第375回 山本浩二さん①

ゲストは、”ミスター赤ヘル” こと、野球解説者の山本浩二さん。

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山本浩二さんは、1946年生まれ。広島市ご出身。
プロ野球 広島カープの外野手として活躍され、
現役引退後は、広島カープの監督、日本代表監督も務められました。
現在は、日本プロ野球名球会理事長、野球解説者として活躍されていらっしゃいます。

大学卒業後にプロ野球界入りした選手で唯一の500本塁打、

通算536本という記録も達成されるなど、、、華々しい現役を過ごされていました。

そんな山本さんは、小学校低学年ごろから、

野球好きのお兄さまに連れられ、身近に野球がある日々。

「小学校の頃、広島市の海岸の方に球場が当時あったから

 生まれた街から球場行くのに、渡し船で行ったりね。

 野球は好きで、プロ野球選手にはなりたいと思っていたけど、

 まさか、なれるとは思ってなかった。ただ、夢ではありましたね。」


高校時代は、4番でピッチャー....今でいう、二刀流大谷選手?! 


「いやいや、高校で4番ピッチャーは何人もいたけど、あのメジャーでやるのはすごい(笑)

 なんとか続けて欲しいよね!評論家の誰もが、両方は無理だろうと考えただろうけど

 何年もやり遂げているから。大谷選手は、本当に野球が好きなんだなぁ。

 疲れたとか見せないもんね。楽しそうに毎日やって...すごいやつですよ!」


山本さんは、広島東洋カープに1位指名で、1968年入団されました。
1975年からは、カープの4番に定着され、

1978年には、自身初、球団初のホームラン王に輝きました。

さらに、衣笠祥雄さんとのコンビは “YK砲” と呼ばれ、
好成績を収められてきました。

「入団当時からの良きライバルで、最初は口もあまりきいてないですね。

 負けたくないライバルで、私生活も付き合いがなくって。
 でも1番は、初優勝のおかげで、1年間の苦しさからの喜びで、抱き合って涙を流して喜んで

 そこからは、”もう一度優勝したい”と、腹を割って話せるライバルになった。
 今の状態をお互いに伝えて、良きライバルになって、家族ぐるみでの付き合いになって...
 チームの優勝っていうのは、ものすごく大きいと思いますね。」

相手の性格や、キャッチャーの性格まで読む山本さんは、

”読みの浩二” と呼ばれ、後輩である 江川卓さんからは恐れられる存在でもありました。

「自分に成績は色々ありましたけど、自分1人で出来たものじゃないですよ。

 良きライバルがいて、良き仲間がいて、それでチームが勝つためにやったことが
 成績になったんじゃないかな、と思います。



来週も、山本浩二さんにお話伺います。


M. 
泣かせるぜ  /  石原裕次郎