さかな師匠
新谷さん、こんにちは。お元気ですか?
私が高校時代に所属していたソフトテニス部の先輩の思い出を紹介させてください。
ソフトテニスはダブルスが基本で、たいがい決まったパートナーとペアを組みます。同級生同士のペアが多い中、私は一つ年上のS先輩とのペアでした。
S先輩は極端に口数が少なく、めったに笑わないという、かなり変わった人でした。だから、日頃からコミュニケーションを取るのには、結構苦労しました。ストレートに思いをぶつけ合うことができず、プレー中にミスがあっても「S先輩、ドンマイです!」みたいに、気を使った言い方しかできなくて、ストレスを感じることもありました。
どこか噛み合わないペアのまま、S先輩との最後の県大会がやってきました。案の定、私達のペアは善戦むなしく2回戦で敗退。S先輩の夏が終わりました。私のミスのせいで負けた試合でした。試合の後、S先輩への申し訳なさと、情けなさで、私はまともに先輩の顔を見ることができませんでした。
ところが、その時S先輩は私にこう言ったのです。「今までありがとう。お前とペアになってからテニスが楽しかった」と。先輩からの思いがけない一言に、私は激しく泣きました。
一年後、私は一つ年下の後輩とペアを組みました。県大会は3回戦で敗退。私に泣いて謝る後輩に向かって、S先輩からいただいた言葉をかけたことは言うまでもありません。
きっと新谷さんにも、先輩からもらった、忘れられない言葉があるのではないでしょうか?教えていただけたら嬉しいです。
新谷さん、こんにちは。
昨日、シモキタ-エキマエ-シネマ『k2』にて、映画「怪獣は襲ってくれない」を鑑賞させていただきました。メインキャスト3人が約半年ぶりに再会したアフタートークの興奮も醒めやらず、一夜明けてようやく言葉にすることができています。
観る前は、「こっこにまた会える」とか「あの夏の感動を再び」といった動機でした。だから、上映開始から10分くらいは、ある種の懐かしさを覚えつつ、自分が観た舞台の記憶と映像を照らし合わせて楽しんでいました。「ダーリンダンス、やっぱ可愛いわ!」とか。外からトー横を眺める感覚でした。
ところがしばらくすると、傍観者ではいられないという、この作品独特の引力の虜になっている自分に気付きます。しかし、「なんだろう、この感じ?」舞台の時の一体感とは別種の没入感とでも言えばよいのか。
舞台の場合、視点のスイッチは観客の側にあります。しかし、映像化の過程でこのスイッチは一旦監督の手に渡り、観客は監督が切り取ったフレームの中の世界を観ることになります。言い換えれば、観客は監督の意図や思いといったものを、舞台よりも忠実に受け取らざるを得ないわけですよね。「没入感」の一因はこの辺にあったのかもしれません。舞台として一旦完結した世界をわざわざ映像化したことには、こんな狙いもあったのか?「うーむ、岡本昌也、恐るべし!」
映像化されたことで、舞台では観ることのできなかった、各演者の微妙な表情の変化やその奥の感情までが手に取るようにわかり、とても良かったです。新谷さんの演技では、最終盤、舞台に向かって左上のスペースでの語り、携帯でパパに電話をかけさせられたのに切られたくだりのシーンが特に強く胸に迫って来ました。こっこの絶望がラストの絶叫へと繋がるシーンです。不条理な世界を拒絶する一方で、「私の話を聴いて!」と激しく受容を求める、こっこのあの叫びが耳から離れません。
今あらためて「怪獣は襲ってくれない」は素晴らしい作品だと確信しています。そして、主役の「こっこ」を見事に演じ切った、女優・新谷ゆづみに、昨日の終演時には送れなかった、心からの拍手を送りたいです。
新谷さん、こんにちは!
