは誠意や誠実さと出会った時です。よく笑う門には福来たるとは言いますが、笑う門には人に対する企みがあることもあります。笑う人には気をつけるように。人生の目的として、誠意や誠実であることに心がけると、いい出来事とも出会えます。悪質な悪意や不誠実なことに心がけていると人間現関係で失しやすいです。
こんばんは、ユキさん。
ラジオ番組やTV番組、歌の歌詞あるいは宗教観など、あるテーマにしたがって創作されるのが筋であると思うのです。
しかし的の外れたテーマで番組や歌詞や宗教観が語られていることがあります。
特に人の幸福感について語っていることで、間違えていることがありますで、書いておきます。
人生の目的は幸せになることでも、幸せになって笑うことでもありません。人生の目的が幸せになることであったり、幸せになって笑うことであるなら、人は悲しい歌や悲しい物語に関心を示しません。
ラジオにメールを投稿する時も、自由とは言ってもある程度、話の的を射ていることは必要だと思います。
おはようございます、早見沙織さん。
早見沙織さんの話し方や話の内容は、中身がきれいにまとまっていて、音楽が主体の番組ですが、つい全体を通して聞いてしまう上手さがあるように思います。
これからも早朝のひとときを楽しみにしています。
こんばんは、ユキさん。
自分の案件を主張するより、ユキさんの幸せを聞いただけで結構幸せでした。
こんばんは、ユキさん。
今日の午後、血圧を上げた女性が、野良犬や野良猫に与える餌やジャンクフードの話をして、何を血迷ったか笑い転げていました。笑いとは始終していると、特に女性は気品に欠けて、締まりのない感じを受けて、男は下品を感じます。下品を感じるとは、幻滅するということです。ここ一番の時に見せる笑顔のきれいな女性は、人を幸せにします。
こんばんは、ユキさん。
最近、Tシャツを着ているのですが、Tシャツの下に、肌着を着るようになりました。人のお勧めで、シャツの痛みが少ないとか、汚れが少ないそうで、何となく着てみたのですが、この間、肌着を忘れて、仕方なく直接Tシャツを着てみたのですが、何となく乱暴に思えました。着慣れると、肌着とはいい物で、以前はちょっと年寄り臭い、と思い込んでいたのですが、今は肌着を着ている方が、肌に優しい服を着られそうで、好んでいます。サイズはTシャツに隠れそうなシルエットになっていますので、心配ありません、そしてちゃんと涼しいです、服を大切に着ようとするのであれば、肌着、お勧めです。
おはようございます、早見沙織さん。
もうすぐ今年も半分近くになってしまいますね。私は部屋の掃除をしました。掃除は面倒だと思われがちですが、部屋にある物を違う部屋に移動して、広々とした空間でやると、そんなに時間はかかりません、ただ部屋の物を移動する部屋がないと、上手くいきませんが。
部屋を掃除すると、違った部屋を新しく手に入れた気持ちにもなって、お得感が生まれます。新しい服ばかりに気を取られているより、部屋を一度きれいにリセットすると、気持ちも違ってきて、幸せを感じます。掃除も時々すると、空間の価値も違ってきます、お試しください。
こんばんは、ユキさん。
テーマ「フリー」
私が若い頃は、自分より年配の人には、“汚い”とか“薄汚れた根性”といった気持ちはありませんでした。学ぶべき人たちが多くて、変な友達感覚は持てませんでした。
最近の若さとは、自分より年配の人も、自分と同じ価値観あるいはそれ以下で、人に対する暴言が平気で吐ける人が多いように感じます。
年齢が違うと、例えば異性に対する感覚も、色情でなく、健康や病でない事への気遣いが増えるのです。若い人の価値観に、変に性に対する正義感を感じますが、それはいいとして、変な友達感覚で、自分の名前も名乗らずに、いきなり年配の人に暴言を吐くのは、若さの意味をもはき違えていると思います。何か主張があるのであったら、先ず君の名前と年齢を言ってから、人にものを暴言でなく、敬意を込めて、尋ねた方が相手も心を開きます。付き合い方を基本的に知らない人を、特に若い人に感じます。
どちらの根性が“汚い”とか“薄汚れている”、こういう疑問を素直に抱きます。
こんばんは、ユキさん。
「靴にまつわるエトセトラ」
スニーカーは、18年くらい履き続けましたが、消耗が激しく、すぐに買い換えないといけないのと履き飽きたので、ドレスな“靴”を最近は好んで履いています。
人から聞いた話ですが、スニーカーの時代はちょっと古くなったそうで、それでも、履くなということではありませんが、靴の方がどちらかと言うとおしゃれな人は好むようです。
以前まで、太っていたので、靴のサイズも28cmでしたが、今は26.5cmとか27cmで丁度いいです。靴の方が足下が落ち着いて感じます、スニーカーは私にはカジュアルでちょっとダメです。スニーカー好きな人を悪く言っているのではありません、ご了承ください。
おはようございます、早見沙織さん。
ニットは、“編み”だそうです。毛糸とは限らずに、編んであるものがニット、ニットでも編み目を荒く編み込んでいる、生地感の凹凸や模様が分かりやすいローゲージニット、ハイゲージニットとローゲージニットの中間程度の網目のミドルゲージニット、編み目が細かく、密に編まれた編み目が目立たなくすっきりとした印象があるハイゲージニットがあります。
パーカーと言う人もいますが、正確にはParka(パーカ)で、アザラシやトナカイなどの毛皮で作ったフードが付いている防寒着をそう呼ぶそうです。
で、一般に言われる“パーカ”とは、実は“フーディー(Hoodie)”でフード付きのスウェットのことだそうです。
また、デニムは生地であり、穿くデニムをジーンズと言うのが正式だそうです。
収録時間と日にちがつかめませんが、おはようございます、早見沙織さん。
ニットは、“編み”だそうです。毛糸とは限らずに、編んであるものがニット、ニットでも編み目が細かく、密に編まれたローゲージニット、ハイゲージニットとローゲージニットの中間程度の網目のミドルゲージニット、編み目を荒く編み込んでいる生地感の凹凸や模様が分かりやすいハイゲージニットがあります。
パーカーと言う人もいますが、正確にはParka(パーカ)で、アザラシやトナカイなどの毛皮で作ったフードが付いている防寒着をそう呼ぶそうです。
で、一般に言われる“パーカ”とは、実は“フーディー(Hoodie)”でフード付きのスウェットのことだそうです。
また、デニムは生地の素材であり、穿くデニムをジーンズと言うのが正式だそうです。