音楽と言葉を電波に乗せて、東京の空へ。
今週も前回に引き続き、俳優/ミュージシャンの佐野史郎さんと吉祥寺を訪ねました。
音楽と言葉を電波に乗せて、東京の空へ。
今週も前回に引き続き、俳優/ミュージシャンの佐野史郎さんと吉祥寺を訪ねました。
佐野史郎さんは1955年生まれ。勤務医だった父親の赴任先である東京で育ちますが、小学校に上がると島根県松江市へ引っ越し、高校卒業までここで暮らします。その後上京し、1975年に劇団「シェイクスピア・シアター」の創設に参加、初舞台を踏みます。1980年には、唐十郎さん主宰の劇団「状況劇場」へと移り、1984年まで在籍しました。1986年、林海象監督の一般公開デビュー作『夢みるように眠りたい』で映画初主演。1992年、TBS系ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で桂田冬彦(冬彦さん)を演じて大反響を呼び、その後も俳優として大活躍。また音楽にも造詣が深く、バンド活動やアルバムのリリースなど、作品づくりも積極的に行ってきました。最近では2019年9月に、佐野史郎 meets SKYE with 松任谷正隆名義でアルバム『禁断の果実』をリリースしています。
そんな佐野史郎さんですが、今回歩いたのは1985年からずっと住み続けている馴染みの街、吉祥寺。前回の井の頭公園では、主に幼少期〜島根県松江での学生時代までの歩みを伺いましたが、その最後に登場したのが、佐野さんのその後の人生を左右することになる大切なレコードとの出会いのお話でした。
それは松江で音楽にどっぷり浸かる毎日を送っていた15歳の頃。1970年、第2回全日本フォークジャンボリーでのライヴ音源を収めた2枚組のレコードを手に入れ、特にここで聴いた遠藤賢司さんの「夜汽車のブルース」、そしてはっぴいえんどの「12月の雨の日」に衝撃を受けた佐野さんは、翌1971年、高校1年の夏に、たった一人でギターを抱えてそのライヴの舞台となった岐阜県中津川へと向かうのです。そこで体験したアーティストたちの生演奏は、佐野さんにさらに深い衝撃を与えます(この1971年のフォークジャンボリーでのライヴ盤には、佐野さんの「ええど、ええど」という声が、はっぴいえんどの「はいからはくち」の演奏の後に入っています)。そして地元に戻ると、高校の同級生で後にBOW WOWで世界的な活躍をすることになる山本恭司さんたちとロック・バンドを結成。さらに音楽の世界へとのめり込んでいきます。
そして佐野さんは井の頭公園を後にし、今度は吉祥寺を代表するライヴ・ハウス、曼荼羅へと向かいます。19歳の時、佐野さんは松江から東京へ出てきて、新たな生活を始めます。最初に住んだ街は原宿。当時通ったレコード・ショップやロック・バーは大切な場所でした。そして音楽と共に大きな衝撃を受けたのが、演劇や映画の世界でした。このエピソードは次回の放送で明かされます。
今回のオンエア曲は…
●はっぴいえんど「はいからはくち」(1971年 第3回全日本フォークジャンボリーでのライヴ音源)
●大滝詠一「恋の汽車ポッポ(シングル・バージョン)」
●佐野史郎とライスカレー「ちぎれ雲」
●荒井由実「生まれた街で」
お聞き逃しの方は
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また、無料音声アプリ『AuDee』でも聞くことができます。ぜひ、チェックして下さい。