出演された映画が次々に話題になり、追い付くのが大変なくらいのご活躍で、ゆづみん推しとしては嬉しい悲鳴です。
さて、先日映画「ブルーイマジン」の舞台挨拶にご登場されましたよね。あの日私は現場で新谷さんとお会いするのを楽しみにしていたのですが、体調不良で上京できませんでした。でもどうしても、この映画を応援したい気持ちが強かったので、東京に住む私の娘に代わりに行ってもらったのです。
ちなみに私の娘はとあるK-Popグループのファンなのですが、前から四番目くらいの席から、いつも推しに送るように両手でハート🫶を作って送ったら、なんと新谷さんが気付いてくれて、バッチリ視線を返してくださったのだそうです。このときの、あまりに可愛くて強い新谷さんの眼の表情に、我が娘もハートを撃ち抜かれてしまい、瞬時にファンになってしまったと言うのです。その後も何度か新谷さんと目が合った(気がする)と、娘は興奮気味にLINEをよこしました。
これからはめでたく親子で新谷さんを推していけるという、喜びのご報告でした。いつか親子揃って現場で応援させていただきますね‼️
新谷さん、こんにちは!
今や日本人のソールフードとなったカレー。誰しも思い出の一つや二つありますよね。私にも忘れられないカレーがあります。
それは平成の初め頃、私が22歳で就職して住み始めたある街の、小さな洋食屋さんのカレーです。ムルギカリーという名のそのカレーは、その店に2つしかないメニューの一つでした、
ムルギとはインドの言葉で鶏のムネ肉を表すのだそうで、不思議な香りのスパイスが入ったサラサラのルウの上に、外はカリっと中はジューシーにローストされたムルギがドーンと乗っているというもの。インドには行ったことのない私も、ムルギカリーを食べている時間はインドを旅しているような気分になったものでした。
その街には6年間しかいませんでしたが、あまりにムルギカリーが好き過ぎて200回以上は通ったはずです。シェフは私よりも少し歳上でしたが、年齢が近かったこともあり次第に仲良くなりました。「今日は少しヨーグルトを入れてみたんですけど、いかがですか?」などと味の感想を求められることもありました。
しかし、転勤でその街を離れ、10年20年と経つうちにあれだけ大好物だったムルギカリーも、過去の味となっていきました。しかし、コロナ禍が落ち着いた去年のある日、どうしてもムルギカリーが食べたくなり、思い切って出かけてみようと決心したのです。ところがその矢先、あのお店が閉店した事をネットで知りました。
ガーン!!!あのムルギカリーは永遠に思い出の味となってしまったのです。実はこれまで何度も、かすかな記憶を頼りに、似たようなカレーを作ってみたのですが、どうしてもあの味にはなりませんでした。
まさに後悔先に立たず。今は、あのシェフがお元気で、どこかの街でムルギカリーを作り続けていることを祈るばかりです。
新谷さん、こんにちは!
試験と言えば私、数学で0点を取ったことがあります。あれは忘れもしない、高校3年2学期の期末試験! あり得ないですよね。しかも、白紙ではなく一応頑張って解いた末の0点なんですから、正真正銘です。
もともと数字や記号が苦手だったのですが、高校に入ってから数学アレルギーが酷くなり、逃げ回っていたので、当然の結果ではあったのですが、0点にはさすがに凹みました。
ところが、その時の数学の先生が偉かった。私に答案を返却しながら、「おい、さかな(仮名)! お前の数学は最低だが、英語は最高だ。もう数学はいいから、英語で生きて行けるように頑張れ!」と言ってくださったのです。悲しくて、嬉しくて、トイレで泣きました。
次の時間、返却された英語のテストは99点で、「よし、俺は英語でメシ食えるようになろう!」と決心したのでした。幸いにも、私はその後、本当に英語を使う職業につくことができ、今だに英語でメシを食わせてもらっています。
愛のある一言で私の人生を変えてくれた数学の先生は、「ベクトル」というあだ名の冴えないオッさんでしたが、私にとっては永遠のロールモデルとなりました。あれからうん十年、もしベクトル先生が御健在なら、心からありがとうと伝えたいです。
新谷さんの思い出に残る先生は、どんな方ですか?教えていただけたら嬉しいです。
ゆづみん、こんにちは☺️
新年の抱負ということで、私の抱負はズバリ、久しぶりにスキーを再開することです。雪国に生まれ育ち、冬は雪と戦うようにして生きてきましたが、20代から30代前半にかけて、せっかくだから雪を楽しまなきゃと地元のスキー場や蔵王などに出かけては滑りまくっていました。
しかし、この頃は寒さが大の苦手になり、ご無沙汰していたところ、なんと前の冬にゆづみんがスノーボードに挑戦した姿をインスタに上げてくれたではありませんか‼️
これにオジさんも俄然刺激を受けまして、寒いなんて言ってらんないと、一大決心しましたよ。ただ、昔履いていたスキーはやたら長いヤツだし、ブーツもおそらくもう履けないから、一式揃えるところからはじめないと。まずは年末ですっかり寒くなったふところ具合をなんとかせねばと思案する今日この頃です(笑)。
新谷さんは、どんなことにチャレンジしてみたいですか?
