『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第271回

気になるアーティストを50音順に、坂崎幸之助が独断と偏見で紹介している≪坂番洋楽データファイル≫(略してSYDF) 今回は「ラ」の付くアーティストの7回目です♪

坂崎幸之助 スタジオ
「あっち~なぁ。」

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『ランディ・ヴァンウォーマー(Randy Vanwarmer)』
★1955年(3/30)コロラド州インディアン・ヒル生まれのシンガーソングライター。
20才の時、ロンドンのレコード会社と契約。しかし、すぐにはデビュー出来ず悶々とした日々を送ります。
そして1978年23才の時、ニューヨークに拠点を移し、
翌1979年にアルバム『ウォーマー(Warmer)(邦題「アメリカン・モーニング」)』でデビュー。
この中からのシングル「アメリカン・モーニング(Just When I Needed You Most)」が
全米をはじめ、世界中で大ヒットを記録。
歌詞の内容は「失恋の痛手から、なかなか立ち直れない男の悲しい心情を歌ったもの」でしたが、
日本のレコード会社は曲調重視で“爽やかな朝=アメリカの朝”というイメージで
内容とは全く違うタイトルを付けて売り出したそうです。
  ♪アメリカン・モーニング(Just When I Needed You Most)
   *1979年・全米4位。
★ランディ・ヴァンウォーマーは、2004年に白血病のため48歳という若さでこの世を去っています。

『ランディ・ローズ(Randy Rhoads)』
★1956年(12/6)カリフォルニア州サンタモニカ生まれのギタリスト。
8歳からロックギターに目覚め、14歳で兄とバンド活動をスタート。
【ディープ・パープル】の“リッチー・ブラックモア”を目標にギターの腕を磨きます。
そして1973年に【クワイエット・ライオット】を結成。
1977年、各国のレコード会社にデモテープを送るも、アメリカをはじめ、ほとんどが契約を渋る中、
日本のレコード会社(当時のCBS)のみが契約。2枚のアルバムをリリース。
しかし、アメリカでのアルバム未発売を原因にランディ・ローズはグループを脱退。
音楽仲間からの「【ブラックサバス】を脱退したばかりのオジー・オズボーンが
バンドのギタリストを探している」という口利きで、1979に急遽【オジー・オズボーン・バンド】に参加。
初代ギタリストとして実力、人気共に大いに注目を集めます。
今回はランディ・ローズのテクニックが光る、1980年発表、オジー・オズボーンのソロ第1弾シングルをご紹介。
  ♪クレイジー・トレイン(Crazy Train)
   *1981年・全米シングルチャート106位。全英49位。全米ロックチャート9位を記録。
   *ギター専門誌『ギター・ワールド』選出の
    「ギターソロがすごい100人のギタリスト(100 Greatest Guitar Solos)」で、
    この「クレイジー・トレイン」のギターソロが9位に選ばれています。
★「クレイジー・トレイン」ヒットの翌年、1982年3月19日にランディを乗せた小型飛行機が墜落。
まだ25歳という若さでこの世を去っています。

『ランディ・マイズナー(Randy Meisner)』
★1946年(3/8) ネブラスカ州スコッツブラフ生まれ。エルヴィス・プレスリーに憧れて音楽の道を志すことに。
最初はギターを弾いていましたが、音楽教師にベースを勧められベーシストとして弱冠15歳で地元のバンドに参加。
1965年にカリフォルニアに拠点を移しチャンスを待ちます。
そして1968年に【バッファロー・スプリングフィールド】を解散した“リッチー・フューレイ”と“ジム・メッシーナ”による
オーディションを受け【ポコ】に参加。
しかし、デビューアルバムのレコーディング中にリッチー・フューレイやジム・メッシーナと対立し脱退。
その後、ライヴやレコーディングのセッションメンバーを経て、
1971年には“リンダ・ロンシュタット”のバックバンドのメンバーに!
そこで知り合った“ドン・ヘンリー”と“グレン・フライ”に誘われ【イーグルス】結成に参加。
ということで、まずはイーグルス時代のランディがリードボーカルをとった代表曲を。
  ♪テイク・イット・トゥ・ザ・リミット(Take It To The Limit)/イーグルス
   *1976年・全米4位。
   *イーグルスの4枚目のアルバム(1975年の)『呪われた夜(One of These Nights)』から
    3曲目にシングルカットされた曲。
   *曲作りは、ドン・ヘンリー、グレン・フライと共にランディ・マイズナーが担当。
    シングルとしてはランディ初のリードボーカルとなった曲。
★この後、1976年発売のアルバム『ホテル・カリフォルニア』のレコーディング、
そして翌年のツアーまで参加したランディ・マイズナー。
結成当初は、民主的だったバンドが次第にドン・ヘンリーとグレン・フライによる専制的なものになり不満をつのらせ、
1977年の秋に【イーグルス】を正式に脱退。
続いては【イーグルス】脱退後にリリースした、
ソロ2作目となるアルバム『ワン・モア・ソング(One More Song)』からの第1弾シングル曲を。
  ♪ハーツ・オン・ファイアー(Hearts on Fire)
   *アルバム発表の翌年1981年に全米シングルチャートで19位まで上昇。
★先日7月26日にロサンゼルスにて死去しました。77歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。

『ランディ・ニューマン(Randy Newman)』
★1943年(11/28) ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。
医師の父親のもと裕福な家庭に育ち、親戚には((チャップリンやマリリン・モンローなどの名作の作曲を担当した)
映画音楽の大家がいて、ランディ・ニューマンも、UCLAでは音楽を専攻。
在学中からソングライターとして数々のヒット曲を提供。
そして1968年にアルバム『ランディ・ニューマン』でデビュー。
当時は、独特の皮肉たっぷりで、やや難解な歌詞が禍したのか、一般的な音楽ファンには理解されませんでしたが、
1970年に【スリー・ドッグ・ナイト】が、彼の作品「ママ・トールド・ミー」をカバーし全米1位を獲得したことで評価は一変!
 “ニルソン”も彼のカバーアルバム『ランディ・ニューマンを歌う(Nilsson Sings Newman)』を1970年に発表しています。
1977年に発表された曲は、皮肉屋で辛辣な歌詞ながら大ヒットしました。
  ♪ショート・ピープル(Short People)
   *バックコーラスには、グレン・フライ、J.D.サウザー、ティモシー・B・シュミットが参加。
   *1978年・全米2位を記録。
★続いては、豪華なゲストを迎えて1983年に発表されたシングル曲を。
  ♪ザ・ブルース(The Blues)/ランディ・ニューマン&ポール・サイモン
   *1983年・全米51位。
★1980年代に入ると映画音楽(サウンドトラック)の制作がメインとなってきた“ランディ・ニューマン”。
有名なところでは、ピクサーの『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』『カーズ』などの一連の作品。
特に『トイ・ストーリー』の主題歌「君はともだち(You've Got a Friend in Me)」は
大人から子供までお馴染みの曲となっています。

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 次の更新はネット局すべてのOA終了後
 2023年8月15日(火)PM10時以降の予定です。
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