『坂番洋楽データファイル(略してSYDF)』第269回

気になるアーティストを50音順に、坂崎幸之助が独断と偏見で紹介している≪坂番洋楽データファイル≫(略してSYDF) 今回は「ラ」の付くアーティストの5回目です♪

坂崎幸之助 スタジオ
  春ツアー無事終了。ありがとうございました♪

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『ラス・ケチャップ(Las Ketchup)』
★2002年、スペイン・コルドバ出身の3姉妹“ラス・ケチャップ”(意味は“ケチャップ娘”)。
このグループ名は、姉妹の父親で、フラメンコギタリストの“エル・トマーテ(El Tomate)”の娘というところから、
トマーテ、つまり“トマトの娘”=ケチャップ ということから名付けられたとか。
そんな彼女たちが放った、世界的な大ヒット曲が「アセレヘ~魔法のケチャップ・ソング」。
当時、レコード会社が作った資料には『1990年の「ランバダ」、96年の「恋のマカレナ」に続く、
6年に一度の歌って踊れる世界的な大ヒット!ヨーロッパ13ヶ国、南米8ヶ国でナンバーワン!
この勢いに乗って、アメリカ、日本にも飛び火!』・・・といったことが書かれていました。
しかし、レコード会社の思惑はちょっと外れて期待していた全米チャートでは54位と、やや不本意な記録となっています。
  ♪アセレヘ(Asereje)~魔法のケチャップ・ソング
   *売上枚数は全世界で350万枚を記録。

『ラーセン・フェイトン・バンド(Larsen-Feiton Band)』
★1980年、ロサンゼルスを中心に活躍していた有名スタジオミュージシャン2人、
キーボード奏者の“ニール・ラーセン”と、ギタリストの“バジー・フェイトン”が中心となって結成したバンドが
【ラーセン・フェイトン・バンド】。
当時のAOR、フュージョン・ブームにのって注目を集めました。
今回は、彼らのデビューアルバム『ラーセン・フェイトン・バンド』からシングルカットされた曲を。
  ♪今夜は気まぐれ(Who'll Be The Fool Tonight)
   *1980年・全米29位。
★1982年には2ndアルバム『フルムーン』を発表。しかし、売上も芳しくなくバンドは自然消滅しています。

『ラリー・カールトン(Larry Carlton)』
★1948年3月2日生まれ、カリフォルニア州トーランス出身のギタリスト。
6歳からギターを始め、高校時代は“B.B.キング”や“ジョン・コルトレーン”などの影響を受け、
ジャズギタリストへの道を志します。大学に入ると音楽を専攻。
サンディエゴで開催された「南カリフォルニア・ビッグ・バンド・コンテスト」で≪最優秀ソリスト賞≫を受賞。
そして1969年、1stアルバム『With a Little Help from My Friends』を発表。
その後、1971年から76年まで【ザ・クルセイダーズ】に参加。
グループ脱退後、スタジオミュージシャンとして“スティーリー・ダン”をはじめ、様々なセッションやアルバムに参加。
同時に、本格的にソロアルバムの制作にも力を注ぎます。
そんなラリー・カールトンを一躍有名にしたのが、1978年に発表したアルバム『夜の彷徨(Larry Carlton)』。
  ♪ルーム 335(Room 335)
   *1978年発表のアルバム『夜の彷徨』収録曲。
   *タイトルになっている「ルーム 335」はプライベートスタジオの名称。
    「335」は彼の代名詞にもなっている、ギブソンのセミアコモデル(ES-335)に由来。
    「Mr.335」という愛称でも有名です。
★ラリー・カールトンは、フュージョン・ギタリストとして、日本でも“リー・リトナー”と人気を二分していました。
尚、2010年には、B'z の松本孝弘氏との共作『TAKE YOUR PICK』をリリース。
このアルバムで、翌2011年のグラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・ポップ・アルバム賞」を受賞。

『ラリー・リー(Larry Lee)』
★1947年3月7日生まれ、ミズーリ州スプリングフィールド出身のシンガーソングライター。
1972年から約10年間、カントリーロックバンド【オザーク・マウンテン・デアデビルズ】で活躍。
1975年には、ラリー・リーが作って歌った「ジャッキー・ブルー」が全米3位を獲得。
1982年にグループを脱退、
その後、ソロ第1弾としてリリースしたアルバム『ロンリー・フリーウェイ』からのシングルが全米で81位を記録。
このアルバムは、彼の髭面にハンチングというポートレート風のジャケットでしたが、
日本では、当時FM専門誌の表紙でも有名だった人気イラストレーター、鈴木英人さんの書き下ろした
イラストに差し替えて発売。AORブームもあって注目を集め、
1991年の映画『波の数だけ抱きしめて』に使われ再評価されています。
  ♪ロンリー・フリーウェイ(Don't Talk)
   *1982年・全米81位。
   *アルバムには、ニッキー・ホプキンス(p)をはじめ、TOTOのデヴィッド・ハンゲイト(b)や
    デヴィッド・サンボーン(sax)、バックコーラスには ビル・チャンプリン、
    リチャード・ペイジ、【ザ・バンド】のリック・ダンコなどが参加。
★ラリー・リーは、2007年10月30日に わずか60歳で亡くなっています。

『RUN  DMC』
★ニューヨーク出身のMC、“RUN”こと“ジョセフ・シモンズ”と、MCの“DMC”こと“ダリル・マクダニエルズ”、
そして、DJの“ジャム・マスター・ジェイ”こと“ジェイソン・ミゼル”の3人からなるラップグループ。
1980年代初期から【オレンジ・クラッシュ】として活動。
1982年にグループ名を【RUN  DMC】に改名し翌1983年デビュー。
カンゴールのハット、アディダスのジャージに、アディダスのスニーカー≪スーパースター≫を
紐なしで履くというファッションで一躍ラップグループとして大人気に!
1984年のデビューアルバム『RUN-D.M.C』が全米だけで売上50万枚突破。
翌1985年の2ndアルバム『King of Rock』がプラチナ・ディスク=100万枚突破。
そして1986年の3rdアルバム『レイジング・ヘル(Raising Hell)』は売上300万枚以上の
トリプル・プラチナ・ディスクとなり、アルバムチャートでも全米3位を記録。
この大ヒットの元となった曲が、あのロックグループの中心人物2人をゲストに迎えたこの曲でした!
  ♪ウォーク・ディス・ウェイ(Walk This Way) with スティーヴン・タイラー&ジョー・ペリー
   *1986年に全米シングルチャート4位を記録。
   *エアロスミスが1977年に全米10位を記録したヒット曲を、
    エアロのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーをゲストに迎えてカバー。

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 次の更新はネット局すべてのOA終了後
 2023年7月18日(火)PM10時以降の予定です。
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