教えてもらえたら嬉しいです。
ゆづみん、お変わりありませんか?
今日はカレンダーイベントの当日でした。ゆづみんと直接お話しするのは7月のバーイベでツーショットチェキを撮っていただいて以来でしたが、今日の1回目のお話し会ではステージに上がった瞬間に、白基調のお衣装をまとったゆづみんのあまりの美しさに、完全に言葉を奪われてしまいました。かろうじて「トークルームのボツ投稿もお読みになるんですか?」と聴くのが精一杯。
2回目のお話し会は意を決して、まず名乗りから。「ひとりゴト」で直近の投稿を読んでいただいたことのお礼や、パジャマパーティーのお願いは悪ノリしてごめんなさいとか、楽しく話せました。その後はもう一回並んで、ツーショット写真の一枚目。でもやっぱり笑顔が眩しすぎて、まともに直視できず悔いが残りました。
3回目はゆづみんの視線を心に焼き付けることをテーマに、お渡し会と2回目のツーショット写真。最後はクリスマスに贈る予定だった秘密の文書をチラ見していただき、二人の間に挟んで撮っていただきました。
この日、会場に集まった誰もが幸せそうで、この場のひとりになれたことが本当に嬉しかったです。来年もきっとゆづみんは大活躍で、支える僕たちにとっても幸せな一年になるに違いないと確信した一日でした。
ゆづみん、来年もまた会えたら嬉しいな。
素晴らしい時間と記憶をありがとう😊💕
ゆづみん、こんにちは。二十歳を迎えた記念すべき今年も残り少なくなってきましたね。もうすぐ大好きなご実家に帰れますよ✨
ところで、先日は初のインスタライブ、お疲れ様でした!
初めてということもあって、視線とかレンズとの距離感とか、あまり慣れていないところがかえって初々しくて、とても良かったです。最初の数分間は「ゆづみん近い」というコメントもあったようですが、その近さこそ、ラジオと同様に、インスタライブの良さなのではないでしょうか?おかげで300枚ほど撮ったスクショは、ゆづみんのアップばかり。可愛くて多彩で、近〜い表情のコレクションが出来上がりました‼️
トークも決まった台本がなかったせいか、とても自然で、ゆづみんの素に近い語りだったのでは?内容的にも、カレンダーの中身のチラ見せや、今後告知されるであろうお仕事の情報など、盛りだくさんで、時間があっという間に過ぎました。楽しい時間をありがとうございました。
ゆづみんのインスタライブ、またやってほしいなぁ☺️お互いに飲み物や食べ物を準備してパーティみたいにしても楽しいかも。こないだの後夜祭みたいに、ゆづみんの掛け声で「かんぱーい❣️」とか、ワンファの後輩達みたいにパジャマパーティとか。ああ、妄想が止まりません‼️
仕事のできるゆづみんのマネージャーさん、ぜひまた楽しい企画をよろしくお願いします(笑🙏🙇
新谷さん、こんにちは!
先日の後夜祭やゆづみん初のソロインスタライブ、楽しい時間をありがとうございました😊
さて秋も深まって来ましたが、秋の味覚、私のイチオシは、アケビです。新谷さんは食べたことがありますか?和歌山ではアケビをどんなふうにして食べるのかなあ?
