書き出し「車窓の向こうに月が見えた頃」

車窓の向こうに月が見えた頃」

書き出し:RN.星屑が堕ちて気の迷い
作:蓮見翔
声優:竹田海渡

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「今日は月が綺麗ですね!」

今日も僕は、冗談混じりでしか愛を伝えられずにいる。

深夜に不意に呼ばれ、片道一時間の電車に揺られ、少し話して解散する。
綺麗とは言えないこの関係を受け入れてしまっている。

帰りの車窓から見えた月は、都合の良い手段にしてしまったのにも関わらず、
僕を肯定するためだけに光ってくれている気がした。


家に帰ってベッドに倒れ込む。
いつも大体風呂に入った後に連絡が来るから、そのまま寝ていいことにしている。彼女は僕が風呂に入っていることを知らない。
いつも連絡がくる時間にすでに風呂に入ってる日が多いことがバレてしまったら誘われなくなってしまうかもしれないと思い、言わないようにしているからだ。
僕の服装を見ていつも彼女はパジャマみたいだねと笑う。これはパジャマだ。一張羅を着て会いに行けたことは今まで一回もない。

電車の中で送ったメッセージに返信が来てないのを確認して、寝返りを打って時計を見ると、もう終電から1時間過ぎている。
彼女は終電で僕を呼ぶようなことはしない。電車に余裕がある時間に呼んで、終電の一本前がホームに来た頃にもうこんな時間かと言う。このまま一日が終わるとなにもなかった日になってしまうのを防ぐために呼ばれているのだろう。
彼女の中で僕はアマプラとかネトフリと同じようなポジションにいるのかもしれない。果たして僕はアマプラより面白いのだろうか。3万本見放題のコンテンツたちに勝てる気がしていない。
僕と彼女の恋愛は、他人から見たら恋愛に見えるだろうか。展開も共感もない平坦な関係性は、とても満足してもらえるものではないと思う。それでも今日は、月が綺麗ですねと言えた。夏目漱石はシャイなんだろう。語彙が溢れていてもわざわざこんな周りくどい言い方はしない方がいい。実体験からしかでない言葉選びのセンスだと思う。勇気を振り絞ったギリギリの言葉選びが、センスとして現代人に語り継がれている。漱石の勇気は、僕のような人間が、何か爪痕を残すためにやれる範囲でもがいた証になった。

「月が綺麗ですねって、なんの和訳か知ってますか?」

帰りの電車で一か八か送ってしまったメッセージを指でなぞる。
消しても消したことを伝える小さい文字が残ってしまうし、向こうがすでにこれを見ていて、明日朝起きてから返信しようとしていた場合、消すのが一番良くない。そんなことを考えながらどんどん眠れなくなっていく。なんでこんなの送っちゃったんだろう。車窓の向こうに月が見えた頃、僕は上手に恋愛できる気になっていた。漱石の綺麗な言葉選びを、自分のセンスだと勘違いしていた。月にはそういう力があるのかもしれない。漱石の和訳もあながち間違ってないのかもしれない。彼女も同じ月を見ただろうか。
窓を開けて月を見ようとする。隣の建物が邪魔で見えなかった。



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