ピアノ

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私の家に初めてピアノが来たのは小学校1年生の時。引越しするからピアノは置いていく、という近所の人から母が譲り受けたものでした。ピアノを譲り受ける前に母が「ピアノ習いたい?」と聞いてきた言葉に「習いたい!」と2つ返事したのをはっきりと覚えてます。幼稚園の頃に同じクラスの女の子が上手にピアノを弾いているのを見て、羨ましくて羨ましくてしょうがなかった感情が込み上げてきたからだったと思います。私の返事を聞いて母が決心したようでした。今思えば、音楽が大好きだった母、実は自分も欲しくてたまらなかったのだと思います。さて、我が家にやってきたピアノを見て愕然。なんと、鍵盤が黄色い。当時は今は希少な象牙の鍵盤だったんですよね。でも黄色い鍵盤を見た瞬間、ピアノじゃない!と子供ながらに悲しんだ記憶があります。黄ばんだ鍵盤だけではありませんでした。鍵盤が禿げて木が見えてるのもありました。いくら"ただ"とはいえ、あまりにもオンボロなピアノ。それでも私と母と二人三脚のピアノ人生が始まったのです。
洋裁をしていた母、服を注文に来るお客さんの中にピアノを教えている先生がいて、その先生に教わることに。ところがその先生が厳しくて厳しくて、毎回レッスンのたびに泣いていた私。ピアノの難しさというよりその先生の怖さに毎回怯えていたかもしれません。そんな私を不憫に思った母が、私が泣かないようにと全くピアノ経験ゼロなのに一緒にピアノを勉強し出して、練習につきっきりに。つきっきりといっても背中越しに母が踏むミシンがあって、ミシンを踏みながら私がミスタッチすると容赦なく母の物差しがピシッと飛んでくる、そんな日々が始まったのです。
音楽大学を意識し始めたのは小学4年生の時に経験した合唱コンクールの伴奏でした。初めてアンサンブルを経験した喜び。人前で演奏することへの楽しさを初めて実感した瞬間でもありました。
「ひとつのことをやり遂げなさい」ピアノを通して母から教わった精神。
決して裕福な家庭ではなかったのに音楽大学にまで導いてくれた両親には感謝しかありません。
ピアノも中古のアップライトから中古のグランドピアノ、今は2台目の中古のグランドピアノを大切に弾いてます。卒業しても音楽の道で生活するのは厳しいと一般就職しましたがピアノはもう身体の一部、一心同体で手放せません。
ヒロステ希望

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東京都 / 女性 2023/5/18 10:35