アケビの実は熟してくると皮がパックリと割れて、中にトロりと甘いゼリー状の果肉が入っていて、その甘い果肉を食べるのが一般的なのではないでしょうか?
しかし、私の住んでいる東北地方では、中の甘い部分はきれいさっぱりと捨て、肉厚で少し苦味のある皮の部分を食べます。中にはひき肉とみじん切りにした椎茸やタケノコなどを餃子の餡のように練ったものを詰めて、凧糸で軽く縛り、フライパンで油炒めにします。これが美味しいのなんの。アケビのほろ苦さと肉汁の旨みが相まって絶妙なハーモニー❣️
白メシにもビールにも合う一品です。
新谷さんもぜひお試しあれ‼️
新谷さん、こんにちは。次々と話題の映画に御出演、本当におめでとうございます。
今年の私の夏は、新橋で幕が開き、歌舞伎町で幕をおろしました。そうです。私の夏はゆづみんに始まりゆづみんに終わったのです。
さくら学院の父兄になったのが遅かった私にとって、新谷さんを生で応援する初めての機会が、実はあのバーイベでした。だから、目の前のステージに初めて新谷さんが現れた時は感動ものでした。まさに、虎之助に会った時のこっこ状態!!! 一緒に撮ってもらったツーショットチェキは至高の宝物。つらいことがあってもこれを見れば乗り越えられます。
「怪獣は襲ってくれない」の舞台では、心を鷲づかみにされ、終演後は見つかるはずもないこっこの面影を探しに、歌舞伎町を徘徊したほどです(笑
ゆづみん一色だった私の夏は、舞台の後夜祭を見届けるまで終わらないのかもしれません。
新谷さん、こんにちは。
初主演舞台の大成功、本当におめでとうございます㊗️まるで自分自身のことのように嬉しく、また誇らしく思います。「こっこ」を生き抜いた約1カ月は、新谷さんの人生にとってかけがえのない宝物になったことでしょう。私達ファンも同じ思いです。「舞台女優・新谷ゆづみ」誕生の瞬間を目撃できたのですから。
演劇空間と現実の境界が危うくなるラストは斬新でしたが、実はさくら学院2018年度学園祭の「時を駆ける新谷」にも、それに近い戰慄を覚えたシーンがありました。泣きながらみんなの前で弱さをさらけ出す場面がありましたよね。あの時も、あまりにも演技がリアルで、これはゆづみんの本音なんじゃないか?と、演技なのか素なのかわからない瞬間がありました。なので、先日、学園祭のDVDを見直した時には、不思議な既視感(きしかん)を覚えたのでした。
新宿であの日「こっこ」から突きつけられた問いを、私達は手放していないし、これからも何らかの形で持ち続けていくような気がします。私もいまだに、台本を読んだり、佐々木チワワさんのルポを読んだりしながら、あのラストシーンで生まれた感情が何だったのか、なぜこんなにも心がヒリヒリするのかを問い直しています。
新谷さん、ぜひいつかまた舞台で、あなたの息づかいや体温が感じられる演技を見せてください。その時を楽しみに待っています。
新谷さん、こんにちは。
あれからずいぶん日が経ちました。気がつけば夏も終わり秋風が吹き始めていますが、私にとってこの夏は、ゆづみんのバースデーイベントに始まり、「怪獣は襲ってくれない」で終わたような気がします。振り返れば、私はますます重症の新谷ゆづみファンになっていました。
実はあのバーイベは、私にとって初めて生ゆづみんとお会いする機会だったので、プレミアムな1日となりました。2部と3部に参加しましたが、森センセイや八木美樹ちゃんとのさくら学院みのあるトークは、父兄冥利に尽きるものでした!
その上、物販のガチャでまさかの特賞が当たり、第2部終わりの特典会では、なんとゆづみんとツーショットチェキを撮ってもらうことができました。嬉し過ぎて舞い上がり、撮影後にチェキを受け取らずに去ろうとして、ゆづみんをあわてさせてしまうという大失態!でも、ちゃんとこちらの目を見て「ありがとうございます!」と言っていただいて、本当に嬉しかったです。私の人生の走馬灯のひとコマに、しっかりと刻まれました。
ゆづみん、ほんとうにありがとう‼️そしてあらためて、二十歳のお誕生日おめでとうございます㊗️
ゆづみん、こんにちは!
