2023年7月22日

西村由紀江のSmile Wind

今年は、ロシアの伝説的なロマン派の作曲家、ピアニスト、指揮者である

セルゲイ・ラフマニノフの生誕150年の年。

 

187341日、ロシア北西部ノヴゴロド州のオネグ出身。

裕福な家庭で育ったラフマニノフ。


幼少期よりピアノに親しみ作曲を学ぶようになります。

その才能は、生前のチャイコフスキーにも認められていました。

 

1893年、尊敬するチャイコフスキーの死を悼み、

追悼のピアノ三重奏曲「悲しみの三重奏曲」を完成させています。

 

ラフマニノフは、ピアノ曲が有名ですけど、

交響曲や室内楽曲、オペラなど多岐にわたります。

 

私がラフマニノフと出会ったのは幼少の頃で、

「ピアノ協奏曲第2番」のレコードを繰り返し聴いていました。

 

レコードジャケットは全面に海の写真。

見ながら聴いていると、冒頭の波打つようなピアノのフレーズが

海のイメージとぴったりで映画を見ているような感覚になりました。

 

手の小さい私には難しすぎて、文字通り「手の届かない」フレーズでした。

ラフマニノフは2メートル近い大柄な人だったと言われているので、

きっと手も大きかったんだと思います。

 

音楽の才能を認められ、9歳の時に奨学金を得てペテルブルク音楽院に入学、

その後モスクワ音楽院に転入、ピアノでは飽き足らず作曲も学ぶようになります。

 

ピアノ、作曲とも優秀だったが交響曲第1番の初演が大失敗に終わり

しばらく曲が書けなくなったラフマニノフ。

 

落ち込むラフマニノフを救ったのが精神科医。

徐々に回復し、生まれた曲が「ピアノ協奏曲第2番」

本人がピアノを弾く初演で大喝采を浴びました。

「ピアノ協奏曲第2番」は、ラフマニノフの代表作とも言える1曲となっています。

 

曲の始まりは鐘の音のように聞こえる。

ロシア生まれのラフマニノフにとって、教会の鐘は生活に欠かせない

大切なものだったそうだ。

 

荘厳な鐘の音のようなイントロの後に、

波打つようなフレーズになだれ込むところは、何度聞いても心が震える。

 

その後3分ほどすると息を呑むような美しいフレーズになる。(第二主題)

ここは私でも手が届くので、子供の頃に必死で耳コピをしました。

ラフマニノフは、1918年にアメリカへ移住。

主にコンサート・ピアニストとして活動をします。


1942
年、第2次大戦を避けてカリフォルニア州のビバリーヒルズに移住。

翌年の19433月、ビバリーヒルズの自宅にて、69歳で逝去しました。

 

生誕150年、没後80年。

セルゲイ・ラニマニノフの曲は、今後も演奏され続けていくんだと思います。


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