ドラマ「トモダチごっこ」や「あけておねがい」のご出演おめでとうございます!
私の母の話を聞いてください。
母はもうすぐ86歳、年齢的にはすっかりおばあちゃんなのに、家業である商売の帳簿も付けられるほど、頭がしっかりしているのが、私たち家族の自慢でもありました。
ところがこの母が、つい先日突然倒れ、病院に救急搬送される事態に! 職場にいた私にも電話で知らせがあり、妻の声のあわてぶりに、ひょっとしたら、もう母の死に目には会えないかもしれないと思い、急に悲しさがこみあげてきました。「こないだ作ってくれたメンチカツ、おいしかったよ」と言うのを忘れていたことを後悔し、自分を激しく責めました。
1時間ほどして病院に着くと、なんと母は生きておりました。「よかった!」とひとまずは安心したのですが、母は脳に損傷を受け、記憶障害があるとの診断でした。
幸い私のことは覚えていたので、万感(ばんかん)の思いを込めて「こないだのメンチカツな、あれうまかった!」と伝えました。すると、母はキョトンとして、「メンチカツ?なんだっけ?」と言うではありませんか。なんと、母の記憶からメンチカツは消えていたのです。
人間、明日のことは誰にもわかりません。大切な人にどうしても伝えたいことがあるなら、あとのばしせずに伝えるべきだと、教えられた出来事でした。ゆづみんは、伝えそびれている大切なこと、ありませんか?
新谷さん、こんにちは。お変わりありませんか?
私の夏休み終わりのエピソードは、少年時代のお祭りの出来事です。
私の街には江戸時代から続いている祭りがあって、町内ごとに歌舞伎や歴史上の有名な場面を表現した「やたい」と呼ばれる大きな山車(だし)を作って、それを子供達が引いて市内をねり歩くというものです。
小学6年生だった年の祭りの日の朝、普段は見かけない、小さくてかわいい女の子が、同じやたいを引きにやって来ました。
おとなしくて不安げなその子がなぜか気にかかり、ほうっておけず、休憩の時間に冷たいジュースやアイスをもって行ってあげたり、宵(よい)祭りの時間にはちょうちんにロウソクの火をともしてあげたりと、私はなにかと世話を焼きました。そうしているうちに少しずつ打ちとけてきて、その子は自分が「みこ」と言う名前であること、小学5年生であること、東京から夏休みでおばあちゃんの家に遊びに来ていること、私の同級生のいとこであることなどを、少しずつ話してくれました。
あたりが暗くなるころには、並んでおにぎりを食べたりするくらい親しくなっていました。
祭りが終わり、別れぎわ、私が精一杯の勇気を出して「また来年もお祭りで会おうな」と言うと、みこちゃんは私の眼をみて、ただ、こくりとうなづいてくれました。
しかし、翌年の夏祭り、みこちゃんの姿はそこになく、私の心の中に甘酸っぱい思い出だけが残りました。遠い夏の終わりの、小さな恋のお話です。
新谷さんの故郷のお祭りのお話もうかがえたら嬉しいな。
さかな師匠より
ゆづみん、19歳のお誕生日おめでとうございます。
お洒落な品も特別な技も持ち合わせない私は、ゆづみんにお祝いとして何を贈ればいいのだろう?悩んだ末に、短歌をひとつ作りました。つたないものですが、お読みいただけたら幸いです。
ラジオから流れるゆづの声甘く
ナメクジになる水曜の午後
いつも癒しをありがとう。
あなたはこれからも、私たちの希望です。
さかな師匠より
ゆづみん、こんにちは!
異世界居酒屋のぶseason2や、maxellのCMやBLTへの登場など、このごろの大活躍で、ファンも大喜びですよ。
ところでオリジナルグッズなのですが、平凡ですけどトートバッグはいかがでしょうか?トートバッグ自体はよくありますが、プリントをファンアートから選ぶというアイディアです。著作権は始めから番組に譲渡してもらうことを前提に募集すればOKだと思います。
さらにゆづみんのサインをコラージュしたら特別感マシマシの逸品になるはず。また、コンペにして審査はリスナーの投票で決めるようにしたら、絵師さんたち燃えるだろうなあ。もちろんゆづみんご本人の意見も何らかの形で反映できるようにスタッフさんに考えていただいて。
いかがでしょうか?
2種類作ってもいいですよね。
そしたらゆづ枠とファン投票枠ができていいかもです!
さかな師匠
ゆづみん、こんにちは!
むかし左官職人だった私の父は、曲がったことが大嫌いで、子供のころはよく叱られました。ぶ厚い手でビンタを食らった時の父の手の力を、いまだに左の頬が覚えています。
そんな父でしたが、母や私や妹が、風邪をひいて寝込んだりすると、人が変わったように優しくなるのが謎でした。そして決まって、野菜と肉を炒めてごった煮にしたような不思議な料理を作って食べさせてくれました。またその料理の名前が謎! 「ちーとふんかん」って言うんです笑。きっと父が適当に命名したんでしょうね。
父は10年前に癌で亡くなったのですが、その前日に、私はしばらく病床の父の枕元にいました。もう語りかけても返事が無い父の、右の手のひらを私の左頬に当てて、「ちーとふんかん、うまかったな」とつぶやくと、父の閉じた目からスーッとひとすじの涙が流れたのです!
それが私と父との最後の会話でした。
ゆづみん、パパを大切にしてあげてね。
新谷さん、こんにちは。
このトークテーマでの収録は終わってしまったかもしれませんね。
私のオススメのおかずは、激辛の塩じゃけです。ただ激辛と言っても塩辛い、しょっぱいほうです。焼くと表面に塩が浮いて来て白っぽい感じになりますが、これが炊きたての白メシに感動的に合うんですよ。これだけでご飯が何杯でもいけます。おにぎりの具にしても美味しいですよ。
最近は健康志向でしゃけも減塩のものが好まれるようですが、私のような古い人間はたまにこの塩辛いしゃけがどうしても食べたくなります。
似た食べ物に、塩鯨(しおくじら)があります。これも焼くと塩が浮いて来るやつです。和歌山出身の新谷さんなら鯨も召し上がったことがあるのでは?
この頃はなかなかスーパーでも見かけなくなった懐かしいおかずです。
新谷さん、こんにちは
こんにちは、ゆづみん。ゆづみんの優しい語りに癒されているオッサンです。いつもありがとう。
昨日「やがて海へと届く」を地元の映画館で観てきました。伊藤羽純の語りのシーンでは、演技を超えたリアリティに圧倒されました。羽純の感情の波というか渦のようなものが、観ている私の心に流れ込んで来て、涙が止まらないのです。ああ、今思い出してまた涙が出てきました。これはきっと、羽純を生きたゆづみんの思いに私が共鳴して、心が揺さぶられたからですよね。撮影時にあなたが怖くて泣いてしまったという、海辺でわらべうたを歌うシーンも、心に深く刻まれました。ゆづみんの歌はたくさん聴いてきたはずなのに、初めて聴いたように感じたのは不思議だなぁ。
東北人として震災を身近に経験したこと、二十歳の頃に親友を事故で失ったことから、この映画は私自身の物語でもあり、観ていて深いところで響き合う感覚がありました。今は、久しぶりに親友の形見のジャズのレコードを聴きながら、彼に語りかけたいと思っています。
生と死の世界は、本当は別々に存在するものではなく、私たちが気付かない形で連続しているのかもしれませんね。そんなふうに思わせてくれたこの映画は、私にひとつの救いを与えてくれました。素敵な作品に出会わせてくれたゆづみん、本当にありがとう。
私は光石研さんと同年代なので、ゆづみんのことは娘の成長に目を細める父親のような気持ちで応援していますが、これからは、さくら学院の父兄としてではなく、女優・新谷ゆづみのファンとして、あなたを応援させてください。
つまらない長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。